北西チロルは今日も小雨が散っていた。水曜日の午前中にその谷へと入ったところ、大雨が降っており、山の上は30CM以上の積雪だった。宿泊予定の山小屋からの情報では、向こう暫らくは雪が消えそうにもないということで、落ち会ったばかりの全十名は五台乗用車に分乗して南東チロルへと移動する事にした。
予想通り、ブレンナー峠を越えると別天地のように快晴で、新雪らしきものも頂上に薄く見えるぐらいである。しかし、何よりもの問題は大人数の宿泊であった。結局、ドロミテのコルチナダンベッチオとトブラッハ間の谷間上部の小屋に寝場所を見つける事が出来た。
直線距離にして、二百キロほども無い狭い地域で、これほどに大きな気候や文化の違いを見せるのが欧州の最も素晴らしいところである。晴天の毎日をドロミテの岩壁に囲まれて、二千メートルの高所で過ごせたのは幸せであった。
七月に南ドロミテで過ごしてから、夏の終わりに再び北ドロミテで過ごすことが出来るとは思ってもいなかった。七月の炎天下とは異なり、朝は氷点下となった日も午後には二十度を遥かに超えても、随分と快適な日々であった。
同地も本日薄曇であったが、それでも北東へ戻ってくると空の明るさが大分と違うことに気が付く。
予想通り、ブレンナー峠を越えると別天地のように快晴で、新雪らしきものも頂上に薄く見えるぐらいである。しかし、何よりもの問題は大人数の宿泊であった。結局、ドロミテのコルチナダンベッチオとトブラッハ間の谷間上部の小屋に寝場所を見つける事が出来た。
直線距離にして、二百キロほども無い狭い地域で、これほどに大きな気候や文化の違いを見せるのが欧州の最も素晴らしいところである。晴天の毎日をドロミテの岩壁に囲まれて、二千メートルの高所で過ごせたのは幸せであった。
七月に南ドロミテで過ごしてから、夏の終わりに再び北ドロミテで過ごすことが出来るとは思ってもいなかった。七月の炎天下とは異なり、朝は氷点下となった日も午後には二十度を遥かに超えても、随分と快適な日々であった。
同地も本日薄曇であったが、それでも北東へ戻ってくると空の明るさが大分と違うことに気が付く。