ここに来て前原元外相などが再稼動を計画に組み込んでいる。なにがなんでも原発零を受け入れられない理由は明らかだ。なんらの公の説明と議論無しに、「国是」を引き継ぎ遂行する日本の政治家に政権交代など必要がない。先ずは即刻停止してから議論を尽くして、国民投票とするべきである。もはや既得権益権を保持して政策を推し進めることは出来ないであろう。
北京の天安門広場にある国立博物館でドイツ古典絵画の大展覧会が開かれているようである。題して啓蒙の芸術である。ドイツの外務省はヴァスターヴェレ外相にシナ学のティルマン・シュペングラーを同行させて啓蒙の議論を大々的に起こそうとしたようだが、ヴィザ発給を拒否された。
ドイツ政府にとっては、艾未未などのこともあって、美術展としてシナ人を少しでも教育しようとしたようだが、逆に反撃を食らったようだ。日本においても中々成功しないこうした文化的な教育は更に高い長城の立ちはだかる壁にいとも簡単に跳ね返されてしまう。
そもそもドイツ連邦共和国が歴史的大国シナを教育しようとすることの方がおこがましい。そのおこがましさはポスト植民地主義のなかでのグローバリズムの問いかけであるとするのは、三島憲一教授の業績に関して語ったユルゲン・ハーバーマスのみる反照である。
その三島憲一教授が311を受けての日本国内での運動は一過性のものだとする意見は正しいのかどうか。なるほど中共における啓蒙への道はマルキズムによって昇華されるようだが、日本の思想界においても勿論戦後それ以上には複雑であろうが解決されてきたのであろう。しかし、311を受けてここに来てとてもそのようなものではないことが明らかになってきている。
首相官邸前で再稼動反対の運動などが繰り広げられているようだが、数はまだまだ少ないとは言ってもこうした動きが正しく伝えられない限り、日本人の民意は一向に向上しないので、ドイツ連邦共和国はあらゆるルートを使って開かれた社会を日本に要請したのであった。それを敢えて無視続ける外務省の基本政策こそが、今回の事故を通じてそして日本政府の原発政策への固執に火を見るよりも明らかになった。
毎日放送ラジオMBCの「たね蒔きジャーナル」のアーカイヴで先週の番組を聞けた。飯館村の避難者からの二人が電話でインタヴューに答えていたが、とても優れた内容であった。飯館村がエコを目指して、酪農や林業での美しい村つくりを目指していたことは聞いていたが、こうして村営書店をもって、子供たちをフライブルクのエコ村へと派遣したことを知り、そのインタヴューを聞くにつけ、今回の事故で風向きから最も厳しい被曝を受けてしまった飯館村とそうした共同体を見捨てる判断をした為政者の卑劣と惨さを思わずにはいれない。
その子供たちがフライブルクを昨年の八月に訪れた報告が一冊の書籍「未来への翼」として纏められているようだ。その概要を見ると先月訪れたシュワルツヴァルトのジーモンヴァルトを子供たちが訪れて村の再生可能エネルギーの生活を見学してきたようだ。周辺には小さな国際的な産業もあって興味深いのだが、何の変哲もないエンゲルと言う旅籠だけが目に付くような村のそうした取り組みを興味深く思うと共に飯館村からの訪問者の気持ちを思う。「どうして自分の飯館村だけこんな目に遭うのか」と誰もがあの何もない村に立って気持ちの良い空気の中で思うに違いない。そうした村もアルザスで事故が起これば同じような境遇に一瞬にして陥る。そのよう何理不尽なものを受け入れる者はいないに違いない。
参照:
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理
までいな暮らし普及センター (愛称:までいな家) (飯舘村)
北京の天安門広場にある国立博物館でドイツ古典絵画の大展覧会が開かれているようである。題して啓蒙の芸術である。ドイツの外務省はヴァスターヴェレ外相にシナ学のティルマン・シュペングラーを同行させて啓蒙の議論を大々的に起こそうとしたようだが、ヴィザ発給を拒否された。
ドイツ政府にとっては、艾未未などのこともあって、美術展としてシナ人を少しでも教育しようとしたようだが、逆に反撃を食らったようだ。日本においても中々成功しないこうした文化的な教育は更に高い長城の立ちはだかる壁にいとも簡単に跳ね返されてしまう。
そもそもドイツ連邦共和国が歴史的大国シナを教育しようとすることの方がおこがましい。そのおこがましさはポスト植民地主義のなかでのグローバリズムの問いかけであるとするのは、三島憲一教授の業績に関して語ったユルゲン・ハーバーマスのみる反照である。
その三島憲一教授が311を受けての日本国内での運動は一過性のものだとする意見は正しいのかどうか。なるほど中共における啓蒙への道はマルキズムによって昇華されるようだが、日本の思想界においても勿論戦後それ以上には複雑であろうが解決されてきたのであろう。しかし、311を受けてここに来てとてもそのようなものではないことが明らかになってきている。
首相官邸前で再稼動反対の運動などが繰り広げられているようだが、数はまだまだ少ないとは言ってもこうした動きが正しく伝えられない限り、日本人の民意は一向に向上しないので、ドイツ連邦共和国はあらゆるルートを使って開かれた社会を日本に要請したのであった。それを敢えて無視続ける外務省の基本政策こそが、今回の事故を通じてそして日本政府の原発政策への固執に火を見るよりも明らかになった。
毎日放送ラジオMBCの「たね蒔きジャーナル」のアーカイヴで先週の番組を聞けた。飯館村の避難者からの二人が電話でインタヴューに答えていたが、とても優れた内容であった。飯館村がエコを目指して、酪農や林業での美しい村つくりを目指していたことは聞いていたが、こうして村営書店をもって、子供たちをフライブルクのエコ村へと派遣したことを知り、そのインタヴューを聞くにつけ、今回の事故で風向きから最も厳しい被曝を受けてしまった飯館村とそうした共同体を見捨てる判断をした為政者の卑劣と惨さを思わずにはいれない。
その子供たちがフライブルクを昨年の八月に訪れた報告が一冊の書籍「未来への翼」として纏められているようだ。その概要を見ると先月訪れたシュワルツヴァルトのジーモンヴァルトを子供たちが訪れて村の再生可能エネルギーの生活を見学してきたようだ。周辺には小さな国際的な産業もあって興味深いのだが、何の変哲もないエンゲルと言う旅籠だけが目に付くような村のそうした取り組みを興味深く思うと共に飯館村からの訪問者の気持ちを思う。「どうして自分の飯館村だけこんな目に遭うのか」と誰もがあの何もない村に立って気持ちの良い空気の中で思うに違いない。そうした村もアルザスで事故が起これば同じような境遇に一瞬にして陥る。そのよう何理不尽なものを受け入れる者はいないに違いない。
参照:
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理
までいな暮らし普及センター (愛称:までいな家) (飯舘村)