Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

日常の営みを認識するということ

2010-05-12 | 文化一般
伝統文化だけでなく、身近にある日常文化と呼ばれるものを正しく、その文化圏以外に伝える作業はとても難しい。その難しさには様々あるが、両者に共通しているのは継承している文化をその担い手自体が十分に意識出来ていないことにあるように思われる。

それが、先に芸術家と団欒した節に出て来た話題となる。つまり、「日本の文化などは縁遠すぎ過ぎて、棒にも足にも引っかからない」となる。まさにその通りであって、例えば同じ一神教の中でも激しい葛藤があるからこそそれが新たな理解への足掛かりとなる対話が生まれる訳で、対話が無い所には本当の理解などはありえないとなる。

対話自体が他者の理解のためにだけ必要なのではなく、まさに自己の信条や考えを整理整頓する基本になることに他ならない。要するに対話の無い所にはまともに扱うべき対象もないとなる。

具体的にそれを詳しく述べるにはここでの少々の雑文では綴り尽くせる筈はないのだが、その考え方を言語化するかしないかするとする次元ではなく、学問所謂自然科学を基本とするその考え方への認識と対照化こそが当初からのこのBLOGの基本主題であるから、可能な限りなにやらを綴っていくしかないと考える。

好例として、先の茶会において、その意図を最も汲んだヴォルムス地方の新聞記事からそれをみて行くのが良いかもしれない。その「瞑想と内的清め」と題した新聞記事の内容は、以下のようである。

「歴史的市会議場にて水曜日の午後に注目すべきことが起こている。二階のその広間では、アルフォンス・ハーク市長が小さな舞台の上で気持ち良く胡坐をかいで座っている。心地よく落ち着き、そしてお香が香る。線香がかすかな炎を燻らし、辺りに極東の香りを燻らす。
アルフォンス・ハークは、緊張を解いて心地よさそうだ。彼は、日本のお菓子を楽しみ、黒い茶碗を手に取る。市長は、頭を垂れ、上等の御茶である抹茶を三度に分けて飲む。ハークは、どうして次期自治体選挙後の連立交渉の秘密会合ではないのか。否、彼は今、日本の茶会の招待客なのである。」

「ラインネッカー独日協会アンドレ・ファン・デン・ベルク会長の紹介で謂れ深い遠州流がビュルシュタットを訪れている。茶人堀内議司男師匠は、日本の瞑想と内的清めの茶を紹介する。その茶の心とは、他を歓迎して受け入れることである。千年の流れの中で、その儀式やその流れは、日本固有の神道のみならず、禅を初めとする仏教や道教・儒教の影響を受けている。」(続く



参照:
異文化の非日常をかける少女 2010-05-07 | 女
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