ワインの目隠しテストをさせられた。メルローの赤ワインと違うものがあると主張したので、其々試したら同じ物であった。錯覚に陥ることがあるのは分かっているのだが、同じ銘柄でも味が違うと感じる事は更に多い。実際、瓶によっては炭酸が多かったりする。これは、製造のばらつきだけでなくて搬送や保存の間に生じる相違であったり、温度などの給仕の仕方によっても質が変わる事はありえる。
さて、クライミングで使用した新しいシューズは非常に快適であった。靴下を履くと足との摩擦が無くなって、余計に足入れが良すぎてがぶがぶしてくる。裸足になった方がフィット感が遥かに高い。但し、この靴でただたんに平地に直立しているのは意外に難しい。
古い山靴ガリビエールのスーパーガイドを今回荷揚げ歩行用に初めて使ったが、意外に軽くて荒地でも綺麗にバランスがとれて良かった。靴べろの当たる場所や親指、小指等に肉刺ができるようだが、テーピングをする事で防げそうである。靴下やテーピングの使い方で靴の使い勝手は大分変わる。
古いラフマ社の伸ばせばシュラフザックとなるリュックザックを荷揚げ用に使ったが、前回と違い肩への食い込みが少なかった。肩紐や腰紐へのパッドや改良が可能ならばまだ使えそうである。何よりも容量が拡張されるシステムとそのバランスは優れている。
盛夏と比べると行動中に必要な水も愕然とするほど少なく、深夜に摂取する水も僅かばかりとなる。呼吸が楽なのは前回の高度順応の成果が残っているのか、低めの気温なのかは定かでない。しかし、高温は体力を消耗させ、運動能力を落とした事は証明された。ドライフルーツの林檎とパイナプッルとも良かったが、喉飴も重宝する。狭い足場での喉飴は、リラックスには良い。
足場作りと継続した登攀の時間の無駄を省くのが今後の課題である。現代新用具別の決定的使用法が未定であったので、これを決定する事で躊躇無く足場での作業が出来る事になろう。ここ三十年ほどの用具や技術の変化を現場で確認して、それを収斂させていかなければいけない。
ドロミテなどの石灰質の摂理と大岩壁での安全で迅速な登攀行程は、長い懸垂下降の行程を含めて、ルーティン化した作業にならないと達成できない。改めて細かな作業の練磨に務めるべきだ。
反対に、登攀技術は室内などでも上達するので向上は容易い。しかし少なくともドロミテの技術難易度表示は一般に予想される水増しが無く、傾斜が強く六級はそのもの困難である。オーバーハングでも大きな手掛かりは期待出来ないかもしれない。
ドロミテの岩場に踏み痕や手掛かりの磨耗がないのが新鮮である。処女壁のように形跡の薄い岩壁が存在して、砂時計に古い縄が掛かっているのにアルピニズム文化を感じる。
アルプスの「壁の時代」以降の特徴の体験のみならず、個人的にも一種のトラウマから解放された気がする。これを心理的な側面と言っても良いが、アルプスの「鉄の時代」以降のアルピニズムの流れとそれ以降の室内でのフリークライミングの流れを体験していると、本質的な岩(大地)との接点を築く方法が探せる。
作曲家グスタフ・マーラーがここで、「大地の歌」を創作したのは、ただの偶然なのか、それともその理由付けはただのこじつけの錯覚なのか?
参照:影の無い憂き世の酒歌 [ 音 ] / 2006-09-08
さて、クライミングで使用した新しいシューズは非常に快適であった。靴下を履くと足との摩擦が無くなって、余計に足入れが良すぎてがぶがぶしてくる。裸足になった方がフィット感が遥かに高い。但し、この靴でただたんに平地に直立しているのは意外に難しい。
古い山靴ガリビエールのスーパーガイドを今回荷揚げ歩行用に初めて使ったが、意外に軽くて荒地でも綺麗にバランスがとれて良かった。靴べろの当たる場所や親指、小指等に肉刺ができるようだが、テーピングをする事で防げそうである。靴下やテーピングの使い方で靴の使い勝手は大分変わる。
古いラフマ社の伸ばせばシュラフザックとなるリュックザックを荷揚げ用に使ったが、前回と違い肩への食い込みが少なかった。肩紐や腰紐へのパッドや改良が可能ならばまだ使えそうである。何よりも容量が拡張されるシステムとそのバランスは優れている。
盛夏と比べると行動中に必要な水も愕然とするほど少なく、深夜に摂取する水も僅かばかりとなる。呼吸が楽なのは前回の高度順応の成果が残っているのか、低めの気温なのかは定かでない。しかし、高温は体力を消耗させ、運動能力を落とした事は証明された。ドライフルーツの林檎とパイナプッルとも良かったが、喉飴も重宝する。狭い足場での喉飴は、リラックスには良い。
足場作りと継続した登攀の時間の無駄を省くのが今後の課題である。現代新用具別の決定的使用法が未定であったので、これを決定する事で躊躇無く足場での作業が出来る事になろう。ここ三十年ほどの用具や技術の変化を現場で確認して、それを収斂させていかなければいけない。
ドロミテなどの石灰質の摂理と大岩壁での安全で迅速な登攀行程は、長い懸垂下降の行程を含めて、ルーティン化した作業にならないと達成できない。改めて細かな作業の練磨に務めるべきだ。
反対に、登攀技術は室内などでも上達するので向上は容易い。しかし少なくともドロミテの技術難易度表示は一般に予想される水増しが無く、傾斜が強く六級はそのもの困難である。オーバーハングでも大きな手掛かりは期待出来ないかもしれない。
ドロミテの岩場に踏み痕や手掛かりの磨耗がないのが新鮮である。処女壁のように形跡の薄い岩壁が存在して、砂時計に古い縄が掛かっているのにアルピニズム文化を感じる。
アルプスの「壁の時代」以降の特徴の体験のみならず、個人的にも一種のトラウマから解放された気がする。これを心理的な側面と言っても良いが、アルプスの「鉄の時代」以降のアルピニズムの流れとそれ以降の室内でのフリークライミングの流れを体験していると、本質的な岩(大地)との接点を築く方法が探せる。
作曲家グスタフ・マーラーがここで、「大地の歌」を創作したのは、ただの偶然なのか、それともその理由付けはただのこじつけの錯覚なのか?
参照:影の無い憂き世の酒歌 [ 音 ] / 2006-09-08