パリの聴衆は満足したようだ。ミュンヘンの歌劇場アンサムブルの公演である。ここでも一度の音合わせで、完璧な音響効果と細部の拘りまで、初めてのヨーナス・カウフマンとの共演を成功させたようだ。写真を見ると聴衆には若い人も少なくない。
演奏会式上演のために総勢75名の移動と楽器の移動はそれほどの大掛かりではなかったが、「日本に三週間引っ越し公演をするのと同じぐらい重要な地平性を広げる活動」とするのは正しいだろう。新幹線が更に整備されれば、ミュンヘンからパリへと人々がもっと行き来するようになるかもしれない。カウフマンは来年ミュンヘンで「トスカ」で再びペトレンコと共演するようで、これも話題になるだろう。まるで一時期のスター総動員の東京引っ越し公演のような一つの黄金期を迎える勢いである ― 後述の契約延長で日本公演も組み入れられたと言うことだろう。
パリからミュンヘンに戻って来て、今後の契約の概要が明らかになり、ミュンヘンでは2021年までにその頂点を極めることになった。そしてベルリナーフィルハーモニカ―とは、2019年の秋の音楽監督就任までに2019年にはツアーが入っているというから、バーデン・バーデン復活祭にも初登場するのだろう。
個人的には、2020年復活祭までに、ミュンヘンとバーデン・バーデンでこの指揮者とサイモン・ラトル指揮で「超オペラ」の数々を体験することになる。そこに「モーゼとアロン」上演が入ってくるかどうかは分からないが、ミュンヘンとベルリンを掛け持ちするとなるとそこに素晴らしいプロジェクトが予想される。バーデン・バーデンでベルリナーフィルハーモニカ―とミュンヘンの歌劇場との共同プロダクションとなると面白い。こうしたプロジェクトの多彩さが斜陽で衰退する一方の交響楽団活動の可能性を拓くことにもなる。
バーデン・ヴュルテムベルクの高等音楽学校が改革されるようで、各学校ごとに専門を一つづつ定めて合理化されるらしい。殆ど外国人の学生に無料で音楽教育を授けるよりも、もう少し専門性を追求することになるのだろう。ペトレンコはドイツの教育を受けた訳でもなく、こうした新たな血を導入するためには社会的な枠組みが重要なことは議論を待たないが、教育機関が優れていても決して大きな効果が社会に還元される訳ではないことも事実だろう。
参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
演奏会式上演のために総勢75名の移動と楽器の移動はそれほどの大掛かりではなかったが、「日本に三週間引っ越し公演をするのと同じぐらい重要な地平性を広げる活動」とするのは正しいだろう。新幹線が更に整備されれば、ミュンヘンからパリへと人々がもっと行き来するようになるかもしれない。カウフマンは来年ミュンヘンで「トスカ」で再びペトレンコと共演するようで、これも話題になるだろう。まるで一時期のスター総動員の東京引っ越し公演のような一つの黄金期を迎える勢いである ― 後述の契約延長で日本公演も組み入れられたと言うことだろう。
パリからミュンヘンに戻って来て、今後の契約の概要が明らかになり、ミュンヘンでは2021年までにその頂点を極めることになった。そしてベルリナーフィルハーモニカ―とは、2019年の秋の音楽監督就任までに2019年にはツアーが入っているというから、バーデン・バーデン復活祭にも初登場するのだろう。
個人的には、2020年復活祭までに、ミュンヘンとバーデン・バーデンでこの指揮者とサイモン・ラトル指揮で「超オペラ」の数々を体験することになる。そこに「モーゼとアロン」上演が入ってくるかどうかは分からないが、ミュンヘンとベルリンを掛け持ちするとなるとそこに素晴らしいプロジェクトが予想される。バーデン・バーデンでベルリナーフィルハーモニカ―とミュンヘンの歌劇場との共同プロダクションとなると面白い。こうしたプロジェクトの多彩さが斜陽で衰退する一方の交響楽団活動の可能性を拓くことにもなる。
バーデン・ヴュルテムベルクの高等音楽学校が改革されるようで、各学校ごとに専門を一つづつ定めて合理化されるらしい。殆ど外国人の学生に無料で音楽教育を授けるよりも、もう少し専門性を追求することになるのだろう。ペトレンコはドイツの教育を受けた訳でもなく、こうした新たな血を導入するためには社会的な枠組みが重要なことは議論を待たないが、教育機関が優れていても決して大きな効果が社会に還元される訳ではないことも事実だろう。
参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般