Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

キタロー、履き違えじゃ

2012-03-08 | 文化一般
風邪を引いた。うつされたかどうかは分らないが、流行っている感冒である。今朝起きると喉が詰まっていた。軽くうがいをしたが遅かった。昨日の目覚めに熱っぽかったのは寝不足のせいではなくて。気温に対応できなかったのに違いない。今晩はおとなしくしていることにする。裸で飛び回ったのがいけないのだが、直ぐに直るだろう。

新聞を見ると九十の誕生日の水木しげるの会見風景が写真入で紹介されていて、ドイツでもフランスから遅れること漸く出版社がつくことが報じられている。調べてみるまで妖怪辞典などはフランスで好評発売されているのを知らなかった。

キタロウでおなじみの水木しげるであるが、戦争で無くした左手とともに玉砕を生き残った語り手として貴重な存在であることは変わりない。そしてその妖怪ものには常に近代文明批判が背景にあったのは誰もが認めるところだろう。

知らなかったのは「ヒトラ」と称されるヒットラーを題材にした漫画で、これもフランスで発売中であるが、ドイツでも出版されそうである。兎に角、キタロウが下駄を履いてドイツの町を闊歩するのは近い。その前に妖怪辞典上下巻のフランス語版を勉強しようかと思っている。

現在の日本のように明るい町にした「明るいナショナル」にも責任があるのは間違いないのだが、暗い夜と貧しさが結びついた背景は興味深い。少なくとも欧米においては、明るさよりも安らぎの夜が健康な豊かさの象徴であって、昼のように明るくした夜の生活などは不健康そのものであることには間違いないのである。

そして、明るさと豊かさを混同して履き違えたのは必ずしも松下幸之助だけではない。一体どうした過程で暗さと貧困が結びついたのか?そこには日本の独自の近代化の諸相があるようだ。

ドイツでのエネルギー消費量は下がる傾向にあるという。この暖冬の影響だけでなく、夜は早く寝て、夏時間を利用して、出来るだけ太陽の光で暮らすこと、その為には暗くなってからの外出を自制して、健康的な生活をするの限るのである。その結果がドイツ経済の力強さに結びついている。

夜の生活のために安いチケットが残っているようだと思って、マウリツィオ・ポルリーニの土曜日のリサイタルを予約しようと思った。昨年の秋にキャンセルされたものでショパンとリストのプログラムである。35ユーロならば車代にもならないがと思って調べると75ユーロ以上しか売れ残っていない。録音などを聞いてももはや嘗ての威光の無いピアニストであり、機会があれば最後にもう一度聞いてみるかと思ったが、ガソリン代よりも高くつくので価値が無い。

正しく現代の大コンサートホールに空き席をおいての煌々とした照明の下でのショパンもリストももはや何かを履き違えているとしか思われない。そうしたことを意識しない者は、芸術音楽などを鑑賞してもなんら脳みその足しにすらならないのである。精々、水木しげるの妖怪辞典でも紐解いているのが宜しい。

必要以上の夜の明かり、そしてその中に隠されているのは、正しく遺伝子のように引き継がれた前近代的な貧困の生活感の反動となるのだろう。夜の帳が下りて熱を感じるようになった。体内温度計では七度四分はありそうだ。完全に遣られたが、基礎体力があるので、明日ぐらいには全快して欲しい。



参照:
摂氏零下の小夏日和 2012-03-07 | 暦
先ずはそこからだ! 2012-03-06 | アウトドーア・環境
コメント (2)
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