シュタルンベルガーゼーで食したズルツェについて書き留めておかなければいけない。豚の煮凝りについては何度か触れたが、度々肉屋に薦められていた焼きジャガイモに付け合せる方法を今まで試す機会が無かった。何故ならば、折角の煮凝りの塊が蕩けて壊れるのが忍びなかったからである。如何して折角固めたものを融かしても美味いだろうか。
昼食後の散策をした三時過ぎに、燗ビールを飲みながらメニューを見ているとどうしてもこれを試したくなったのである。それも手作りの煮凝りとなっている。注文する時に、メニューの書き方が手作り焼き煮凝りと書いてあったので態々、手で形をを作って、こうジャガイモの上にと遣ったら、そうこう遣ると同じ手つきをされた。きっとそうなのだろう。
そうして出て来たものは、綺麗に焼いた薄切りジャガイモの小皿と、野菜サラダなどを付け合わした煮凝りである。思いのほか分厚く切ってあり、騙された心算で熱いジャガイモをそこに添えた。それでも壊れないのを確認すると、今度は煮凝りをナイフとフォークで切り刻み、ジャガイモに合わせる。こうして気がついたのは、厚切りの中に入っているこれまた厚切りの肉片の塊と丸切りのニンジンである。これが結構色目も美しい。壊れないどころか、ゼラチン部分が繫ぎの様になってジャガイモと絡み馴染むのである。
素晴らしい経験をして上機嫌で、ビールを追加注文した。余り酸が効いていない煮凝りなので、ヘレスビーアの燗が良く合う。食べ終わってから給仕に中味を聞くと、隣の机で休憩していたコックが作ったと云うことで直接尋ねた。なるほど中に入っているのはかの有名なプレスコップと云う、咬筋を煮込んだものなのである。なかなかこれが硬めで美味い。本格的な名物の煮凝りを食べれて大満足であった。この様な物は、本来は親父が食べているのを見て子供の頃に覚えるのだろうと甚く感激する。煮凝りの好きな女性も多いだろうが、菜食主義者のドイツ女性の多い折、男の食事と云う感じである。
雪のバイエルンを抜け出しワイン街道へ帰って来て、腹を減らしていたので早めの夕食を摂る。帰路の車中で眠気を我慢しながら、頭に浮かぶのは地元の馴染の店の食卓なのであった。時刻などに依るが、偶々都合の良い店に行って、プァァルツのピザと云われる手作りのレバー団子をスライスして焼いたものを、卵で合えた物とジャガイモサラダの付け合せを食する。大好物であるが、差し詰めお母さんの味と云ったものである。レストランのメニューにある処はここ以外には知らない。これがまた一品である。普通は、お客さんには食べさせないような隠れた家庭の味が嬉しい。ここでも菜食主義の女性が多いご時世、地元の誰もがありつけるとは限らない。肌理の細かい冷えたピルツビーアでレバーの苦味を愉しんだあと、最後のコインまでを総動員してクウォーターグラスでワインの炭酸割を注文した。少し留守にするだけで、これほど懐かしく美味いものか。
ミュンヘンの雪を語り、そこの交通の不便を常連席に報告して、ここはやっぱり良いなと、雪道の運転の緊張を解きながら怪気炎を上げていたのであった。
参照:
夏の森の薬草と珍味 [料理] / 2005-06-28
夏の惣菜 [ 料理 ] / 2005-07-21
開かれた口元と心で歓迎 [ 女 ] / 2005-11-26
昼食後の散策をした三時過ぎに、燗ビールを飲みながらメニューを見ているとどうしてもこれを試したくなったのである。それも手作りの煮凝りとなっている。注文する時に、メニューの書き方が手作り焼き煮凝りと書いてあったので態々、手で形をを作って、こうジャガイモの上にと遣ったら、そうこう遣ると同じ手つきをされた。きっとそうなのだろう。
そうして出て来たものは、綺麗に焼いた薄切りジャガイモの小皿と、野菜サラダなどを付け合わした煮凝りである。思いのほか分厚く切ってあり、騙された心算で熱いジャガイモをそこに添えた。それでも壊れないのを確認すると、今度は煮凝りをナイフとフォークで切り刻み、ジャガイモに合わせる。こうして気がついたのは、厚切りの中に入っているこれまた厚切りの肉片の塊と丸切りのニンジンである。これが結構色目も美しい。壊れないどころか、ゼラチン部分が繫ぎの様になってジャガイモと絡み馴染むのである。
素晴らしい経験をして上機嫌で、ビールを追加注文した。余り酸が効いていない煮凝りなので、ヘレスビーアの燗が良く合う。食べ終わってから給仕に中味を聞くと、隣の机で休憩していたコックが作ったと云うことで直接尋ねた。なるほど中に入っているのはかの有名なプレスコップと云う、咬筋を煮込んだものなのである。なかなかこれが硬めで美味い。本格的な名物の煮凝りを食べれて大満足であった。この様な物は、本来は親父が食べているのを見て子供の頃に覚えるのだろうと甚く感激する。煮凝りの好きな女性も多いだろうが、菜食主義者のドイツ女性の多い折、男の食事と云う感じである。
雪のバイエルンを抜け出しワイン街道へ帰って来て、腹を減らしていたので早めの夕食を摂る。帰路の車中で眠気を我慢しながら、頭に浮かぶのは地元の馴染の店の食卓なのであった。時刻などに依るが、偶々都合の良い店に行って、プァァルツのピザと云われる手作りのレバー団子をスライスして焼いたものを、卵で合えた物とジャガイモサラダの付け合せを食する。大好物であるが、差し詰めお母さんの味と云ったものである。レストランのメニューにある処はここ以外には知らない。これがまた一品である。普通は、お客さんには食べさせないような隠れた家庭の味が嬉しい。ここでも菜食主義の女性が多いご時世、地元の誰もがありつけるとは限らない。肌理の細かい冷えたピルツビーアでレバーの苦味を愉しんだあと、最後のコインまでを総動員してクウォーターグラスでワインの炭酸割を注文した。少し留守にするだけで、これほど懐かしく美味いものか。
ミュンヘンの雪を語り、そこの交通の不便を常連席に報告して、ここはやっぱり良いなと、雪道の運転の緊張を解きながら怪気炎を上げていたのであった。
参照:
夏の森の薬草と珍味 [料理] / 2005-06-28
夏の惣菜 [ 料理 ] / 2005-07-21
開かれた口元と心で歓迎 [ 女 ] / 2005-11-26