Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

未知との遭遇の恐怖

2015-10-24 | 雑感
とてもおかしな夢を見た。宇宙人との遭遇だった。見た目は人類と変わらないのだが、適当な距離を置きながら近づいて行く過程と、最終的には破局を迎えるまでの夢だった。具体的には我々人類と陣地にやってきた宇宙人の女性との話し合いが和気あいあいと進み、それではと宇宙人側から男が出てきた。そこで我々側の机に座っていた右端にいた男の右手に持っていた説明のための指し棒が、宇宙人女性の目の端に触れたかと思うと、そこから破局が始まった。宇宙人の女が少し顔色を変えたかと思うや否か、直ぐに攻撃のスイッチが入った。我々の陣地は防衛のために簡単には外へと逃げられない、宇宙人の暴力になすすべもなくどんどんと人類は惨殺されて行った。

一体どこからこんな物語が出て来るのか。昨今の異性人との遭遇の可能性の高まり感や、恐らくイスラム国などの異文化との遭遇、もう一つは憲法九条そして自己防衛圏の問題で、既に日本などの一国では到底全面戦争には堪えられない軍事力の不均衡などの情報が背後にあったのだろう。

新聞に難民問題の連邦共和国の意識調査の結果が出ていた。五割を超える過半数が難民の量的な問題を感じているが、その中でも左派党の支持者がAfDの支持者に続いて最も難民増加を危惧していて、上限を設ける必要性を感じている。AfDはぺギタ運動の中核にあって当然であるが、東ドイツを中心とする左翼支持者が未知との遭遇に最も恐れているのも当然であろう。

車中の文化波ラディオニュースは、週末から難民の強制退去の空輸が始めることを報じていた。緑の党のバーデンヴュルテムベルク州からは、カールツルーヘやバーデン・バーデンの飛行場からチャーター機などで送り返されるのだが、量が足りないので空軍も輸送の任務に当たるようだ。いわゆる経済難民と呼ばれるような人たちを大々的に強制送還することで流れにブレーキをかけると同時に、法治的な姿勢を示すことで連邦国内の不信感を拭う効果が期待できる。

先ほどの連邦政府議会では、与党SPDの一部100名ほどが法案採決に反対した。テレコムなどの私的データー保存に関する法律に反対したものだ。大連立与党であるから、討議拘束せずに自由な採決だったのだろうが、こうして個人の政治家が自主の姿勢を示すことは重要である。この辺りにも政党政治の問題点や解決方法がある。

先日購入したCD四種の中の二種類がライヴ録音だった。殆ど騙された思いだが、それはそれなりに面白かった。理由は、デジタル録音とその編集作業の技術から、作られたライヴ録音が技術的に試された時期があったようだからである。

特にバーンスタイン指揮のニューヨークの管弦楽団の演奏はやはり可成り質が高い感じだ。そもそも制作録音でもこの組み合わせのものはがさがさした印象が多いのだが、この1987年88年のライヴ録音で編集が上手く行っているのか、とても印象が良い。音質も雑音が少なく、細部までマルティマイクロフォンで綺麗に録れている。

もう一つのライヴものである家庭交響曲の録音の方も、こちらはヴィーナーフィルハーモニカ―だが、少なくとも複数回の演奏会とリハーサルの音源が使われているのだろうが、雑音がエラーが切り取られて、挿入編集されているだけでなくて、細かなところも配慮されてその後に演奏されているようで、ある程度演奏上の修正が効いているようだ。面白いことに制作録音の方が横着なままのテークがとられていて、寧ろ粗さも目立っている。こちらの方は価格が高過ぎるが、安ければあまり文句はない出来だろう。

ネットの解析にバーデン・バーデンの祝祭劇場の座席に関するキーワードがあった。良い座席はどこかと質問されたとしたらどう答えるか?基本的には近代的なホールなので大きさの割にはどこも悪くはない。特に正面は遠くなければかなり良い。平土間も反射音との釣り合いが問題になるだけで、サイドも視覚だけで最前列は全然悪くないのだ。ミュンヘンなどの古い劇場に通うようになると雲泥の差であり、またアルテオパーと比較しても広い割に直接音がよく通る。

音響と言えばもう一つのCDのサンフランシスコの交響楽団の演奏は全然悪くはないのだが、どうも会場が上野の文化会館のように低音の減衰が不自然なようで、この交響楽団の響きを決めてしまっているようだ。小澤の新世界交響曲の録音を思い出した。ボストンでのラフマニノフの録音を比較すると、会場の音響が与える交響楽団への影響は大きい。

ヴェルディ「アイーダ」の録音は予想を超える芸術的な成果のようだ。「マクベス」、「シモンボッカネグラ」と並ぶ制作のようだが、なぜそれらと比べて評価があまり高くないのかを確かめたい。少し流しただけでも、ミュージカル化されるようなこのオペラのエンターテイメント性で落ちてしまっている芸術的な美が追及されている。その美意識にこそ先ごろ亡くなったこの指揮者の真骨頂があったのは間違いない。それにしてもこのデットなスタディオでよくもストライキも無く座付管弦楽団をここまでしごいたものだ。



参照:
落ち葉踏まずに落穂拾い 2015-10-12 | 生活
スキャンダラスでないお話し 2015-10-15 | マスメディア批評
コメント
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