11月の降雨量が記録的に少なかったらしい。ラジオが伝えるところによると、例年は平米80Lのところが数リッターしか降っていないという。先日来霧が立ち込めて湿気が高いと思ったが、気温が上昇して地下から地上に浮き出した最後の湿気が冷やされたものだったのかもしれない。作物に影響を与えそうだ。
地下といえば、外国人を二桁暗殺し続けたアンダーグラウンドネオナチグループNPUの一部はハンガリーに拠点があったというがスイスにも活動拠点があったという。スイスはヒットラー政権と微妙な関係をとり続けて、その活動は続いている。逆にユダヤ系組織も強力であり、当然のことであろう。
ロンドンのトラファルガー広場を訪れてナショナルギャラリーを臨んだ人は、もしくはクラシックのLPなどを集めた人で知らない者がいないのは、隣にあるセント・マーティンフィールドの教会維持のために始められた演奏会であり、そのアカデミーと称する室内楽団だろう。
その指揮者として有名なネヴィル・マリナーがEUのプロジェクトとして旧ソ連の敵対通しの国々やスラヴ系の諸国の若者を集めて音楽をする楽団の指揮をベルリンのフィルハーモニーで行ったようである。音楽会前にカフェーでインタヴューが行われて新聞に紹介されている。
そもそもあのアカデミーの音楽は教会のチェンバリストのチァーチル氏と、その音響や奏法などで意気投合して成立して、ロワゾー・リールの録音が始まり、カラヤンに続く録音の数を誇るのは周知の事実である。
さて、手元のディコグラフィーを見ると、メインレパートリーのモーツァルトからブレンデルとの協奏曲数曲と交響曲がある。その他は一二枚小曲集のようなものがあるだけだろうか。改めて聴くと、イージーリスニング的なサウンドで20世紀に商品化されたモーツァルトの体現を確認できる。
つまり、イムジチ楽団がヴィヴァルディーでバロック音楽をBGMとして量産したようにモーツァルトの音楽をそのように消費物にした軽快感あるサウンドが功を奏した。まさにチェンバリストとの協力で、既に古学奏法や復興楽器などの活動が始まっていたにも拘らず、実際の楽師の労働条件や奏法などの問題から現代楽器においてイムジチにおけるバロック風の響きを創造したということになる。
上の協奏曲などでは、ピアニストが後年見せたようなモーツァルト演奏実践を十分に覗かせはするのだが、管弦楽は後年入れ直したマッケラス指揮のそれとは全く異なり、あらゆる表現をそり落としてイージリスニングにしてしまっているのには驚くばかりである。
昨晩ドイツ銀行の自動記入機を使うと、ヘッドフォン端子がついていることに初めて気がついた。ジーメンス・マックスドルフの機械だと思われるが、どうも視覚障害者のための装置のようだ。その機械で振り込みなどが出来るのだが、音声によって導かれるようになっているのだろう。
それではなぜボタンを押して環境に音声が流れるようにしていないのか?なるほどプライヴァシー保護の観点から外に音が漏れないようにしているのだろう。そしてなによりも無用な音を環境に発信させないようにすることが肝要である。警告音などの重要な音を除いて、所謂無駄な音の洪水はまさしくBGM効果と同じで人心に与える影響は計り知れない。少なくともBGMは人類をゾンビ化を加速しているのは間違いないだろう ― 丁度神戸牛をモーツァルトをバックグラウンドに飼育して旨い肉を獲得するように。もはや、TVなどに代表される受身の映像情報の氾濫は限界を示したが、音声情報に関してもその商業性に関連して市民は徐々にそのBGM効果に覚醒してきている。
参照:
アダージョ・イム・アウト 2011-11-03 | 雑感
最後の四半期の落穂拾い 2011-10-09 | 暦
細野補佐官のついた嘘 2011-06-08 | テクニック
手触りのよい本 2006-04-09 | 文学・思想
六十六歳、人生の始まり 2006-03-02 | 生活
マイン河を徒然と溯る 2006-02-24 | 生活
生誕おめでとうかい? 2006-01-29 | 生活
文化的回顧と展望 2006-01-01 | 生活
麻薬の陶酔と暴徒の扇動 2005-11-02 | 生活
著作権の換金と集金 2005-08-07 | 文化一般
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
骨董化した空間のデザイン 2005-04-03 | 文化一般
地下といえば、外国人を二桁暗殺し続けたアンダーグラウンドネオナチグループNPUの一部はハンガリーに拠点があったというがスイスにも活動拠点があったという。スイスはヒットラー政権と微妙な関係をとり続けて、その活動は続いている。逆にユダヤ系組織も強力であり、当然のことであろう。
ロンドンのトラファルガー広場を訪れてナショナルギャラリーを臨んだ人は、もしくはクラシックのLPなどを集めた人で知らない者がいないのは、隣にあるセント・マーティンフィールドの教会維持のために始められた演奏会であり、そのアカデミーと称する室内楽団だろう。
その指揮者として有名なネヴィル・マリナーがEUのプロジェクトとして旧ソ連の敵対通しの国々やスラヴ系の諸国の若者を集めて音楽をする楽団の指揮をベルリンのフィルハーモニーで行ったようである。音楽会前にカフェーでインタヴューが行われて新聞に紹介されている。
そもそもあのアカデミーの音楽は教会のチェンバリストのチァーチル氏と、その音響や奏法などで意気投合して成立して、ロワゾー・リールの録音が始まり、カラヤンに続く録音の数を誇るのは周知の事実である。
さて、手元のディコグラフィーを見ると、メインレパートリーのモーツァルトからブレンデルとの協奏曲数曲と交響曲がある。その他は一二枚小曲集のようなものがあるだけだろうか。改めて聴くと、イージーリスニング的なサウンドで20世紀に商品化されたモーツァルトの体現を確認できる。
つまり、イムジチ楽団がヴィヴァルディーでバロック音楽をBGMとして量産したようにモーツァルトの音楽をそのように消費物にした軽快感あるサウンドが功を奏した。まさにチェンバリストとの協力で、既に古学奏法や復興楽器などの活動が始まっていたにも拘らず、実際の楽師の労働条件や奏法などの問題から現代楽器においてイムジチにおけるバロック風の響きを創造したということになる。
上の協奏曲などでは、ピアニストが後年見せたようなモーツァルト演奏実践を十分に覗かせはするのだが、管弦楽は後年入れ直したマッケラス指揮のそれとは全く異なり、あらゆる表現をそり落としてイージリスニングにしてしまっているのには驚くばかりである。
昨晩ドイツ銀行の自動記入機を使うと、ヘッドフォン端子がついていることに初めて気がついた。ジーメンス・マックスドルフの機械だと思われるが、どうも視覚障害者のための装置のようだ。その機械で振り込みなどが出来るのだが、音声によって導かれるようになっているのだろう。
それではなぜボタンを押して環境に音声が流れるようにしていないのか?なるほどプライヴァシー保護の観点から外に音が漏れないようにしているのだろう。そしてなによりも無用な音を環境に発信させないようにすることが肝要である。警告音などの重要な音を除いて、所謂無駄な音の洪水はまさしくBGM効果と同じで人心に与える影響は計り知れない。少なくともBGMは人類をゾンビ化を加速しているのは間違いないだろう ― 丁度神戸牛をモーツァルトをバックグラウンドに飼育して旨い肉を獲得するように。もはや、TVなどに代表される受身の映像情報の氾濫は限界を示したが、音声情報に関してもその商業性に関連して市民は徐々にそのBGM効果に覚醒してきている。
参照:
アダージョ・イム・アウト 2011-11-03 | 雑感
最後の四半期の落穂拾い 2011-10-09 | 暦
細野補佐官のついた嘘 2011-06-08 | テクニック
手触りのよい本 2006-04-09 | 文学・思想
六十六歳、人生の始まり 2006-03-02 | 生活
マイン河を徒然と溯る 2006-02-24 | 生活
生誕おめでとうかい? 2006-01-29 | 生活
文化的回顧と展望 2006-01-01 | 生活
麻薬の陶酔と暴徒の扇動 2005-11-02 | 生活
著作権の換金と集金 2005-08-07 | 文化一般
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
骨董化した空間のデザイン 2005-04-03 | 文化一般