オーストリアを車で通過するとき、ラジオはイェルク・ハイダーの道路標識闘争を盛んに伝えていた。アルプス共和国では十年来問題となっているようだ。ドイツ語とスロヴェニア語の二重表示が、後者の少数民族を抱えるケルンテンでは採用されている。これは、オーストリアの憲法で保障されている少数民族としてのスロヴェニア・クロアチア人保護に則っているらしい。多数と少数の鬩ぎ合いと法の条項の網目を上手に政治的に利用するのが、民族主義的ポピュリストである。末梢の条文を扱う連中の如何に浅ましい行為かを如実に伝えている。
少数民族が国家の枠組みを超えて生活している様子は、北イタリアにも多く見られるようである。その地域でのドイツ語についての記事を読むと、政治的・経済的な線引きだけでは誤解を招く、少数民族文化が存在する事が分かる。そしてそれらは、現在使われているような現代ドイツ語でなくてエッチュ語などと呼ばれる古いドイツ語を残していると言うのである。文豪ゲーテは、残念ながらこれらに気が付くことなく、俗物らしく暢気にさらに南へと旅を続けている。それらの点在地域はピエモンテからケルンテン・スロヴェニア国境にまで広がる。
それらとは別にチロルは、政治歴史的に独自のドイツ語文化圏であることは良く知られている。そしてその地域は、オーストリアとイタリアの双方に含まれている。後者の住人は、イタリア語の教育を受けているので、バイリンガルである。道路標識もトブラッハならドッビアコとも書かれていて判り易い。南ドロミテのトリエント地域に比べると、ドイツ文化色が支配的と言いながらも、ボルツァーノ地域は、決してモノトーンにならずに独自の文化を保持している。
イタリアとオーストリアの憲法や其々の少数民族を比較する事などは出来ないが、EUの枠の中で如何に地域性を持ちえるかが課題であるとすれば、チロルやトレンティーノやドロミテの多様性は欧州の粋でもある。政治よりも歴史的入植地域文化が先ず存在すると言う意味で、これらの地域文化には特に深く配慮したい。
民族差別を避けるための条文が、その本来の趣旨である他者の尊重と言う本旨を離れて、逆に政治的に利用される。こうした自己喪失を恐れる民族主義者は、個人的IDが未発達なためコンプレックスを持っており、政治家はそれを利用する。自他の区別が困難なので、自らが信ずる多数民族グループに自らをも同化しようとするのが、これら民族主義者の特徴である。母国などと言う言葉が既に哀れで嘆かわしい。
少数民族が国家の枠組みを超えて生活している様子は、北イタリアにも多く見られるようである。その地域でのドイツ語についての記事を読むと、政治的・経済的な線引きだけでは誤解を招く、少数民族文化が存在する事が分かる。そしてそれらは、現在使われているような現代ドイツ語でなくてエッチュ語などと呼ばれる古いドイツ語を残していると言うのである。文豪ゲーテは、残念ながらこれらに気が付くことなく、俗物らしく暢気にさらに南へと旅を続けている。それらの点在地域はピエモンテからケルンテン・スロヴェニア国境にまで広がる。
それらとは別にチロルは、政治歴史的に独自のドイツ語文化圏であることは良く知られている。そしてその地域は、オーストリアとイタリアの双方に含まれている。後者の住人は、イタリア語の教育を受けているので、バイリンガルである。道路標識もトブラッハならドッビアコとも書かれていて判り易い。南ドロミテのトリエント地域に比べると、ドイツ文化色が支配的と言いながらも、ボルツァーノ地域は、決してモノトーンにならずに独自の文化を保持している。
イタリアとオーストリアの憲法や其々の少数民族を比較する事などは出来ないが、EUの枠の中で如何に地域性を持ちえるかが課題であるとすれば、チロルやトレンティーノやドロミテの多様性は欧州の粋でもある。政治よりも歴史的入植地域文化が先ず存在すると言う意味で、これらの地域文化には特に深く配慮したい。
民族差別を避けるための条文が、その本来の趣旨である他者の尊重と言う本旨を離れて、逆に政治的に利用される。こうした自己喪失を恐れる民族主義者は、個人的IDが未発達なためコンプレックスを持っており、政治家はそれを利用する。自他の区別が困難なので、自らが信ずる多数民族グループに自らをも同化しようとするのが、これら民族主義者の特徴である。母国などと言う言葉が既に哀れで嘆かわしい。