Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「絆」に結ばれる日本の心情

2011-12-23 | 文化一般
夕刻のラジオSWR文化波が伝えていた、「今年の日本の文字は絆である」と。「冷温停止」でも、「福島」でもなく、「絆」が選ばれたのは日本人の絆の気持ちというのである。

いくつもの現地インタヴュー取材を交えた十分ほどの情報であったが、なるほどと思わせると同時に、「絆」は「連帯」ではないと直ぐに思いつくのである。

番組の中でも一般の人が語っていたように家族の絆とか親子とかそうしたところから、日本全体へと絆が広がるのが自慢らしいのである。

なるほど、これはヘーゲル教授でなくとも、そうした共同体の強いては国の成り立ちが、地縁血縁の集合として成り立っていることを包み隠さずに吐露していたと理解する。

朝鮮人の哀悼の様子を見るといつもぱんそりなどの朝鮮の伝統文化を思い出し、そこから日本の近松や演歌などの文化へと思いをめぐらすのであるが、朝鮮人のそれはあまりにも形式化された醒めた意識がどうしても浮かび上がってくるので ― 同じ儒教の影響があっても毛主席の死去のときの中華人の泣きには遥かに厳しい圧力があったと文革世代から聞いた ―、日本の絆というような危うい関係ではないような印象を強くする。

なるほどと書いたのも、そうした危うい日本人の心情も分らないではないのだが、実際にそうしたものが社会を動かしているとするととても興味が尽きない。まだ十分に読みきれていない、レヴィ・ストロースの「福島後の日本」の頁を開かなければいけない気にさせる現象である。



参照:
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
見識の無いパラダイムシフト 2011-08-23 | 文学・思想
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
広島・長崎を相対化する福島 2011-08-06 | 歴史・時事
セクシャルな「福島」文化の本質 2011-07-24 | 文化一般
コメント (2)
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