Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ナインのはそこやで~

2018-04-10 | 文化一般
月亭可朝の訃報が入ってきた。ムシの知らせがあった。週末辺りに大袈裟太郎の台北からの中継で名前が出てきたからだ。嘉門達夫に纏わるもので誤って彼の元弟子とか話していたので、鶴光のとまでは訂正する必要も無かった。兎に角、その当時のこの小米朝や小米(後の故桂枝雀)など米朝の筆頭弟子は仁鶴と並んで当時の大阪ラディオの花形だった。関東の談志と並んで鬼才の人物だったと思う。

フィラデルフィアからの生中継を聞いた。現地で日曜13時からの放送がこちらでは19時からだった。先ず送信出力がバカでかくて、どれほどのサーヴァーを用意しているのだろうかと思った。動画ストリーミングほどの容量があるのだろう。初めてだったので、本当に生中継されるのか不安だったが、素晴らしいストリーミングだった。

その有名なサウンドは、ユージン・オーマンディー時代の如何にもアメリカ的に大らかに鳴るそれで、その看板には偽りはなく、ムーティ指揮やザワリッシュ指揮の録音などでもとても立派な音響で鳴っているが、生での実力やその音楽性に関しては未知だった。現常任のネゼ・セガンの指揮は更にこの管弦楽団の可能性を感じさせた。立派に鳴るだけでなく、そのアンサムブルとソリスツの名人芸などが余裕を以って響いた。

ショスタコーヴィッチのソリスツには、日系や日本の姓名などが呼び上げられていたが、その人達は本当に音楽のエリートの人に違いないと思った。こんなに豊かに余裕を以って鳴る交響楽団は他に存在しない。楽器をとても上手に鳴らすだけでなく、楽器も驚くほどよく鳴る。弦から管、パーカッション、ピアノまでが一斉に鳴っても、団子に鳴るどころか、パワーが入れば入るほど音程が揃って分離感が冴えて来る ― ショルティ指揮シカゴの様に音が痩せない。要するに室内楽的に合わせて楽器間の受け渡すと同時にシームレスに合せて来る。

こんなに楽器が鳴る管弦楽団は欧州にはないが ― 奏法の流派や楽器の選択の要素は少なくないとしても ―、昨年聞いたクリーヴランドのそれとは正反対である。敢えて言えばキリル・ペトレンコ指揮のベルリンのフィルハーモニカーの目標ではないかもしれないが、フィラデルフィアのようにたっぷりと余裕を以って鳴らすことも、クリーヴランドのように精緻に鳴らすことも不可能であり、それは昨年の「悲愴」の第一楽章の展開部のあの鳴りの先に課題とするサウンドがあるのだが、この両楽団やシカゴのそれの程度までソリスツも合奏も水準が上がらないことにはお話しにならないと思う。要するに世代交代完了するまでの時間が必要となる。

久しぶりに森の中を走った。走ったと言っても登りは歩いた。胸がぜーぜーすることには変わりなく、就寝前に解熱剤を飲んでいる位だから無理は出来ない。それでも坂を上がると何ともなかったので、徐々に駆け足を初めて、最後には通常に近いスピードまで出ていたようだ。それでも登りには左足の脹脛はパンパンになり、一週間も使わないとこうなるのかとも思った。抗生物質も止めれないが、これで代謝作用も盛んにウィルスが抜けて呉れればよいなと思う。


写真:
ショスタコーヴィッチ七番「レニングラード」のフィナーレ、全強奏になればなるほど各パートの粒が立ってくる。



参照:
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評
コメント
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