ベルリンの通称モッツコンプレックスと言う場所には、1920年代から1930年代の建造物と1960年代の建造物が混在している。それはベルリンの嘗ての電信・電話・郵便局の敷地であったらしい。詳しい資料は見付からなかったが、前者が第三帝國の、後者がドイツ民主共和国の典型的な建造物の外観を持つ。第三帝国下の建造物は、方々に現存して、例えばカールスルーヘのナチの秘密警察ゲシュタポ本部等も立派で厳つい。CIAの欧州のアジトではないが凄惨な拷問が繰り返された事だろう。
さて、建造物としてこれらから受ける印象は、その建造目的と切り離せないのは当然としても、どうも関心を持つほどには充分ではなかった。今回、建築デザインを考えるうえで避けては通れぬバウハウス運動との関連を考えてみた。数限りない論文や研究書が、1920年代から1930年代の文化動向を専門的に述べているのだろうが、今ひとつこれといった説明には巡り会えていない。これらの建造物の実際の印象は、バウハウスからは程遠くて、強いて言えばフランクフルトの嘗てのヘクスト本社の橋状の意匠を持った表現主義を思い出す。そのような理由でこの流れには興味を持っていたのであるが、初めてこれを捉える切っ掛けになるものが見えて来た。
第三帝国の建造のヴィジョンとは、ナチのイデオロギーでしかないが、これを詳しく知る必要は無いとしても、レリ・リーフェンシュタール女史の仕事や最近のニュルンベルク記念館でのその展示を見れば明らかなようである。これはまた、バウハウス運動の示したその流れの中でクッキリと彼女の姿勢は浮かび上がるのである。ここでは具体的には触れないとして、一言だけ繰り返しておけば充分だろう。「この女性は、アーノルド・ファンク博士から何を学んだのか?」。
バウハウス運動の1993年における見解をその後継者たる工業デザイナーの目を通して見て来たが、更に同じ機会に講演をした哲学者で都市開発やデザイン畠において著名な教育家ブルクハルド博士の視点を覘いてみる。「バウハウスから一体何を学べ得るか?」と題した氏の見解は、更に現在の世界経済や労働市場、そしてその言葉は使われていないがグロバリゼーションの問題点に、このバウハウス運動が示す現代の諸相を指摘する。
さて、ブルクハルド氏は、その創立である1919年の歴史に戻って、美学者と技術職人の出会いとその対称化がこの運動の起こりで、それがテクノロジーと制作のノウハウを教え、実際の形態への教授をする機構となったと言う。この二点が元来のバウハウスの教育的原点であって、当時はアカデミズムを乗り越えるという意味合いがあったと言う。そこで徒弟は、「君達が持って来たものをさっさと諦めろ。君らの世界観やら能力やら、それらは悉く誤りでキッッチュでしかない。」、そして「何でも習ったことだけを遣りなさい。さもなくば誤りか、とんでもない事を仕出かすだけだから」と言われたという。
何処かで聞いたような言葉でなかろうか?決して、ハンバーガー屋のマニュアルではないのである。実際、そこで議論された事は多岐に渡っていたので評価を難しくしているが、工業化を前提とした目的に敵った製作基本の典型化にバウハウスの目的はあったと言うのである。そしてその工業的製作への傾倒や機能性重視は、既に1914年のウェルデとマテシウスとの議論に遡るらしい。最終的には、その 目 的 に 適 っ た 制作と言うのが後期バウハウスの金科玉条になっていったのを、ここで我々は知るのである。
そしてこの考え方こそが、ナポレオンが始めたポリテクニックの教授の仕方であり、目的と素材は峻別されて、後年には専門高等学校と言う教育の枠組みとなっている。ブルクハルド氏は、これに対して教育的配慮を以って、チャップリンの名作「モダンタイムス」が示すような、フォードの大量生産の現象を挙げながら「バウハウスについては、革新的に学ばなければいけない」と、この運動を無視すること無しに批判的に学ぶ事を強調する。更に氏は、1993年において日本車の米国での頭打ちや独米日間での自動車競走の行く方を予想して、先進国と言われる地域の問題をここから演繹する。その中で、労働市場の上から下へと流れる動きや現象と、サーヴィス産業での合理化の問題などを対極させつつ多次元に配置させて、その視点は明らかに俗にポストモダンと言われる見解を越えている。
建築の話を例に纏めたが、これは当時の芸術文化事象の動きの索引のような意味合いで、其々の分野でこれに並行した流れが見られる。そして、その流れの中で「合理と効率」と言う大きなキーワードが絶えず顕著に流れを牽引しており、また今日多くの極東の建築家がそのアンチテーゼであるポストモダーン分野で大活躍するのを見るなりすると、なるほどと気がつくことも多い。同様に、先日のコメントでも触れた西ドイツにおける現代建築への流れは、このような伏線を見ること無しに語れないことにも気がつく。
建築に門外漢であると、概ねその工法や素材にどうしても関心が散って、その現象を見極めるのを困難に感ずる。しかし、都市計画自体は万人に関わるので、各々が見解を持つべきものである。そして、そこから受ける印象自体が決していつもその使いやすさの「合理と効率」とは直接関連しているのではないことに留意すべきである。今日における、経済・政治・研究・教育・芸術等ありとあらゆる活動に引き継がれている、またその先の破局に連なる「解決不可」な問題を孕んだ「現代」を克服して行くこそが我々の課題である事には違いない。(ヴァイマールからの伝言 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-12-03 から続く、都市環境を考える第二話)
参照:
再生旧市街地の意義 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-11-20
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
世界の災いと慈善活動 [ 文学・思想 ] / 2005-11-29
空気配送郵便チューブ [ テクニック ] / 2005-10-28
さて、建造物としてこれらから受ける印象は、その建造目的と切り離せないのは当然としても、どうも関心を持つほどには充分ではなかった。今回、建築デザインを考えるうえで避けては通れぬバウハウス運動との関連を考えてみた。数限りない論文や研究書が、1920年代から1930年代の文化動向を専門的に述べているのだろうが、今ひとつこれといった説明には巡り会えていない。これらの建造物の実際の印象は、バウハウスからは程遠くて、強いて言えばフランクフルトの嘗てのヘクスト本社の橋状の意匠を持った表現主義を思い出す。そのような理由でこの流れには興味を持っていたのであるが、初めてこれを捉える切っ掛けになるものが見えて来た。
第三帝国の建造のヴィジョンとは、ナチのイデオロギーでしかないが、これを詳しく知る必要は無いとしても、レリ・リーフェンシュタール女史の仕事や最近のニュルンベルク記念館でのその展示を見れば明らかなようである。これはまた、バウハウス運動の示したその流れの中でクッキリと彼女の姿勢は浮かび上がるのである。ここでは具体的には触れないとして、一言だけ繰り返しておけば充分だろう。「この女性は、アーノルド・ファンク博士から何を学んだのか?」。
バウハウス運動の1993年における見解をその後継者たる工業デザイナーの目を通して見て来たが、更に同じ機会に講演をした哲学者で都市開発やデザイン畠において著名な教育家ブルクハルド博士の視点を覘いてみる。「バウハウスから一体何を学べ得るか?」と題した氏の見解は、更に現在の世界経済や労働市場、そしてその言葉は使われていないがグロバリゼーションの問題点に、このバウハウス運動が示す現代の諸相を指摘する。
さて、ブルクハルド氏は、その創立である1919年の歴史に戻って、美学者と技術職人の出会いとその対称化がこの運動の起こりで、それがテクノロジーと制作のノウハウを教え、実際の形態への教授をする機構となったと言う。この二点が元来のバウハウスの教育的原点であって、当時はアカデミズムを乗り越えるという意味合いがあったと言う。そこで徒弟は、「君達が持って来たものをさっさと諦めろ。君らの世界観やら能力やら、それらは悉く誤りでキッッチュでしかない。」、そして「何でも習ったことだけを遣りなさい。さもなくば誤りか、とんでもない事を仕出かすだけだから」と言われたという。
何処かで聞いたような言葉でなかろうか?決して、ハンバーガー屋のマニュアルではないのである。実際、そこで議論された事は多岐に渡っていたので評価を難しくしているが、工業化を前提とした目的に敵った製作基本の典型化にバウハウスの目的はあったと言うのである。そしてその工業的製作への傾倒や機能性重視は、既に1914年のウェルデとマテシウスとの議論に遡るらしい。最終的には、その 目 的 に 適 っ た 制作と言うのが後期バウハウスの金科玉条になっていったのを、ここで我々は知るのである。
そしてこの考え方こそが、ナポレオンが始めたポリテクニックの教授の仕方であり、目的と素材は峻別されて、後年には専門高等学校と言う教育の枠組みとなっている。ブルクハルド氏は、これに対して教育的配慮を以って、チャップリンの名作「モダンタイムス」が示すような、フォードの大量生産の現象を挙げながら「バウハウスについては、革新的に学ばなければいけない」と、この運動を無視すること無しに批判的に学ぶ事を強調する。更に氏は、1993年において日本車の米国での頭打ちや独米日間での自動車競走の行く方を予想して、先進国と言われる地域の問題をここから演繹する。その中で、労働市場の上から下へと流れる動きや現象と、サーヴィス産業での合理化の問題などを対極させつつ多次元に配置させて、その視点は明らかに俗にポストモダンと言われる見解を越えている。
建築の話を例に纏めたが、これは当時の芸術文化事象の動きの索引のような意味合いで、其々の分野でこれに並行した流れが見られる。そして、その流れの中で「合理と効率」と言う大きなキーワードが絶えず顕著に流れを牽引しており、また今日多くの極東の建築家がそのアンチテーゼであるポストモダーン分野で大活躍するのを見るなりすると、なるほどと気がつくことも多い。同様に、先日のコメントでも触れた西ドイツにおける現代建築への流れは、このような伏線を見ること無しに語れないことにも気がつく。
建築に門外漢であると、概ねその工法や素材にどうしても関心が散って、その現象を見極めるのを困難に感ずる。しかし、都市計画自体は万人に関わるので、各々が見解を持つべきものである。そして、そこから受ける印象自体が決していつもその使いやすさの「合理と効率」とは直接関連しているのではないことに留意すべきである。今日における、経済・政治・研究・教育・芸術等ありとあらゆる活動に引き継がれている、またその先の破局に連なる「解決不可」な問題を孕んだ「現代」を克服して行くこそが我々の課題である事には違いない。(ヴァイマールからの伝言 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-12-03 から続く、都市環境を考える第二話)
参照:
再生旧市街地の意義 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-11-20
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
世界の災いと慈善活動 [ 文学・思想 ] / 2005-11-29
空気配送郵便チューブ [ テクニック ] / 2005-10-28