先日お隣さんから聞いたことは正しかった。いつも行くパン屋の対抗馬に出来ていたパン屋が閉店したと言うのだ。いつもの帰りに車を徐行させると店は開いてなくて、整理されている様子だった。最初に今通うパン屋に立ち寄る前に訪ねてから、徐々に疎遠になって行ったパン屋だが、自家製のパンを新しく入れた機械で焼いていたので、またもこうした自家製パン屋の閉店は残念である。ここでもそのとき報告したように、ブロツェンはまずまずの出来だったが、パン自体は悪くはなかった。それどころか胡桃入りなどは得がたかった。
しかし今行きつけの店に通うようになると、そこが冬場閉まっている間もその期間だけそこの店に行く気もしなくなくなった。おかみさんは決して悪くはないのだが、開店が2008年夏として半年以内の2009年冬にはなにかも一つ繁盛していない感じで雰囲気が悪くなったのである。こちらも普段はそこに通っていないので益々行き辛くなった感があった。結局七年もたなかったのだ。
理由は色々あるだろうが、老舗の現在通う店の方が若い職人を入れて、恐らく旦那は他所のパン工場の親方をしているのだろう、先代が亡くなってからもパワーアップした感じがした。そのようなことでこちらも頑張ってそこで高額になるケーキなどを熱心に買い続けたのだ ― こうした一軒を買い支えるだけでも大変なのだ。最初は見習い程度だったティーンエイジャーの女職人も腕をつけてきた。歩いていけるようなご近所の人でも同じ距離ならば、老舗を選ぶようになったのではないか?
勿論パンの種類などには相違があって、明らかに老舗が出来る限り素材の限られた中でクラシックなパンを焼き続けるのに対して、片方は警察署や裁判所がある場所柄その客を狙って味パン系の素材が高価なものへと商品を充実させた。私自身は朝食用であり、もしくは必要なときのパンであるので、ケーキ以外にはそれほど衒ったもの要らない。それ以上に重要なのはブロッツェンなどの焼き上がりや出来具合だからである。勿論老舗の方が素朴でありながら、与える点数は五点ほど高かった。それどころか最近は可也いい線に達している。だから時々警察官が態々パトカーを坂の上まで走らせてパンを買いに来ていたのだ。
そして更に悪かったのは、親仁が仕事を終えてから店の小さなカフェーコーナーで新聞を見ながらうろうろしているのだ。それだけならばよいのだが、なにか愛嬌の無いただの職人で、客に対応する気など毛頭ないというタイプの、働いていながらの髪結いの悪い亭主のような感じを漂わせていたのだ ― 清潔感とは違う、清々しさのようなものがパン屋には求められる。せめて親仁に職人を超えて客の話を聞くぐらいの熱心さがあればと感じたのだった。決して小さくない投資をしていて残念に思うとともに、これで尚更老舗の方に期待しなければいけなくなった。
老舗の方もこうした事態を予想していたのかどうかは知らないが、駄菓子屋のようにしていたスペースで立ちカフェーを出来るようにした。坂の上なので態々そこを訪れるか、作業の序に訪れる職人などにハムやチーズを挟んだパンとコーヒーを提供するようになっている。あまり無理をしない範囲で経営を安定させて欲しい。こちらも毎日通うわけには行かないから支出額も知れている。
FAZのオバマ大統領がTTPとTTIPで苦境に立っていることを伝える記事が載っていたが、その社説を読む。経済紙でもある高級紙がこの問題に対してどのようにコメントしているかである。経済面の冒頭なのでそれにしか触れていない。そこには合衆国の車産業の本来ならば最も恩恵を蒙る産業でさえ、更なる為替変動に対するサンクションなどを欲張りしていて、完全自由化には賛成していないことに触れられている。産業関連でもナフタの結果を見て、メキシコに拠点が移るなどの一人勝ちが出来ていない事から、多くの合衆国市民が負け組みになると感じているとしている。要するに、貿易自由化に自信を持ってグローバル化を図れると感じているのは極一部の米国人となっているようなのだ。その他に、他国との貿易交渉が締結してもそれが議会で後追いで否認されるとする法に基づかない交渉締結の問題などが法的議論となっているとされ、まるで東京で起こっていることのそのもののような非法治化がワシントンでも起きているのだろうか?
参照:
年間一千五百万円不要 [ 料理 ] / 2008-11-10
反反理性への感情的高揚 2015-06-16 | 歴史・時事
価値判断のありどころ 2015-05-07 | 文化一般
しかし今行きつけの店に通うようになると、そこが冬場閉まっている間もその期間だけそこの店に行く気もしなくなくなった。おかみさんは決して悪くはないのだが、開店が2008年夏として半年以内の2009年冬にはなにかも一つ繁盛していない感じで雰囲気が悪くなったのである。こちらも普段はそこに通っていないので益々行き辛くなった感があった。結局七年もたなかったのだ。
理由は色々あるだろうが、老舗の現在通う店の方が若い職人を入れて、恐らく旦那は他所のパン工場の親方をしているのだろう、先代が亡くなってからもパワーアップした感じがした。そのようなことでこちらも頑張ってそこで高額になるケーキなどを熱心に買い続けたのだ ― こうした一軒を買い支えるだけでも大変なのだ。最初は見習い程度だったティーンエイジャーの女職人も腕をつけてきた。歩いていけるようなご近所の人でも同じ距離ならば、老舗を選ぶようになったのではないか?
勿論パンの種類などには相違があって、明らかに老舗が出来る限り素材の限られた中でクラシックなパンを焼き続けるのに対して、片方は警察署や裁判所がある場所柄その客を狙って味パン系の素材が高価なものへと商品を充実させた。私自身は朝食用であり、もしくは必要なときのパンであるので、ケーキ以外にはそれほど衒ったもの要らない。それ以上に重要なのはブロッツェンなどの焼き上がりや出来具合だからである。勿論老舗の方が素朴でありながら、与える点数は五点ほど高かった。それどころか最近は可也いい線に達している。だから時々警察官が態々パトカーを坂の上まで走らせてパンを買いに来ていたのだ。
そして更に悪かったのは、親仁が仕事を終えてから店の小さなカフェーコーナーで新聞を見ながらうろうろしているのだ。それだけならばよいのだが、なにか愛嬌の無いただの職人で、客に対応する気など毛頭ないというタイプの、働いていながらの髪結いの悪い亭主のような感じを漂わせていたのだ ― 清潔感とは違う、清々しさのようなものがパン屋には求められる。せめて親仁に職人を超えて客の話を聞くぐらいの熱心さがあればと感じたのだった。決して小さくない投資をしていて残念に思うとともに、これで尚更老舗の方に期待しなければいけなくなった。
老舗の方もこうした事態を予想していたのかどうかは知らないが、駄菓子屋のようにしていたスペースで立ちカフェーを出来るようにした。坂の上なので態々そこを訪れるか、作業の序に訪れる職人などにハムやチーズを挟んだパンとコーヒーを提供するようになっている。あまり無理をしない範囲で経営を安定させて欲しい。こちらも毎日通うわけには行かないから支出額も知れている。
FAZのオバマ大統領がTTPとTTIPで苦境に立っていることを伝える記事が載っていたが、その社説を読む。経済紙でもある高級紙がこの問題に対してどのようにコメントしているかである。経済面の冒頭なのでそれにしか触れていない。そこには合衆国の車産業の本来ならば最も恩恵を蒙る産業でさえ、更なる為替変動に対するサンクションなどを欲張りしていて、完全自由化には賛成していないことに触れられている。産業関連でもナフタの結果を見て、メキシコに拠点が移るなどの一人勝ちが出来ていない事から、多くの合衆国市民が負け組みになると感じているとしている。要するに、貿易自由化に自信を持ってグローバル化を図れると感じているのは極一部の米国人となっているようなのだ。その他に、他国との貿易交渉が締結してもそれが議会で後追いで否認されるとする法に基づかない交渉締結の問題などが法的議論となっているとされ、まるで東京で起こっていることのそのもののような非法治化がワシントンでも起きているのだろうか?
参照:
年間一千五百万円不要 [ 料理 ] / 2008-11-10
反反理性への感情的高揚 2015-06-16 | 歴史・時事
価値判断のありどころ 2015-05-07 | 文化一般