イタリア人はとても速かった。街中で訓練された追剥ぎグループにやられるような感じである。蒸し暑く午後7時過ぎには、前祝のシャンペンを開けていたから、TVの前で大分居睡りをしても、それでも試合終了までまだ堪らなく眠かった。
ドイツ人は驚くほど動いていたが、充分に機能的に動くことが出来なかったようである。クローゼが上手く使えないことを見越して、右のシュナイダーに託したのは分かったのだが、結局このフォーメーションは機能しなかった。後半からどんどんと攻撃的な陣営にして変えて行ったのもヨアヒム・レェーヴの戦略だったのだろう。
それに引き換え、イタリア人はカウンターで状況を一転させる力があるので、最後の最後での得点を十分に計算出来ていたようだ。戦前は、守備の綻びなどが示されてドイツにチャンスありとしていたが、充分な形をなかなか作らせて貰えなかった。
試合後の皇帝の落ち込んだ表情は言うまでもないが、試合前の首相のいつも繰り返されるプロレタリアート独裁政権スポークスマン風一言がやはり気になった。必要も無いのに一歩踏み込んだところで、スローガンもどきな表明をして、一党独裁政権党挙げての見解を示す趣がある。ホーネッカー書記長が健在なところで、原理原則を掲げるような言動を子供のころから叩きこまれている東独出身者は、一生そのままであり続けるのだろう。毎年のバイロイトの音楽際初日のインタヴューも全く同じで、大多数の大衆の納得と姿勢の模範を示すような発言は、逆にこのトップダウン的な思考法の女流政治家の不人気をかっている。西側には、知識人や文化人がおり、それらの言動や見解が自由な報道の中で、広く世の中に伝わっている事を繰り返し思い起こさなければいけない。実行派メディア・ポピュリストの前首相とは正反対である。
クリンツマン指導体制の継続を望む声が急に強く叫ばれているが、どうなのだろう。女流政治家の首相は、父コール首相が代表チームの監督を囲ったように、表面に出てくるとは思えないが、そこまでは踏み込む人間でない事がこの政治家をただの調整役にしている所以であろう。いづれにせよ多くのサッカーファンには、虫唾が走ったに違いない。それに引き換え、首相が引き連れられて、男たちの裸のロッカールームにお悔やみに参上した大統領には、サッカーファンはいっそうの親近感が湧いたに違いない。
さて市井のドイツ人にとってこの敗北の意味するものを綴るとすれば、今後四年間イタリア旅行の際には、「イタリィエーナは、運転も危なっかしいしなんだかんだ」と言うところが、「テデスコは、システムとか何とかいっても口だけ」と言われているような被害妄想に苛まれると言えるか。町の旗指しの数は殆ど減っていない。殆どの人が日曜日の休みまでそのままにしておくつもりらしい。
何はともあれイタリア人が密集して住んでいる地域ではかなり湧いたようだ。しかしワイン街道は全く静かで、準備していた車や人間達が音もなく静かに通り過ぎるのが良く判った。強豪フランスとポルトガルの試合がミュンヘンで催される本日も暑くなりそうだ。そろそろ夕立もやってくるだろう。
参照:王女とカエル王子 [ 文学・思想 ] / 2006-07-08
ドイツ人は驚くほど動いていたが、充分に機能的に動くことが出来なかったようである。クローゼが上手く使えないことを見越して、右のシュナイダーに託したのは分かったのだが、結局このフォーメーションは機能しなかった。後半からどんどんと攻撃的な陣営にして変えて行ったのもヨアヒム・レェーヴの戦略だったのだろう。
それに引き換え、イタリア人はカウンターで状況を一転させる力があるので、最後の最後での得点を十分に計算出来ていたようだ。戦前は、守備の綻びなどが示されてドイツにチャンスありとしていたが、充分な形をなかなか作らせて貰えなかった。
試合後の皇帝の落ち込んだ表情は言うまでもないが、試合前の首相のいつも繰り返されるプロレタリアート独裁政権スポークスマン風一言がやはり気になった。必要も無いのに一歩踏み込んだところで、スローガンもどきな表明をして、一党独裁政権党挙げての見解を示す趣がある。ホーネッカー書記長が健在なところで、原理原則を掲げるような言動を子供のころから叩きこまれている東独出身者は、一生そのままであり続けるのだろう。毎年のバイロイトの音楽際初日のインタヴューも全く同じで、大多数の大衆の納得と姿勢の模範を示すような発言は、逆にこのトップダウン的な思考法の女流政治家の不人気をかっている。西側には、知識人や文化人がおり、それらの言動や見解が自由な報道の中で、広く世の中に伝わっている事を繰り返し思い起こさなければいけない。実行派メディア・ポピュリストの前首相とは正反対である。
クリンツマン指導体制の継続を望む声が急に強く叫ばれているが、どうなのだろう。女流政治家の首相は、父コール首相が代表チームの監督を囲ったように、表面に出てくるとは思えないが、そこまでは踏み込む人間でない事がこの政治家をただの調整役にしている所以であろう。いづれにせよ多くのサッカーファンには、虫唾が走ったに違いない。それに引き換え、首相が引き連れられて、男たちの裸のロッカールームにお悔やみに参上した大統領には、サッカーファンはいっそうの親近感が湧いたに違いない。
さて市井のドイツ人にとってこの敗北の意味するものを綴るとすれば、今後四年間イタリア旅行の際には、「イタリィエーナは、運転も危なっかしいしなんだかんだ」と言うところが、「テデスコは、システムとか何とかいっても口だけ」と言われているような被害妄想に苛まれると言えるか。町の旗指しの数は殆ど減っていない。殆どの人が日曜日の休みまでそのままにしておくつもりらしい。
何はともあれイタリア人が密集して住んでいる地域ではかなり湧いたようだ。しかしワイン街道は全く静かで、準備していた車や人間達が音もなく静かに通り過ぎるのが良く判った。強豪フランスとポルトガルの試合がミュンヘンで催される本日も暑くなりそうだ。そろそろ夕立もやってくるだろう。
参照:王女とカエル王子 [ 文学・思想 ] / 2006-07-08