Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

力の抜けない未知の領域

2011-12-15 | 生活
ここぞのときに「力が入らない症候群」についての反響が大きかったようだ。繰り返しになるが、神経の問題であるとすると反復していつでも「つぼ」を刺激しておかないといけないということになるのだろう。

運動だけではなく、ある種の思考も頭を巡らしていないと退化すると考えてもおかしくは無い。以前ここでもラジオで聞いた「認知年齢」に関するハイデルベルク大学の研究にも準拠している。そこでは、反対に運動をしておくことが、脳の認知能力を退化させないことに繋がるというものである。

そこで以外にも挙がっていた子供のときの栄養状態を運動能力も適用すれば、なるほど体格やその他の運動能力の基礎は成長過程で作られるのは当然であって皆周知の事実である。一般的には遺伝子的な特徴とされることではあるが必要十分な栄養というものはあるだろう。

兎に角、加齢とともにその残された時間を考えるのか、無駄を無くしての合理かまでは良いとしても、視野を狭めて関心の対象を狭める傾向があるのをしばしば観察する。良く言われるような「好奇心の欠乏」とかも、その経験値からの帰納的な結果なのか、それとも恣意的な言い逃れなのかが疑問である。

その明快な回答が環境への認知能力の欠乏とすれば、やはりそこには社会的な環境の差異が存在して、個人の認知年齢ならず社会の認知年齢というものが存在するのは明らかである。

福島原発の作業工程の区切りの発表があるようだ。そもそも自己欺瞞の現状認識と認知能力はかけ離れたものであり、日本社会は長く明らかに痴呆症化しているのだろう。

水曜日のクライミングは、平均難度で半グレード上げ六級マイナスとしただけで、体に強い負荷が掛かった。力を抜けるどころか、なかなか力が抜けなかった。前日の晩のランニングの疲れもそこに乗り、ますます食道にストレスを感じた。金曜日までに回復させて、水曜日以上の負荷により良く対応出来るようになるだろうか。徐々に個人的に未知の領域へと入ってくる。反復練習あるのみである。



参照:
認知年齢の大差は何処に 2009-09-04 | 生活
弾けた太鼓腹の皮の行方 2009-06-05 | 生活
横腹の脂肪の切り落とし 2011-09-01 | 生活
ここぞのときの葉隠れ術 2011-12-14 | 生活
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