投薬の効果があって、通常通りの起床となった。腰の痛みもとれた。通じもあり、朝食も僅か乍らの食欲が出てきた。前日は、抹茶と蜂蜜を入れて吉野本葛で葛湯を作ったが餅と湯の中間のようになった。水で薄めればよかったのだが、その固さ加減よりも味覚が無いので少々持て余した。夕刻にはヌードルスープを十分に食した。熱が下がっているうちに栄養を補給したかったからだ。胃腸を痛める危惧はあったが大丈夫だった。
仕事をしていると病気のことなどは直ぐに忘れて仕舞ったが、走りに行っていないことや洟を盛んに噛んで、戸外は晴天なのに寒気を感じているうちに薬が切れたらと思いだした。忘れる所だった。抗生物質を自身の書いた処方箋通りに飲んで、更に鎮静剤も半量に減らして服用する。再び発熱するのが怖い。
夜中は熟睡もしたが、喉の痛みがその分睡眠を阻害する要因になった。相変わらずベットに入ると寒気が酷く、まるでベットの周りが氷結しているような感じはこの二週間ほど変わらない。今まで一度も感じたことが無いので、屋根裏部屋の不思議である。陽射しが変わることも、暖房のあり方も変わっていない筈だが、今年は比較的早くから暖房を切るようにした影響はあるかもしれない。
寝込み始めるころに平山美智子の訃報が出ていた。初めはその文字から誰のことか分からなかった。音でしか聞いたことが無かったからだ。シェルシの曲を演奏するのにコンタクトを取っていた者から、その名を聞いていた。どこかにCDがあるかと探したが見つからない。作曲家ジャツィント・シェルシは、1988年に亡くなっている。
更に若い世代で生誕100周年の作曲家で、先月20日にそれが祝われたのが、20世紀ドイツの作曲家で一際人気の高いべルント・アロイス・ツィムマーマンである。18歳の時に父親を亡くした娘さんベティーナが中心になって書かれた書籍が出版された。未発表の書き物や写真など豊富な資料と個人の身辺者への詳しい取材に基づいた1970年に自死した作曲家が、研究家ライナー・ペータ―スのコメントを加えて描き出されているらしい。
改めて新聞評にも大書きされているのが、WDRの仕事とそのコラージュ創作への流れ、ダルムシュタットでのブーレーズやシュトックハウゼン、ノーノらとの距離感、そして晩年の苦悩として、ギュンター・ヴァントや先任者ヴォルフガンク・サヴァッリッシュらケルンの座長の反発、特に前者によってミヒャエル・ギーレンによるギュルツェニッヒ楽団での上演まで妨害されて、生を使い果たすことなどである。この本を読むと、もはやヴァントなどは許せない芸術を解さぬ破廉恥な楽師長でしかないとなるに違いない。あのブーブーと吹かすブルックナーを思い浮かべるとそのものこの書籍の表題で、作曲家が得意とした楽想記号ConTuttaForzaつまり全力を以ってを思い浮かべてしまうのが、何とも皮肉である。研究者や演奏家、愛好家には欠かせない書籍のようだ。一冊注文してみたい。
因みに私はあの楽長親仁のLPこそ保持しているが拍手も送ったことが無いだけでも幸いである。そのツィマーマンの生誕百年祭は、ドルトムントでもメッツマッハ―指揮のSWR放送交響楽団の演奏で催される。秋からバーデン・バーデン祝祭劇場に移るスタムパ支配人の最後の仕事のようである。一昨年亡くなったピエール・ブーレーズの百周年も数年後である。それまでにブーレーズハウスも整って、生誕90年以上に大掛かりな祭典がバーデンバーデンで期待される。
参照:
Eine singuläre Erscheinung der Neuen Musik, JOSEF OEHRLEIN, FAZ vom 20.3.2018
Eine Jahrhundertbiografie, SWR
ストリーミングの昨日今日明日 2017-08-20 | 文化一般
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
現実認識のための破壊力 2013-11-25 | 音
仕事をしていると病気のことなどは直ぐに忘れて仕舞ったが、走りに行っていないことや洟を盛んに噛んで、戸外は晴天なのに寒気を感じているうちに薬が切れたらと思いだした。忘れる所だった。抗生物質を自身の書いた処方箋通りに飲んで、更に鎮静剤も半量に減らして服用する。再び発熱するのが怖い。
夜中は熟睡もしたが、喉の痛みがその分睡眠を阻害する要因になった。相変わらずベットに入ると寒気が酷く、まるでベットの周りが氷結しているような感じはこの二週間ほど変わらない。今まで一度も感じたことが無いので、屋根裏部屋の不思議である。陽射しが変わることも、暖房のあり方も変わっていない筈だが、今年は比較的早くから暖房を切るようにした影響はあるかもしれない。
寝込み始めるころに平山美智子の訃報が出ていた。初めはその文字から誰のことか分からなかった。音でしか聞いたことが無かったからだ。シェルシの曲を演奏するのにコンタクトを取っていた者から、その名を聞いていた。どこかにCDがあるかと探したが見つからない。作曲家ジャツィント・シェルシは、1988年に亡くなっている。
更に若い世代で生誕100周年の作曲家で、先月20日にそれが祝われたのが、20世紀ドイツの作曲家で一際人気の高いべルント・アロイス・ツィムマーマンである。18歳の時に父親を亡くした娘さんベティーナが中心になって書かれた書籍が出版された。未発表の書き物や写真など豊富な資料と個人の身辺者への詳しい取材に基づいた1970年に自死した作曲家が、研究家ライナー・ペータ―スのコメントを加えて描き出されているらしい。
改めて新聞評にも大書きされているのが、WDRの仕事とそのコラージュ創作への流れ、ダルムシュタットでのブーレーズやシュトックハウゼン、ノーノらとの距離感、そして晩年の苦悩として、ギュンター・ヴァントや先任者ヴォルフガンク・サヴァッリッシュらケルンの座長の反発、特に前者によってミヒャエル・ギーレンによるギュルツェニッヒ楽団での上演まで妨害されて、生を使い果たすことなどである。この本を読むと、もはやヴァントなどは許せない芸術を解さぬ破廉恥な楽師長でしかないとなるに違いない。あのブーブーと吹かすブルックナーを思い浮かべるとそのものこの書籍の表題で、作曲家が得意とした楽想記号ConTuttaForzaつまり全力を以ってを思い浮かべてしまうのが、何とも皮肉である。研究者や演奏家、愛好家には欠かせない書籍のようだ。一冊注文してみたい。
因みに私はあの楽長親仁のLPこそ保持しているが拍手も送ったことが無いだけでも幸いである。そのツィマーマンの生誕百年祭は、ドルトムントでもメッツマッハ―指揮のSWR放送交響楽団の演奏で催される。秋からバーデン・バーデン祝祭劇場に移るスタムパ支配人の最後の仕事のようである。一昨年亡くなったピエール・ブーレーズの百周年も数年後である。それまでにブーレーズハウスも整って、生誕90年以上に大掛かりな祭典がバーデンバーデンで期待される。
参照:
Eine singuläre Erscheinung der Neuen Musik, JOSEF OEHRLEIN, FAZ vom 20.3.2018
Eine Jahrhundertbiografie, SWR
ストリーミングの昨日今日明日 2017-08-20 | 文化一般
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
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