週末の教皇ベネディクト十六世のミュンヘンでのミサやそれに関しての報道を引用して簡単に触れておく。
TV中継なども観ていないので、その状況は分らないが予想されたよりも少ない人出であったという。
骨子として、「もう我々は神を聞く事が出来ない、余りにも多くの他の周波数が耳元で鳴っている。」として、「神に対して難聴」とするのがなかなか示唆に溢れている。
我々の生活圏が脅かされていて、「社会の問題、お互いの責務と正義の支配、世界の愛は、神のテーマをもって結ばれている。」とする。
ドイツの教会を称えて、その救済姿勢による大きな広がりを見せる社会活動は、特にアフリカの、アジアの神父達から報告を受けて知る所のものであるとした。しかし、そのドイツ教会の信仰の問題には殆ど注意を授けなかったと伝える。
「アフリカやアジアの民族は、言えば我々の技術的能力をまたは経済を賛美しているのであって、同時に全神を人々の視野から別け放つある種の合理主義というものに、またその彼らの文化に押し付けようとするその最高の合理と見るものに、驚き慄いている。」-
「彼らはキリスト教の信仰に自らのアイデンティー喪失を恐れるのではなくて、法的自由としての神への冒涜や軽視、また研究の将来的成功に最終的な倫理としてそれを利用することを恐れているのである。」。
「ベネディクトは更に続けて、他の神への畏敬を寛容すべきであり、尊重すべきでありとして、世界は一つの神を必要として、 彼 の 神 聖 を授ける」と報じる。
「我々が信仰告白するとき、その神は、暴力に苦を対抗させるものであり、悪やその権力に対して克服と終焉として哀れみを授けるものである。」と語り、現代社会における歴史的に培われた伝統の重視とキリスト教的価値観への忠誠を誓ったとある。
同日臨席したケーラードイツ連邦共和国大統領は、国内で大きな勢力となって来ている教会合同への願いを伝えたのに対し、心から助力するが五百年の歴史を事務的な一書きで消すことは出来ないと反論したとある。特にインターコムニオンと言われる合同の晩餐はローマは認めないとして、ドイツの現状を真っ向から否定している。
先日、結構長い付き合いをしているヴァイマールからの東ドイツ人とポーランド南部出身の奥さんと話していると、妊娠中期といいながら既に洗礼の準備に大童である。他のポーランド人妻を持つ英国人も同じように溢す。伝統と言うか宗教と言うか、神道の七五三のようなものだけれど生活の中に組み込まれて形式化していて本質が見えなくなっていることも多そうである。
参照:
皇帝のモハメッド批判 [ 文化一般 ] / 2006-09-16
テヘランからの恋文 [ 文学・思想 ] / 2006-09-15
世俗の権力構造と自治 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-09
新興地の無い普遍性 [ 生活 ] / 2006-09-09
あの時のイヴェント [ 歴史・時事 ] / 2006-09-12
影の無い憂き世の酒歌 [ 音 ] / 2006-09-08
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
今日のメモ (たるブログ)
TV中継なども観ていないので、その状況は分らないが予想されたよりも少ない人出であったという。
骨子として、「もう我々は神を聞く事が出来ない、余りにも多くの他の周波数が耳元で鳴っている。」として、「神に対して難聴」とするのがなかなか示唆に溢れている。
我々の生活圏が脅かされていて、「社会の問題、お互いの責務と正義の支配、世界の愛は、神のテーマをもって結ばれている。」とする。
ドイツの教会を称えて、その救済姿勢による大きな広がりを見せる社会活動は、特にアフリカの、アジアの神父達から報告を受けて知る所のものであるとした。しかし、そのドイツ教会の信仰の問題には殆ど注意を授けなかったと伝える。
「アフリカやアジアの民族は、言えば我々の技術的能力をまたは経済を賛美しているのであって、同時に全神を人々の視野から別け放つある種の合理主義というものに、またその彼らの文化に押し付けようとするその最高の合理と見るものに、驚き慄いている。」-
「彼らはキリスト教の信仰に自らのアイデンティー喪失を恐れるのではなくて、法的自由としての神への冒涜や軽視、また研究の将来的成功に最終的な倫理としてそれを利用することを恐れているのである。」。
「ベネディクトは更に続けて、他の神への畏敬を寛容すべきであり、尊重すべきでありとして、世界は一つの神を必要として、 彼 の 神 聖 を授ける」と報じる。
「我々が信仰告白するとき、その神は、暴力に苦を対抗させるものであり、悪やその権力に対して克服と終焉として哀れみを授けるものである。」と語り、現代社会における歴史的に培われた伝統の重視とキリスト教的価値観への忠誠を誓ったとある。
同日臨席したケーラードイツ連邦共和国大統領は、国内で大きな勢力となって来ている教会合同への願いを伝えたのに対し、心から助力するが五百年の歴史を事務的な一書きで消すことは出来ないと反論したとある。特にインターコムニオンと言われる合同の晩餐はローマは認めないとして、ドイツの現状を真っ向から否定している。
先日、結構長い付き合いをしているヴァイマールからの東ドイツ人とポーランド南部出身の奥さんと話していると、妊娠中期といいながら既に洗礼の準備に大童である。他のポーランド人妻を持つ英国人も同じように溢す。伝統と言うか宗教と言うか、神道の七五三のようなものだけれど生活の中に組み込まれて形式化していて本質が見えなくなっていることも多そうである。
参照:
皇帝のモハメッド批判 [ 文化一般 ] / 2006-09-16
テヘランからの恋文 [ 文学・思想 ] / 2006-09-15
世俗の権力構造と自治 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-09
新興地の無い普遍性 [ 生活 ] / 2006-09-09
あの時のイヴェント [ 歴史・時事 ] / 2006-09-12
影の無い憂き世の酒歌 [ 音 ] / 2006-09-08
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
今日のメモ (たるブログ)