Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

街の半影を彷徨して

2005-12-11 | アウトドーア・環境
マンハイムで偶然に第二帝國時代風の集合住宅を見つける。建造年月日や目的などは定かではないが、構造といいその佇まいといい典型的なものであろう。道路側から一見すると一般的な多くの住居と変わりない。北側は、壁が白く塗られて整備されているから、昔の面影は無いので気が付かないのである。たまたま南側の車庫の場所に空間が開いていて、中庭から覘く様な感じで見る事が出来た。

このような建造物は、ベルリンからザクセンにかけて多く残っている。東ドイツでは、その経済事情から必要悪に原形を留めて残されただけかと考えていたが、事情は些か違うようだ。何故ならばこれらは大都市の過密対策として建設された所謂「貸し兵舎」と呼ばれるものに近いからである。地下から屋根裏までを有効に使っているのも特徴である。社会住宅の典型でもあり、有効な空間利用が目指される。

プロイセン文化である「貸し兵舎」は、既にフリードリッヒ大王の時世からその原型が見られると言う。元々は、其の名の通りベルリン市民の三分の一に上る軍隊を駐屯させる為に建造されて、その家族を共に住ます事で脱隊数を極力下げたとある。その時世にベルリンだけでも三万六千人の軍隊が駐屯していた。立体的に町を構築する事で住居難を解消する政策は、砦として仕方なく垂直方向へと発展したパリを手本にしたと言う。啓蒙主義を身上とする大王は、「上昇志向」への発展を決めた。中国の立体的な建造物の絵を見た大王は、「ヨーロッパは狭い。だから充分な土地が無い。人々は、地上に住むではなく空中に住まなければいけない。」と言った。実際には、ベルリンには広げていくだけの充分な土地があったことは今でもその発展から窺い知れる。

1925年から大ベルリンでの「貸し兵舎」反対運動が起きたと語るのは、ヴァルター・ベンヤミンである。彼はここで、住人の健康よりも経済性が重視されたと、農業地主達が集団住宅を作る事で巨額の富を得て、世紀の初頭には億万長者だけでなく会社創立ラッシュになったと結論付ける。そして、何よりも住民が高みに過ごす意味が見当たらない事を示唆している。これは、これまでの「都市環境を考える」で記した通りである。

1930年代になってからもべンヤミンは、当時の田園都市計画を良しとして、エンパイヤーステートビルは長屋を縦に立てたのと考えていた。同時にバウハウス運動の新素材であるガラスや鉄筋によって、従来の重い石造りから解放されると肯定的に捉えていた。コンパクトで威圧感の無い、都合よく深く刻まれた階段や踊り場、屋上庭園は、そこに住む人を自由に、憂慮無く、そして人生を平和に変えると叙述している。しかし、フリードリッヒ大王の死の年には既に否定的に見られていたその石の重い、人口密度の高い集団住宅は、当時の物書きニコライによって肯定的に自慢に満ちて記録されていると、この小さなエッセイの前半に意識してかそれとも無意識かで態々記している。

「貸し兵舎」とは、上の写真に見られるような建造物そのものではなく、それらが幾つも、範囲の限られた敷地に将棋の駒のように建てられて、甚だしい影を作っている集合住宅の集合体を言う。よって、下層階では日が入らなくて、押し込められた感じが強く、其の環境は田園都市やバウハウスの合理性などとは比較が出来ないだろう。それでも、その両後者の欠点を知る我々からすると、寧ろ石造りの従来の建造物の方が評価が高い。それは、何よりもリフォームの可能性が高いからで、余り大きな建物では住居としては困難が大きいが、これらを土台として絶えず最新の設備を導入して快適な居住空間を現出させる事が出来る。さらに外装をオリジナルのままに磨き上げる事で歴史に満ちた景観を其のエポックに応じてより一層際立たせる事が出来る。これが欧州、特にドイツにおける都市空間として知られるものである。

恐らく北側上部からは河が見えるであろう写真の建造物は、ネッカー河畔に沿ったマンハイム市外れの町に現存する。だから、これは中心街から溢れ出た住人を受け入れた住宅である事には違いない。現在でも更に河の上流へと進むと、昔ながらの農業地帯となる。何時ごろか農業地主が土地を売り、必要がないのに街道筋に高層化したものと建てたと思われる。そのような意味からすると、この建造物には近代以前の歴史は皆無ながら、今後も基礎さえ確りしていれば将来に渡って上手くリフォームして使いながら保護されて行くであろう歴史を刻む事が出来そうである。

さて、マンハイムからベルリンへとベルリンからパリへと、パリからニューヨーク、パリからマンハイムへと足を進めて来たが、いま少しふらふらと足を進める前に立ち止まってもう一度考えてみたい。すると、ボードレールに影響を受けた「フラヌール」の達人で、町を彷徨しながら都市計画を哲学的に捉えた専門家であり、洞察力豊かな20世紀最大の文明批評家と言われるヴァルター・ベンヤミンであるが、その自らが提示する自己矛盾から今日の我々が感ずることは何だろうかと。(都市環境を考える 第三話)



参照:
再生旧市街地の意義 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-11-20
ヴァイマールからの伝言 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-12-03
影に潜む複製芸術のオーラ [ 文学・思想 ] / 2005-03-23
ワイン商の倅&ワイン酒場で [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
究極のデジタル化 [ テクニック ] / 2004-11-29
非日常の実用音楽 [ 音 ] / 2005-12-10
コメント (2)
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