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現在でも旧市街に珍しく残る木造梁作りの家屋が、旅籠「紡ぎ車屋」スピンレードルである。また、近代を象徴する建造物として、フルヒゥトハレと呼ばれるフローレンスのルネッサンス期の建物を真似た市がある。
名前が示すように農産物の市場でもあったのが次第に、工業化に伴ってザールラントから運ばれた石炭や鉄、加工品などが売られるようになる。そのうちに、ルートヴィッヒ鉄道がザールランドからノイシュタットを通ってルートヴィヒスハーフェンへと開通して、本格的な集積地となっていくらしい。
1846年にルートヴィヒス一世によって開会した市場は、同時に集会場としても構想されていた。1849年5月にはハムバッハーフェストの革命派は、ここに暫定政府を樹立したが、6月にはプロイセン軍に制圧されている。
労働運動と社会主義運動を考えると近くのマルクスの生地トリアーでの組合運動も無視出来ないようだ。これらは余り話題とならないが、最近中国人観光客がトリアーに集結していることを考えれば、再び歴史の中で脚光を浴びることもあるのかもしれない。
再びここの町の近代史へと戻るならば、町の中のあるデパートの建物が目に入る。地上階の上に天井が低く設置されているのが倉庫なのである。こうした市内の発展に平行して工業化が進んでいった。
もう一つここの町の道路の番号表示は色分けされている。これは大変珍しいようで、火災の際の消化水槽組別の色分けになっているらしい。
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