一日中韓国JTBCの中継を仕事をしながら流していた。日本のTV朝日が最も大掛かりな外国からの取材陣だったようだ。晩餐後の式典がまた注目された。アリランをジャズアレンジしたものをピアニストが弾いて、背後にはその日の重要な握手の映像が映写されるというもので、とても気が利いていた。費用も掛かっていた。こうなるとオリムピックではなくて、その映像の価値は世界に知らしめる以上に会談の場を感覚的に定着させる意図がある。つまり通常のイヴェントのそれを超えた表現が計られていた。韓国の映画などは金大中政権下で本格的に振興されたという事だったが、なるほどこうした出来を見ると優秀な人材やノウハウを集約させているのが分かった。つまり演出がしっかりしているという事で、決して形から入って時間を埋めるというような低級なものではなかった。
つまり二人の会見の主役の長い一日を描いているもので、当事者がそれを成果としてどのような気持ちで眺めたか?一部の映像は昼休みの各々の作戦会議でも少なくとも本人が全てを確認できるような時間はなかった筈で、初めて映像として客観視するような形になっている。謂わば一日スキー場で滑っていてその様子を食事後に観て、ああだったこうだったというような感じに近い。そこには間違いなく主役である二人の視線つまり主観と、こうしてカメラが捉えた客観との差異が生じている。同時に客観的な視線としても各々の中に世界が見たことつまり現実が定着するという事になる。
こうした定着を試みたのがその演出の主旨であることは確かで、政治の世界においてこれはとても面白い試みだと思った。それ以上に関心を引いたのは二人の奥さんを両サイドにした二人の主役が暗闇の中で固く手を握っている光景である。一部には気持ち悪いほどとの感想を見かけたが、たとえ身体コンタクトの多い朝鮮民族とはいっても確かに通常ではないだろう。勿論この伏線は、最初の出会いでの北側へ渡る時に金が文の手を取ったことである。この経緯は、文が問いかけをしていることから、ある程度南側が計算したものかもしれないが、手を繋ぐとは誰も思わなかったかもしれない。咄嗟の行動ではあるが、手を繋ぐことで全ての不慮の事態を防ぐという配慮が無意識にあったのかもしれないが、この手を握る行為は南側で昼休みまでに解析されたのかもしれない。それを受けての暗闇での御手て繋ぎとなったのだろう。首脳同士の外交においてはこうした身体的なコンタクトがここ暫く話題になっていて、欧州を引っ張るマコンがトラムプにキスしたことや、同じようにメルケルにトラムプがキスしたことなどが映像的に定着している。
それにしても流石に南鮮である。金正恩の生い立ちや情報の解析から大統領へとアドヴァイスが行われ、それをしっかりとやり通す文の手腕に感心する。また北鮮では私が書く様に歴史的な成果を強調したようだが、一体行間を読み抜く国民は真実をどのように分析しているのだろうか。金政権にとって大切なのは、強面の恐怖政治をしなくても本当の支持を人民から獲得することで、今後大きな守旧派勢力の反発にあうことを考えればとても重要なのかもしれない。金への印象は、やはりスイスのフランス語圏で教育を受けただけにトラムプなどとは比較にならないほど西欧的な合理性を持っているという印象だ。そのを裏打ちする様に、最新の調査では、ドイツの半数近くの市民は「トラムプの方が金より遥かに危ない」と答えている。
金曜日にテレコムから電話があった。先日の電話回線変更に伴う、電話番号の移動を質問したからだ。結論は可能という事で、一度だけ手数料10ユーロを払えば、あとは従来の電話回線を解約しても新しい回線で使えるようになる。一番助かるのはFAX番号として使っていて名刺等に明記してあるそれを訂正しないでも済むことだ。誰もFAXなどは使わないが、嘘は書いておけないので苦慮していたのだ。これで完璧に一回線はIP電話回線になって、インターネットも最も早い回線に入れる。もう一つはデジタル電話を使っているので、そのまま使っておく。何れ更なる圧力が掛かって、いずれは廃止という事になるのだろうが、お詫びかなんかで有利な状況になるまで居座るつもりだ。その間に使い勝手の違いなども審査できる。そして説明通りFAX番号が入っていた回線の契約解除を申し入れた。二週間ほどFAXは不通になるが何ら問題は無い。
ブラームスの協奏曲一番とシューマンの交響曲四番の楽譜を落とした。特に前者は分厚く響くだけのごつい音楽でしかなく、ブラームスの音楽としてもむさ苦しい音楽なのだが、昨今のキリル・ペトレンコ指揮のドッペルコンツェルトや第四交響曲を聞く限り、明らかに演奏の質が問われる曲となるだろう。あまり知らないがグレモーという人がそんなに暑苦しいユダヤ風の音楽をするわけではないだろうからネゼ・セガン指揮のフィラデルフィア管弦楽団の腕の見せ所だと思う。シューマンもその楽器編成など様々な問題があるので、何処までの演奏が出来るのかなど興味が尽きない。
キリル・ペトレンコが凝りもせずにヴィーナーフィルハーモニカー定期に登場して四番を振るらしいが、あれだけの指揮に対応してヴィーナフィルハーモニカーがどこまで弾けるのかは疑問でしかない。ヴィーンのマネージメントの関係で引き受けているのだろうが、時間の無駄ではなかろうか。東京でもこの楽団のティケットの売れ行きがもはや芳しくないようだが、私もバーデンバーデンのシーズン初日を購入していない。22ユーロならば大抵は行くのだが、ブロムシュテットでのブルックナーの七番はゲヴァントハウス管弦楽団で名演を聞いたのでもう沢山だ。メスト指揮の五番なら購入していたかと思う。不細工なティーレマン指揮のシュターツカペレの演奏の耳を洗い流したいからだ ― 19ユーロだったかしら。そのゲヴァントハウスはネルソン指揮で「悲愴」や「ブラームス」の四番なのでこれも耳を汚したくないと思った。名曲コンサートなんて一度名演を聞いたらあと四半世紀は行く気がしない。要するに訳の分からない一般大衆に売りつけるだけのプログラムなのである。
参照:
欠けた一片への想い 2018-04-28 | 歴史・時事
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感
つまり二人の会見の主役の長い一日を描いているもので、当事者がそれを成果としてどのような気持ちで眺めたか?一部の映像は昼休みの各々の作戦会議でも少なくとも本人が全てを確認できるような時間はなかった筈で、初めて映像として客観視するような形になっている。謂わば一日スキー場で滑っていてその様子を食事後に観て、ああだったこうだったというような感じに近い。そこには間違いなく主役である二人の視線つまり主観と、こうしてカメラが捉えた客観との差異が生じている。同時に客観的な視線としても各々の中に世界が見たことつまり現実が定着するという事になる。
こうした定着を試みたのがその演出の主旨であることは確かで、政治の世界においてこれはとても面白い試みだと思った。それ以上に関心を引いたのは二人の奥さんを両サイドにした二人の主役が暗闇の中で固く手を握っている光景である。一部には気持ち悪いほどとの感想を見かけたが、たとえ身体コンタクトの多い朝鮮民族とはいっても確かに通常ではないだろう。勿論この伏線は、最初の出会いでの北側へ渡る時に金が文の手を取ったことである。この経緯は、文が問いかけをしていることから、ある程度南側が計算したものかもしれないが、手を繋ぐとは誰も思わなかったかもしれない。咄嗟の行動ではあるが、手を繋ぐことで全ての不慮の事態を防ぐという配慮が無意識にあったのかもしれないが、この手を握る行為は南側で昼休みまでに解析されたのかもしれない。それを受けての暗闇での御手て繋ぎとなったのだろう。首脳同士の外交においてはこうした身体的なコンタクトがここ暫く話題になっていて、欧州を引っ張るマコンがトラムプにキスしたことや、同じようにメルケルにトラムプがキスしたことなどが映像的に定着している。
それにしても流石に南鮮である。金正恩の生い立ちや情報の解析から大統領へとアドヴァイスが行われ、それをしっかりとやり通す文の手腕に感心する。また北鮮では私が書く様に歴史的な成果を強調したようだが、一体行間を読み抜く国民は真実をどのように分析しているのだろうか。金政権にとって大切なのは、強面の恐怖政治をしなくても本当の支持を人民から獲得することで、今後大きな守旧派勢力の反発にあうことを考えればとても重要なのかもしれない。金への印象は、やはりスイスのフランス語圏で教育を受けただけにトラムプなどとは比較にならないほど西欧的な合理性を持っているという印象だ。そのを裏打ちする様に、最新の調査では、ドイツの半数近くの市民は「トラムプの方が金より遥かに危ない」と答えている。
金曜日にテレコムから電話があった。先日の電話回線変更に伴う、電話番号の移動を質問したからだ。結論は可能という事で、一度だけ手数料10ユーロを払えば、あとは従来の電話回線を解約しても新しい回線で使えるようになる。一番助かるのはFAX番号として使っていて名刺等に明記してあるそれを訂正しないでも済むことだ。誰もFAXなどは使わないが、嘘は書いておけないので苦慮していたのだ。これで完璧に一回線はIP電話回線になって、インターネットも最も早い回線に入れる。もう一つはデジタル電話を使っているので、そのまま使っておく。何れ更なる圧力が掛かって、いずれは廃止という事になるのだろうが、お詫びかなんかで有利な状況になるまで居座るつもりだ。その間に使い勝手の違いなども審査できる。そして説明通りFAX番号が入っていた回線の契約解除を申し入れた。二週間ほどFAXは不通になるが何ら問題は無い。
ブラームスの協奏曲一番とシューマンの交響曲四番の楽譜を落とした。特に前者は分厚く響くだけのごつい音楽でしかなく、ブラームスの音楽としてもむさ苦しい音楽なのだが、昨今のキリル・ペトレンコ指揮のドッペルコンツェルトや第四交響曲を聞く限り、明らかに演奏の質が問われる曲となるだろう。あまり知らないがグレモーという人がそんなに暑苦しいユダヤ風の音楽をするわけではないだろうからネゼ・セガン指揮のフィラデルフィア管弦楽団の腕の見せ所だと思う。シューマンもその楽器編成など様々な問題があるので、何処までの演奏が出来るのかなど興味が尽きない。
キリル・ペトレンコが凝りもせずにヴィーナーフィルハーモニカー定期に登場して四番を振るらしいが、あれだけの指揮に対応してヴィーナフィルハーモニカーがどこまで弾けるのかは疑問でしかない。ヴィーンのマネージメントの関係で引き受けているのだろうが、時間の無駄ではなかろうか。東京でもこの楽団のティケットの売れ行きがもはや芳しくないようだが、私もバーデンバーデンのシーズン初日を購入していない。22ユーロならば大抵は行くのだが、ブロムシュテットでのブルックナーの七番はゲヴァントハウス管弦楽団で名演を聞いたのでもう沢山だ。メスト指揮の五番なら購入していたかと思う。不細工なティーレマン指揮のシュターツカペレの演奏の耳を洗い流したいからだ ― 19ユーロだったかしら。そのゲヴァントハウスはネルソン指揮で「悲愴」や「ブラームス」の四番なのでこれも耳を汚したくないと思った。名曲コンサートなんて一度名演を聞いたらあと四半世紀は行く気がしない。要するに訳の分からない一般大衆に売りつけるだけのプログラムなのである。
参照:
欠けた一片への想い 2018-04-28 | 歴史・時事
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感