役割理論で有名な社会学者ラルフ・ダーレンドルフについてユルゲン・ハーバーマスが書いている。80歳の誕生日を記念して先日行なわれたオックスフォードのセイント・アンソニーカレッジでの祝賀会に際して投稿している。
社会学上の難しい話であるその解釈や業界事情はいざ知らず、こうしたスター学者の業績を僅か数行にて纏めた部分に目を奪われたので転記する。
「工業社会における社会層と社会紛争(1957)」、「社会的人類(1961)」、「社会と自由(1961)」と今や古典となった論文において、既にその後頑固に追い詰められる独自のこの自由主義者の思想を形作る定理が含まれている。
その一つの目の定理は、ルソーに対抗させてカントとマックス・ヴェーバーを扱いながら、その実はマルクスが標的にされる。 ― 社会的不公平は、一義的に所有の不均衡に因るのでは無く、規範に沿った社会的行動が制裁によって強いられる必要性に因るのである。その制裁は、支配構造の副産物的なものであって如何なるそのような社会においても内包されるものである。
その二つ目は、古典的社会主義に対して向けられていて、市場流通を自由のメカニズムの中心に置く。 ― 国民における法的公平は、機会の均等として最前線にあるべきもので、部分的なものとされるべきではない。つまり、個人の可能性の実現は、紛争状況において、社会的不公平の負荷以上に重要となる。
兎も角もデュルケムが全く忘れ去られること無く ― 我々が大なり小なり合理的に選択する事の出来る多様な可能性において、その社会許容が縮小するとき、その社会連合は破綻する。
こうして話者を疎ましく思わせた論陣であり、その世代の話題へと本筋へと迫って行くのだが、現在総選挙への運動が始まった連邦共和国において再び社会経済や節度が叫ばれるとき、話者は次ぎのように力説している。
ダーレンドルフは、ドイツの問いかけは、国民的で社会的な問いかけであって、自由を愛する民族の自由主義的で民主主義的な問いかけではなかったのだと、ドイツ人を懇々と諭した。そしてまた左派自由主義は、ドイツ国家主義を引き継いだ両面性を持って衰退した。
もちろんここまで読むと、彼のハーバーマスの言わんとしている事から、その成果としての先のワールドカップドイツ大会で示された自信に満ちた連邦共和国民のパトリオティズムを思い浮かべないものはいないだろう。
その根源には満ち溢れる自尊心とそれを齎す教育があり、その一方世界には未だに支配構造における制裁が社会規範を制する社会や社会層が存在して、そのような教育すら存在することの忌々しき意味を考えなければいけない。
参照:
Jahrgang 1929 von Juergen Habermas, FAZ vom 02.05.2009
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その二つ目は、古典的社会主義に対して向けられていて、市場流通を自由のメカニズムの中心に置く。 ― 国民における法的公平は、機会の均等として最前線にあるべきもので、部分的なものとされるべきではない。つまり、個人の可能性の実現は、紛争状況において、社会的不公平の負荷以上に重要となる。
兎も角もデュルケムが全く忘れ去られること無く ― 我々が大なり小なり合理的に選択する事の出来る多様な可能性において、その社会許容が縮小するとき、その社会連合は破綻する。
こうして話者を疎ましく思わせた論陣であり、その世代の話題へと本筋へと迫って行くのだが、現在総選挙への運動が始まった連邦共和国において再び社会経済や節度が叫ばれるとき、話者は次ぎのように力説している。
ダーレンドルフは、ドイツの問いかけは、国民的で社会的な問いかけであって、自由を愛する民族の自由主義的で民主主義的な問いかけではなかったのだと、ドイツ人を懇々と諭した。そしてまた左派自由主義は、ドイツ国家主義を引き継いだ両面性を持って衰退した。
もちろんここまで読むと、彼のハーバーマスの言わんとしている事から、その成果としての先のワールドカップドイツ大会で示された自信に満ちた連邦共和国民のパトリオティズムを思い浮かべないものはいないだろう。
その根源には満ち溢れる自尊心とそれを齎す教育があり、その一方世界には未だに支配構造における制裁が社会規範を制する社会や社会層が存在して、そのような教育すら存在することの忌々しき意味を考えなければいけない。
参照:
Jahrgang 1929 von Juergen Habermas, FAZ vom 02.05.2009
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