週末は、暖かかったのだが、運動が出来なかった。とても時間も余裕もなかった。次のコンサーツも二週間後に迫っていて、二種類のプログラムもお勉強しておかなければいけない。一つは、バーデンバーデンでのゲヴァントハウス交響楽団の演奏会で、ブルックナーの七番とメンデルスゾーンのヴァイロリンコンツェルトである。両方とも比較的問題の無い曲なので時間は掛からないと思うが、先ずは無難に後者はブライトコップ社の楽譜をDLしておく。
このコンサートの個人的な聴きどころは、何よりも初めてのゲヴァントハウス管弦楽団の生体験なのだが、この管弦楽団が本格的な由緒のある本格的な交響楽団なのか、それともその大規模所帯で当地のオペラ劇場で弾いている座付き管弦楽団なのかである。今まで考えたことが無かったのだが、今回ツアーの指揮を執る九十歳のブロムシュテットに言わせると、クルト・マズアーが残したその楽団に苦労した話しや、今年になって聴いたコンヴィチニー指揮「タンホイザー」の録音を聞くとどう見ても地方の座付き管弦楽団としか思えないからである。
ミュンヘンの座付き管弦楽団が舞台上でも向上しようとしているようだが、現在のそれと比較してゲヴァントハウスは全く違うのか、似た方向にあるのかなど知りたいと思う。少なくとも指揮者リカルド・シャイーが長く留まるような管弦楽団ではなかったようで、後任指揮者アンドリス・ネルソンズもどこまでやれるのかなどと、とても疑問に思っているからである。
もう一つのクリーヴランドの「利口な女狐」が結構厄介である。楽譜はピアノ譜を落としたので、音源として週末土曜日にデジタルコンサートでライヴで流された土曜日のベルリンのフィルハーモニーからの映像がULされるのを待つ。それを落として一通り確認しておきたい。ピーター・セラーズは今度はどのような仕事をしているのだろう。そして、ベルリンのフィルハーモニカ―とクリーヴランドのそれを直接比較出来るのが何よりも嬉しい。
陽が射して室内にいると黄金の10月が漸くやってきた気がすると同時に眠くて眠くて仕方がない。(承前)そこで先日のミュンヘンでのコンサートでの二つの批評記事に目を通す。先ずは前半の「子どもの不思議な角笛」に注目して目を通すと、思わず吹き出してしまった。一つは南ドイツ新聞なので日刊紙の書き方でもあるのだろうが、もう一つはネットでのクラシック音楽サイトであり、何よりもマティアス・ゲーネの「高等な芸術」を報告している。
前者は、彼の声がまるで高圧に閉じ込められたバスの力強い声のようで、柔らかな高音も絶えず基音に脅かされているようだと書き、その雷音は、まるで国立劇場の壁を震わすようだと表現している。声の大きいドミンゴではないので、まさかNHKホールを共振させるようだと思った人はいないと思うが、こういう表現も日刊新聞向きで面白い。
後者での叙述は若干専門的になるが、基本は変わらず、なによりもこの歌手の風貌とその芸風が殆んど狂人的な雰囲気を醸し出していて ― それ故にウラディミール・ユロウスキー指揮のザルツブルクの「ヴォツェック」の名唱がボツになったことが惜しまれるのだ ―、ここでは狂気と信心が最早かわらず、彼が丁寧に歌えば、聴衆はこの歌手が言葉を忘れたのではないかと凍り付きそうになるというのである。
そしてその声をして、まるでくすくすと火が燻っているようで、「この世の営み」での„Und als das Brot gebacken war, / Lag das Kind auf der Totenbahr.“ を挙げて、そこでは殆んど無色彩の声が、「トラムペットが鳴り響くところ」の„Allwo die schönen Trompeten blasen, / Da ist mein Haus, / Mein Haus von grünem Rasen.“ では、ぱっと燃え上がっていたと書く。勿論そのような無防備な道すがらを伴奏して、ペトレンコは只の名人芸を超えて、色彩と影でゲーネの「高等な芸術」を可能にしたと書いている。
キリル・ペトレンコは、この後期ロマン主義的な管弦楽のマーラー作品を古典現代曲の室内楽的ばりに、丁度ショスタコーヴィッチのそれのように扱い、そこでは千変万化のリズム的自由自在だけでなくて、木管、金管、弦の合成で色彩的な「イディオム」で彩ったとして、そうしたマーラーの近代的な音述だけでなく、屡々オペラ的な繋がりを感じさせたと書く。
そして、「聴衆は、今晩はいつもの食傷気味の粉ものマーラーでは無いと逸早く察知して、曲間では肺炎のサナトリウムかと疑わせるような、言葉の綾ではなく針が落ちても聞こえるかのようだった」と興味深い記述があり ― 到底コンサートホールのそれには比較出来ないと思うのだが ―、日本の聴衆は今後ともこのような記述がある度にほくそ笑むのではなかろうか?(続く)
参照:
"Musik als Gewaltakt", Reinhard J. Brembeck, SZ vom 11.10.2017
"Petrenko beeindruckt mit Mahler und Brahms", Bernhard Malkmus, KlassikInfo.de vom 11.10.2017
夕暮れの私のラインへの旅 2017-09-29 | 試飲百景
秋雨で10月のような気配 2017-08-12 | 雑感
このコンサートの個人的な聴きどころは、何よりも初めてのゲヴァントハウス管弦楽団の生体験なのだが、この管弦楽団が本格的な由緒のある本格的な交響楽団なのか、それともその大規模所帯で当地のオペラ劇場で弾いている座付き管弦楽団なのかである。今まで考えたことが無かったのだが、今回ツアーの指揮を執る九十歳のブロムシュテットに言わせると、クルト・マズアーが残したその楽団に苦労した話しや、今年になって聴いたコンヴィチニー指揮「タンホイザー」の録音を聞くとどう見ても地方の座付き管弦楽団としか思えないからである。
ミュンヘンの座付き管弦楽団が舞台上でも向上しようとしているようだが、現在のそれと比較してゲヴァントハウスは全く違うのか、似た方向にあるのかなど知りたいと思う。少なくとも指揮者リカルド・シャイーが長く留まるような管弦楽団ではなかったようで、後任指揮者アンドリス・ネルソンズもどこまでやれるのかなどと、とても疑問に思っているからである。
もう一つのクリーヴランドの「利口な女狐」が結構厄介である。楽譜はピアノ譜を落としたので、音源として週末土曜日にデジタルコンサートでライヴで流された土曜日のベルリンのフィルハーモニーからの映像がULされるのを待つ。それを落として一通り確認しておきたい。ピーター・セラーズは今度はどのような仕事をしているのだろう。そして、ベルリンのフィルハーモニカ―とクリーヴランドのそれを直接比較出来るのが何よりも嬉しい。
陽が射して室内にいると黄金の10月が漸くやってきた気がすると同時に眠くて眠くて仕方がない。(承前)そこで先日のミュンヘンでのコンサートでの二つの批評記事に目を通す。先ずは前半の「子どもの不思議な角笛」に注目して目を通すと、思わず吹き出してしまった。一つは南ドイツ新聞なので日刊紙の書き方でもあるのだろうが、もう一つはネットでのクラシック音楽サイトであり、何よりもマティアス・ゲーネの「高等な芸術」を報告している。
前者は、彼の声がまるで高圧に閉じ込められたバスの力強い声のようで、柔らかな高音も絶えず基音に脅かされているようだと書き、その雷音は、まるで国立劇場の壁を震わすようだと表現している。声の大きいドミンゴではないので、まさかNHKホールを共振させるようだと思った人はいないと思うが、こういう表現も日刊新聞向きで面白い。
後者での叙述は若干専門的になるが、基本は変わらず、なによりもこの歌手の風貌とその芸風が殆んど狂人的な雰囲気を醸し出していて ― それ故にウラディミール・ユロウスキー指揮のザルツブルクの「ヴォツェック」の名唱がボツになったことが惜しまれるのだ ―、ここでは狂気と信心が最早かわらず、彼が丁寧に歌えば、聴衆はこの歌手が言葉を忘れたのではないかと凍り付きそうになるというのである。
そしてその声をして、まるでくすくすと火が燻っているようで、「この世の営み」での„Und als das Brot gebacken war, / Lag das Kind auf der Totenbahr.“ を挙げて、そこでは殆んど無色彩の声が、「トラムペットが鳴り響くところ」の„Allwo die schönen Trompeten blasen, / Da ist mein Haus, / Mein Haus von grünem Rasen.“ では、ぱっと燃え上がっていたと書く。勿論そのような無防備な道すがらを伴奏して、ペトレンコは只の名人芸を超えて、色彩と影でゲーネの「高等な芸術」を可能にしたと書いている。
キリル・ペトレンコは、この後期ロマン主義的な管弦楽のマーラー作品を古典現代曲の室内楽的ばりに、丁度ショスタコーヴィッチのそれのように扱い、そこでは千変万化のリズム的自由自在だけでなくて、木管、金管、弦の合成で色彩的な「イディオム」で彩ったとして、そうしたマーラーの近代的な音述だけでなく、屡々オペラ的な繋がりを感じさせたと書く。
そして、「聴衆は、今晩はいつもの食傷気味の粉ものマーラーでは無いと逸早く察知して、曲間では肺炎のサナトリウムかと疑わせるような、言葉の綾ではなく針が落ちても聞こえるかのようだった」と興味深い記述があり ― 到底コンサートホールのそれには比較出来ないと思うのだが ―、日本の聴衆は今後ともこのような記述がある度にほくそ笑むのではなかろうか?(続く)
参照:
"Musik als Gewaltakt", Reinhard J. Brembeck, SZ vom 11.10.2017
"Petrenko beeindruckt mit Mahler und Brahms", Bernhard Malkmus, KlassikInfo.de vom 11.10.2017
夕暮れの私のラインへの旅 2017-09-29 | 試飲百景
秋雨で10月のような気配 2017-08-12 | 雑感