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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

新興地の無い普遍性

2006-09-09 | 生活
昨晩、聞いた話によると隣町に、ハイデルベルクから日本の研究者が、町の経済的活動とワイン農業との関連を時制の軸を四半世紀・半世紀・一世紀として捉えた調査に来ていたと言うことだった。

経済活動と地域社会に関する研究と理解した。町自体はカトリックの共同体で、七割を越える住民が町以外の経済に若しくは副業に依存していると言うような現状が研究対象になるのだろう。都市圏との距離感とかは、その町は衛星都市としての機能が殆ど感じられないのであまり重要ではないだろう。外部からの都市生活者は、カトリック共同体に住むことはあまり多く無く、そのような新興住宅地も数少ない。

その様な事情が、カトリック共同体は貧しくと言うイメージの原因となっている。勿論、遠く日本からの研究者が興味があるのは民俗学的な考察では無く、この五千人足らずの共同体と日本の地方の過疎地域との比較であろうと容易に想像できる。

更に推測を進めると、ドイツ語圏ではカトリックの共同体もしくはユダヤ共同体と言うのは、普遍性や戒律の象徴であって、日本の過疎との相違は大きい。しかし、明治政府による西欧使節団は間違いなくこうした共同体モデルも参考にしたに違いない。

そこで出来上がったプロシアを手本とする強力な中央集権システムの中で、地方のまでに浸透する 規 範 としてのそれらに留意した。それは、その明治システムの歪から生まれる不条理の描かれる新劇舞台その通りではないだろうか。

そして今改めて、同じような視点から比べて見ると、その双方の共同体の違いは甚だ大きく、ある友人の一言「ドイツの田舎と日本の田舎は全然違う。日本の田舎は貧しく、何も無い」に集約される。これは物理的な交通物流の便だけでなく、全ての道はローマに通じる時制によってもあまり変わらない普遍性と言うものが大きくそれらを分かつのかも知れない。

その隣町のプロテスタントのドイツで最も大きな村の対人意識の弊害を、昨晩耳にしたと書き添えておくのも忘れてはなるまい。
コメント (2)
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