Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

オペラの小恥ずかしさ

2005-12-09 | 
ヒンデミット作曲の二つのオペラが今シーズン初めに新演出上演されて話題になっていた。その一つは、ハンブルク州立歌劇場新音楽監督のヤング女史の顔見世公演であった。

一つ目は、「画家マティス」と言うオペラである。それに先行した交響曲版は、1934年友人である指揮者フルトヴェングラーによって初演されて、その後、このオペラの上演を巡ってフルトヴェングラーの名で公開質問状が出される。この事で当代一の人気指揮者が自ら公職から退くスキャンダルとなった。其の舞台では、農民戦争下の16世紀の画家グリューネヴァルトをナチズム蔓延る時代の作曲家の境遇に重ね合わせて「芸術の自立性への懐疑と閉じられた芸術への弁論」が主題とされる事になっていたからである。

結局、1938年になってやっとこのオペラはチューリッヒで初演されたが、ナチにより文化的に追放され、更に個人的事情で作曲家は亡命を余儀なくされる。理論書「楽曲における指導」がこの年に出版されておりこれも注目される。友人の人気指揮者への餞の言葉は、一体何であったのだろう。

今回のハンブルクでの上演は、演出家レンネルトによるこのハンザ都市での戦後の初演に続き、シュミット・イッセルシュテット指揮の二回目の上演を挟み、三回目の新演出であった。新聞評によると作曲家自作のリブレットは「 何 も 語 ら な い ためには、語り過ぎる」と言う。この批評は、アドルノの「実用音楽とヒンデミットの音楽への批判」を基礎にしており、充分に吟味してみる必要がある。

この作曲家の音楽は、そのような訳で玄人筋に今でも充分に理解されているとは言い難い。作曲家没後100 年から徐々に演奏回数も増えて来た事は喜ばしいが、オペラなどはそれでも実演を体験する事はなかなか叶わない。よってE.T.A.ホフマンの原作による小説をオペラ化したミュンヘンの州立劇場のレパートリー「カルデラック」の名上演と言われるヴィデオのTV録画を改めて検証する。

その筋を挙げても原作と比較などしないといけないので、ルイ王朝下のパリの金細工職人である主人公が自分の創造した「愛着のある自立した芸術」を売った客を悉く殺害して奪い返す話としておこう。この曲がドレスデンでフリッツ・ブッシュ指揮で初演されたのは1928年である。この創作の前後に室内音楽集や弦楽トリオやクヴァルテット、歌曲「マリアの生涯」などがあり注目される創作時期でもある。無為自然に選別された素材の徹底的な消費などのノイエザッハリッヒカイトの芸術運動から脱皮して行くこの作曲家が、絶頂に至る時期とする見解は一般的である。

この1920年代に作曲されたオペラにおいても、寸止めのような形で全ての効果は外されて、俗な期待をする聴衆を何処までも乗せないように意図されている。決してこの作曲家は意地が悪いのではないが、安物のキッチュな感動を全て取り除く事で小恥ずかしい歌芝居の空間をこうして些かでも大人の世界にしているのである。伝統によって形式的になった因習や儀式は、往々にして参加するどころか見るのも恥ずかしい。

先日、ミュンヘンへと向う車の中で、ザルツブルク音楽祭について語るモルティエ博士のインタヴューが流れていたが、オペラ愛好者のこの法律家が言いたいこともオペラ文化論であった。つまり、「歌を歌いダンスするという事は、子供が生まれながらにしてどの文化にもある状態で、人類にとって自然な行為なのだ」と、「其れを音楽劇場にやって来て日常とは違う特別な気持ちで楽しむ事こそが祝祭で、今後もそうあって欲しい」、「そして、友人と何週か後にでもその夜のオペラの話が出来るのが良いのだ」と。(非日常の実用音楽 [ 音 ] / 2005-12-10へと続く )



参照:
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15
因習となる規範 [ 文化一般 ] / 2004-12-01
ヨハネス・ケプラーのワイン樽 [ 数学・自然科学 ] / 2004-11-17
第六交響曲 第三楽章 [ 音 ] / 2005-08-21
吐き気を催させる教養と常識 [ 文化一般 ] / 2005-08-18
ワイン商の倅&ワイン酒場で [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
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