Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

鉛筆への文化的な熱い想い

2015-10-11 | 文化一般
シナ人の今年最後の大規模な爆買ツアーが話題になった。聞くところによると、株価暴落などがあっても既に現在までに昨年の二倍ものシナ人が日本を体験したようだ。来年は今年の二倍にはならないかもしれないが、もはやこの波はシナの繁栄の象徴として止まらないであろう。

あれだけ共産党の反日宣伝が執拗に続けられていても、寧ろそれゆえにシナ人の日本への憧れとシナの繁栄を映し出す鏡として、その共産党一党支配ゆえに自己確認として、日本にその理想を求める姿には圧倒されるものがある。

シナの中産階級の子供たちは、お土産に貰った三菱の鉛筆 ― 先月軍事産業三菱グループの不買運動として国会前で名指しした学者がいたが、この会社は全くグループ企業ではないので大きな間違いである ― を学校に持って行って得意げに自慢するのである。まさしくこれがブランドイメージであり、民需の貿易や経済活動こそが自由主義社会の世界の基盤である証なのだ。

そもそも中共やその社会の自由へや民主化への道程は、中華思想とは直接関連しないのであり、その目指す社会がまともであればなんら問題が無いのである。同じように中共の逸早い平和的な崩壊とその民主化のためには、更なるシナ人が日本を体験することと、その日本自体が市民運動によって立憲民主主義の手本を示すことが最も手っ取り早い方法であることは間違いなさそうである。こうした環境が、シナのこれからも増大する中産階級への広範な文化的影響として計り知れないことは自明である。

満州生まれの小澤征爾の話題から、偶々シナ制作の2007年訪問時のTV番組らしき断片を観た。興味深かった。なによりもボストン饗を引き連れてのシナツアーや七回の訪問の長い繋がりである。それどころか満州植民地政策に深くかかわった父親の開作まで遡ると、文化歴史的な意味合いも無視できない。最初の訪問時だったかは、TVマンユニオンの制作したTV番組を観た記憶がある。最初の時は毛沢東の死と重なり合っていたことは気がつかなかった。記憶にあるのは当時の文革の疲弊から抜け切れていなかったシナの姿だった。要するに中共も小平体制へと大きく変動する時期と、天安門事件を経ての現在の繁栄へと繋がる道程の時期に符合するのである。

同時に、今回初めて知ったのは、既に白髪頭で残念ながらもはや全盛期を越していたようだったが、ヴィーンの歌劇場を連れてシナの大都市で引越し公演をしていることである。そしてこちらでの最後のキャンセルがバーデン・バーデンでのヴィーナーフィルハーモニカー公演や2010年のベルリナーフィルハーモニカー公演であったように、もう二三年欧州で活動していたならば、その業績は歴史的に全く変ったものになっていたことを実感する。特にフォン・カラヤン財団との関係で、復活祝祭でも欠かせない存在となっていたのでは無いだろうか。

そしてなによりも、小澤のシナにおける名声やその親近感は、りんりんランランなどよりも欧州市場においても重要視される要素であって ― 当然のことながら西欧近代文化の受容と需要の一つとして ―、欧州各地での一通りの成功を収めた後での商業的な価値が全く異なっていたであろうと思うととても惜しいのだ。責めてあと二三シーズン、つまり2013年ぐらい迄は活躍して欲しかった。

小澤指揮の名録音を流している。フランスの管弦楽団との演奏では、ミッシェル・ベロフとパリ管とのストラヴィンスキーや放送管とのビゼー作品の録音なども評価すべきでとても素晴らしい。それでも、やはりコンサートホールで聴衆を魅了するほどの定評とならなかったことも事実だったろう。



参照:
小泽征尔-中国缘 (YOUTUBE)
火曜の夜の乱痴気 2007-02-21 | 暦
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
零八憲章刺す天叢雲剣 2008-12-24 | 歴史・時事
「コンサートは始まる」を20数年ぶりに再読 (日々雑録 または 魔法の竪琴)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする