Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

新鮮な発見に溢れる卒寿

2017-10-27 | 雑感
ブルックナーの交響曲七番のお勉強である。ブロムシュテット指揮シュターツカペレの録音を聞くと、二分の二拍子の一楽章第三主題のアクセントのアレグロモデラートの中での躍動感で、いつも田舎の踊りのように聞こえていた主題なのだが、ここではもっと洗練されて軽快に奏される。これをこの楽譜の見た目通りに「組み合わせカムが連なって動いているよう」に印象するのが頓珍漢かどうかはまた改めて考える。

第一、第二主題、そして展開部、再現部、終結、更にラシドの動機などとても重要な働きをしているのは交響曲の構造として当然なのだが、この交響曲における対位法手法からの逆行・反行などの動機のカノンなどを対旋律として浮かび上がらせるではなく正しく配置されるかどうかは、特にこの交響曲の価値を吟味する場合にはどうしても重要な視点に違いない。兎に角、素人感覚では最も簡単で単純に見えるこの一楽章の二拍子をしっかり振れている一流指揮者があまりいないことに気が付いた。

二楽章の主題も昔から風変りと思っていたのだが、四度、五度の跳躍などが四分の四拍子の中でうまく組み合わされて七度の跳躍へと繋がり、例の都会的で装飾的な三拍子の第二主題と組み合わされている。後に第九交響曲へと広がりゆくのが目に見えるほどだ。

三楽章は、一楽章を試みた後に、このトリオのスケッチ、総譜が完成していったという。いつものブルックナーのトリオなのかもしれない。スケルツォのスタッカートのついた動機的な関連や二連桁の動機などがそこに見られる。

結局同じく二拍子の四楽章の第一主題で二楽章での動機や、また第二主題のコラール対旋律に二連桁などがまたまた用意されていて、それが第三主題へと次から次へとネタバレのような推移になっている。そこが、少しいつものブルックナー作曲とは違うという感じがするのかもしれない。しかしその直ぐ後の主要主題を想起させた後の「農民踊り」のような節は今度はトレモロまでを伴って明白になっている。それどころかこれは牧歌的なホルンを鳴らす経過句となっている。この提示部のぐっと圧縮したような構成はそれぞれに絵を描こうとすると殆どコラージュ紛いなのかもしれない。そのあと一気呵成にクライマックスへと辿り着いてしまうので、この曲がコムパクトというような印象を偏に与えているのだろうか。

評価の高いオイゲン・ヨッフム指揮のベルリンでの全集からのこれも聞いた。テムポも早めであるが、充分に音化されていない印象もあった。その他の多くの評価の高いブルックナー指揮の演奏も比較したが、結局この指揮者の制作録音が最も楽譜を反映していた。やはりこの作曲家の交響曲を熱心に勉強する指揮者は殆どいないということなのだろう。もしくは真面な演奏をして録音できるような環境にいる指揮者が殆ど存在しないということらしい。その数少ないギュンター・ヴァント指揮の録音がただただ喧しいだけでコントロールされていないので使い物にならなかったのは大変遺憾だった。

90歳のヘルベルト・ブルムシュテットは、最近ブルックナーを熱心に取り上げており、昨年のバムベルクなどでの出来の悪いものもあるが、管弦楽団が上手ければ楽譜の情報を充分に音化してくれると期待する。さてゲヴァントハウスはどの程度の交響楽団なのだろうか。

未だに楽譜を勉強していて初めて気がつくがあると感動した面持ちで語る指揮者である。なるほど芸術音楽とはそうしたものなのだろうが、その一方で暗譜で指揮するこの老指揮者に一言疑念を呈したくなることもある。一般的に老人になると記憶が薄れる。するとこの暗譜で指揮する指揮者が毎日のように同じように新しい発見をして毎日のように忘れているとしても決しておかしくないであろう。それでも毎日が新鮮な発見に溢れているとすればやはりそれほど素晴らしいことはないだろう。
BRUCKNER, ANTON: SINF. Nº 7 E-DUR (EDIC. HAAS) - STAATSKAPELLE DE DRESDEN/HERBERT BLOMSTEDT cf.05m34


参照:
Klassiker der Woche: Löm-tödödöm-po-popfff(Tagesanzeiger)
腕次第で高くつくかも 2017-10-26 | 料理
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般
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