Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

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退屈凌ぎに将来への新たな一歩

2010-05-31 | 試飲百景
新たな道への第一歩であった。ドイツのワインの将来への道程の一つに違いない。少なくとも、当日のブュルクリン・ヴォルフ醸造所当主挨拶にあった1994年からの取り組み、つまり高名なフランスのビオデュナミの使徒によってその道に出会い、更に地形も気候も似ているブルゴーニュ式の地所のクラス付け、つまりテロワールを重視したリースリングの栽培と醸造へと踏み出したときに既にこの道は意識されなくとも刻まれていたとしか思われない。

その新しい道こそが、天然酵母を使った香り高い本格的な辛口ワインの醸造への道であり、それを実現させるためになしたビオデュナミーを意識した渾身を込めた葡萄栽培の長い道程であったとも言える。当主の話に昨年にも増して強い意志が漲り一種の迫力を醸し出したことでも分かるのは、「ローマへの道」を歩んでいる自信や自負があるからに違いない。

我々は必ずしも早期に判定を下す必要はないのであるが、既にここまで積み重ねてきた着実な軌跡をそこに見れば、道の続く先の方へと雨上りの轍のようなものが自然に浮かび上がってくるのである。個人的には必ずしもそれほど近づくことなく適当な距離を置くどころか批判も交えてここまでそれを追って来たのであるが、そのような客観性が必要では無くなるほどの実績として、そのワインの品質を目の辺りにすれば、感慨深いものがある。その豊かに実る葡萄を一目見るならば、少なくとも土いじりをする者ならば、そこまで追詰めた葡萄の品質に気付かずには居れないであろう。

先日試した土地名のワイン即ちオルツヴァインの素晴らしさから、直ぐに地所名のワイン即ちプリミエクリュと呼ばれるラーゲンヴァインの品定めを始めた。どれも来週から瓶詰め作業が行なわれるという最終の御披露目で本当の意味での樽試飲であった。瓶詰め作業が始ると少なくとも四週間ほどは注入の圧力によって掻き廻されて本来の姿には戻らない。暫しの別れなのである。

ヴァッヘンハイムのアルテンブルクは、どれほど売れたかは分からないが、2008年産においては一押し商品であった。それが、今年は前座を務めている。特に樽試飲となると、そのミネラルの出方が楽しめなくてまるで沈んでいるような感じで、もっともその表情が分からり難かったリースリングであった。二つ目にはゲリュンペルを試すが、これはまるで90年代の前半を思い出すようなシャープさで、その殆ど刺すほどのスパイシーさはまるでダイデスハイムのヘアゴットザッカーを思い起こさせる。そしてここでもオルツヴァインに続いて残り味に苦味が残る。その苦味の正体は如何に?それにしても気泡も全く無いこれだけ活き活きとして香り高い天然酵母醸造のリースリングがあっただろうか?否!

次ぎのゴールトベッヒャルが今回の御披露目の瞠目すべき成果のハイライトであったろうか?その塩味は、レープホルツ醸造所のそれ以上で、いつも見慣れたあの地所からのこのミネラル風味には驚いたと同時に、昔半辛口などで馴染んだそれに再開したノスタルジーのようなものを感じたのである。流石に涙を零すところまでは感動しないが、既にワイングラスの中には涙が潜んでいたのである。その分、酸の効き感は薄く若干甘めに感じるのは、如何にに三位一体のバランスでリースリングの味覚がなり立っているかということを示したに過ぎない。この根っ子こそが深く、ビオデュナミのせいかと言われるとなるほどとしか思わないほど、その深くの地盤から来ているミネラル風味であることはその何の変哲も無い地所からして明らかだ。要するに渾身で葡萄を育てることで、葡萄の方が素晴らしいお返しをしてくれたことになる。

ルッパーツベルクのホーヘブルクは今まで殆ど購入した事の無い地所からのワインであるが、酸が効いて、清潔に凛と角が立っている今年の典型的なリースリングであった。あまりに気持ち良いので思わず大量注文しようと思わせたぐらいである。そして、この辺りから後味に苦味を感じ無いものが続出して来たのに気がついた。

そして、ダイデスハイムのランゲンモルゲン、昨年は酸が表に出たので人気がなかったが、今年は2007年に続いて間違いなく買い手が殺到するワインである。この熟成すると白檀風味の黒飴のような味になるワインが、今年は素晴らしく小またが切れ上がってキュートで美しいのである。これだけ最初が美しいとその後を知っているだけに後が怖くなるほどの美少女リースリングである。

これだけ述べれば、同じ樽試飲で供された特級地所からのワインつまりグランクリュについて触れる必要もないだろう。まだ二か月以上は木樽で眠ることになる。要するに熟成を重ねる。それでもガイスビュールも綺麗で細身、アルコールを強く感じたカルクオーフェン、酵母臭を感じたペッヒシュタインと、殆ど成功は手中にしているのを確認するのだが、同時にあの気になっていた後味の苦味がもはやここには全く無いことに気がついた。

そのペッヒシュタインの土壌の恩恵こそが、あの石切り場の作業にあったとは知らなかった。そこで掘り出された黒い玄武岩は、建物や道路のプラスターなどに使われただけではなかったのである。百年前ほどにそこの石屑が、今ペッヒシュタインと呼ばれるドイツでも重要な特級地所にばら撒かれて現在の土壌となったようである。奇しくも、愛好者を沢山持つ二つの地所ダイデスハイムのホーヘンモルゲンとフォルストのペッヒシュタインが人工的な手を持って素晴らしい土壌化しているのは何とも面白い。そしてその当時は現在のようなテロワールを出したワインのためではなくて、只黒い石が熱を集めるとしか考えなかったに違いない。その考え方の傾向は、二十年前までそれほど変わらなかったとも言える。その横にある地所が塵箱ゲリュンペルなのもなんとなく予想出来るのである。

実は、それに関しては醸造責任者と激論を交わしたのであった。「あんたは、直ぐ構造化して考える。木樽とかステンレスとか、そんなものじゃないんだよ。フォン・ブールにはブールのやり方があるんだ。天然酵母とは関係無い話でね。」と苛立ちはじめるから、「僕が興味あるのはね何処でどのように判断して決断されるかなのですよ」と反論する。そして、「それなら、グランクリュには出なくて、プリュミエクリュに出る後味の違いの違いはなによ」と質すと、「それは完全に木樽を使っているかステンレスの樽が混じっているかだよ」、「ほら、それよ!」。

天然酵母を使う事よりもそれ以前に「葡萄の状態が良かったから、2008年産に比べて亜硫酸の使用量が増えておらず、寧ろ減っている」と元来モストに亜流酸を使う必要の無い状態の説明に続いて、安定剤的な使用も問い質し、窒素を上手に使う事で木樽での安定を図る点など、そして温度の話しになると、「天然酵母だけではないが放っておくと三十度を越えてしまうので冷却するが、その温度は明かせない」とかなりのところまで情報を引き出した。

そして結論的に構造化させて貰うと次のようになる。天然酵母であるかないか以前に、健康な葡萄であることを前提として、木樽のなかで時間をかければかける程、窒素のその表面を覆いながら?自然な穏やかな酸化を進ませることで、望まれない味覚の要素のみならず生物化学的な反応を排除して行くということになろうか。それどころかベクサーと呼ばれる味覚に否定的でしかない反応もそれによって牛耳ることが出来るとはじめて知った。要するに今まで不完全な形で商品かされていた天然酵母醸造ワインは、その葡萄が不健康であったか、経済上時間足らずで見切り発車的に商品化して仕舞った場合も少なくないのであろう。

そうこうしていると素人相手に弟子の説明があまりに力が入りすぎているのを心配してか師匠である四代目の親方クノール氏が心配そうにやってきた。

「素晴らしいですよ。こんな天然酵母醸造の辛口は知りませんよ」、
「全然変わっていない?」
「全然、嘗てのような香りと清潔さはそのままで、寧ろ複雑さが増してますよね。五年も掛かったって聞きましたが」
「そう、やりはじめて色々試みて、五回以上造っているよ」
「そして、長持ちするでしょう」
「その筈だが、それはこれからのことだから」

如何に針の秒針を先に進めるには、職人に限らず全身全霊を掛けた仕事によってしかなされないかである。親方は一日に五回も六回も樽を見に行ったと皆は語る。将来を見る事にしか営みはないのである。来年は、このような健康な葡萄が出来上がるとはあまり期待出来ないので今年の良い酵母を採取して、今年の秋のために選別無菌培養して2010年産の醸造に備えるという。留まることを知らない伝統の継承者でもある。

醸造責任者はいう。「同じことをやっていても退屈だからね」。

気がついて投稿の数を見ると99回目の試飲百景となった。奇しくも、こうした記念碑的なリースリングで、これだけ深くその蔵での仕事を探れたので、試飲体験の大きな区切りとなったような気もするのである。そしてこれで新たな「リースリング道」へと歩みを進められるかと思うと希望に胸が膨らむ思いがする。
コメント (4)
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