パン屋が夏休み明けとなった。床屋が夏休みに入った。先週から気になっていたが、あと二週間我慢することになる。秋のことも考えて時期を考えていたのだが、判断が難しかった。19日に24日のミュンヘン行きが急遽入ったので、金曜日の髪結いがならなかった。九月のことを考えれば八月九日にサマーカットでいいのだが、この先最高に暑い時期の二週間の快適度が不安だ。火曜日にシャツを着ればあと二週間はTシャツで通せるので、運動をしない限り、襟首があまり気にならない。さてどうなるか?
土曜日のワイン地所の上縁をジョギングした。なんとのろのろとした動きだった事か。これでパン屋休み中の二週間に二回は一時間前後のハードな走り、一回の軽い走りが出来たのでまあまあだろうか。運動不足は否めないがその間ミュンヘンにも出かけたので、時間もあまりなかった。早速パン屋の裏の短いコースを走った。久しぶりに窓を開けて就寝したので、夜中に目が醒めて寝坊をしたが、森の中の気温は摂氏17.5度で苦しまずに済んだ。
夜中に目が醒めた時にはキャスティキングの声がタブレットからしていた。触ってみると熱くなっている。タブレットでこのようになるのは初めてだ。どうもキャスティングと光度の高いピクチャーヴューワーを同時に開いていて、布団に包まれていたのがいけなかったようだ。CPUが可成り過熱したと思うが、暴走もしておらず、アプリケーションを閉じて、使ったまま冷えるのも比較的早かったので、ダメージは最低限に留められたと願いたい。
「ジークフリート」二幕の二月三日公演のメモを見るとヨハネス・デングラーのホルンが明記してあった。何処が巧かったとかいうよりも、一幕を背後で吹いていて戻って来ていたからだろう。それでも三場の小鳥の歌に続いてのホルンの独奏は聞かせ所には違いない。しかし一場のところに書いてあるので、森のアルベリヒの背後で所謂「騎行」の動機が1,3で奏されるのでそこかも知れない。この幕でのコントラチューバが有名だが、バイロイトの2015年の録音でもそのホルン演奏はさしてよくない。デングラーのそれは重い音で鳴らすので良かったのだろう。どうしてもこの場面ではトロンボーンによる呪いが強調されるのだが、次に出て来るヴァンダラーとの絡みではとても重要で、特に今回はベルカントのコッホが歌うとなると、このホルンの響きが活きる。
Beethoven's 8th Symphony, two horn solo 3rd Movement
GANZ GROSSE OPER | Clip 7 | Deutsch HD German
Beethoven's 3rd Symphony, horn trio solo 3rd Movement
更にメモには、二場でのミーメとジークフリートの対照と、一転チェロが六拍子のEで柔らかい音を奏でていたようで、恐らく森の囁きの音楽とそれに続く四拍子のGの所謂愛の旋律の動機へと今度は分割されたチェロが美しいアンサムブルを繰り広がられたことだろう。ここは恐らく楽匠の書いた最も柔らかな音楽だと思うが、その母性へのイメージのようなものがダイレクトに表現されている。またそこでE管のホルンが「小鳥の動機」を奏するのが憎い。
三場になるとこれまたオーボエ、クラリネット、ホルンに留意しているが、様々な動機が組み合わされるのは、一幕一場と同じなのだがここでは室内楽的な書法となっていて、大交響楽のスケルツォから緩除楽章への繋がりが、アルベリヒとミーメの争いから「指輪」の動機が出て「ラインの乙女」からそして「小鳥の歌」へと繋がる冒頭の場面の展開の速さとその筆使いは「指輪」の中でも最も音楽的に自由闊達だ。一幕一場のあの固さがここではオペラ芸術の中でぐっと解れている。
キリル・ペトレンコの棒も「ヴァルキューレ」での苦心の跡とは違ってとても自由に流れる。日曜日の出来の反応を見ると、やはり管弦楽が苦労しているようだが、諸般の事情から仕方が無かったのかもしれない。既に「音楽的解決」は一月に示されていたのであり、ペトレンコのミュンヘンへの置き土産でしかない。その点「ジークフリート」はその演奏実践に関してはバイロイト公演からして初めから定評のあったものであり、またとても室内楽的な難しさもあり座付き管弦楽団に要求されるものは過剰である。そして二月にもまだまだ十分な演奏は出来ていなかった。少なくとも今回も二月の陣容が揃っていないことにはより良い結果は得られないだろう。ピットを覗き込めば大体の出来は予想可能だ。まあ、じっくりと腕前を拝見するとしよう。
歌手ではやはりコッホへの言及は無かったようだが、繰り返すが、カウフマンのヴァークナーとコッホが上手に歌うことで初めてキリル・ペトレンコのヴァークナー演奏実践の基本コンセプトが実現される。個人的にも2014年になぜあんな軽いヴォータンを歌う必要があるのか理解不可能だったが、もうこれは否定しようがない基本コンセプトであり、もしこの二人のヴァークナー歌唱に不満があるならば、ペトレンコのヴァークナーなど聴かない方が幸せだろう。これは先ごろの「三部作」で「ベルカント」を確認した者ならば皆同意する筈だ。あれを評価できないとヴァークナーも評価できないかもしれない。
参照:
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活
土曜日のワイン地所の上縁をジョギングした。なんとのろのろとした動きだった事か。これでパン屋休み中の二週間に二回は一時間前後のハードな走り、一回の軽い走りが出来たのでまあまあだろうか。運動不足は否めないがその間ミュンヘンにも出かけたので、時間もあまりなかった。早速パン屋の裏の短いコースを走った。久しぶりに窓を開けて就寝したので、夜中に目が醒めて寝坊をしたが、森の中の気温は摂氏17.5度で苦しまずに済んだ。
夜中に目が醒めた時にはキャスティキングの声がタブレットからしていた。触ってみると熱くなっている。タブレットでこのようになるのは初めてだ。どうもキャスティングと光度の高いピクチャーヴューワーを同時に開いていて、布団に包まれていたのがいけなかったようだ。CPUが可成り過熱したと思うが、暴走もしておらず、アプリケーションを閉じて、使ったまま冷えるのも比較的早かったので、ダメージは最低限に留められたと願いたい。
「ジークフリート」二幕の二月三日公演のメモを見るとヨハネス・デングラーのホルンが明記してあった。何処が巧かったとかいうよりも、一幕を背後で吹いていて戻って来ていたからだろう。それでも三場の小鳥の歌に続いてのホルンの独奏は聞かせ所には違いない。しかし一場のところに書いてあるので、森のアルベリヒの背後で所謂「騎行」の動機が1,3で奏されるのでそこかも知れない。この幕でのコントラチューバが有名だが、バイロイトの2015年の録音でもそのホルン演奏はさしてよくない。デングラーのそれは重い音で鳴らすので良かったのだろう。どうしてもこの場面ではトロンボーンによる呪いが強調されるのだが、次に出て来るヴァンダラーとの絡みではとても重要で、特に今回はベルカントのコッホが歌うとなると、このホルンの響きが活きる。
Beethoven's 8th Symphony, two horn solo 3rd Movement
GANZ GROSSE OPER | Clip 7 | Deutsch HD German
Beethoven's 3rd Symphony, horn trio solo 3rd Movement
更にメモには、二場でのミーメとジークフリートの対照と、一転チェロが六拍子のEで柔らかい音を奏でていたようで、恐らく森の囁きの音楽とそれに続く四拍子のGの所謂愛の旋律の動機へと今度は分割されたチェロが美しいアンサムブルを繰り広がられたことだろう。ここは恐らく楽匠の書いた最も柔らかな音楽だと思うが、その母性へのイメージのようなものがダイレクトに表現されている。またそこでE管のホルンが「小鳥の動機」を奏するのが憎い。
三場になるとこれまたオーボエ、クラリネット、ホルンに留意しているが、様々な動機が組み合わされるのは、一幕一場と同じなのだがここでは室内楽的な書法となっていて、大交響楽のスケルツォから緩除楽章への繋がりが、アルベリヒとミーメの争いから「指輪」の動機が出て「ラインの乙女」からそして「小鳥の歌」へと繋がる冒頭の場面の展開の速さとその筆使いは「指輪」の中でも最も音楽的に自由闊達だ。一幕一場のあの固さがここではオペラ芸術の中でぐっと解れている。
キリル・ペトレンコの棒も「ヴァルキューレ」での苦心の跡とは違ってとても自由に流れる。日曜日の出来の反応を見ると、やはり管弦楽が苦労しているようだが、諸般の事情から仕方が無かったのかもしれない。既に「音楽的解決」は一月に示されていたのであり、ペトレンコのミュンヘンへの置き土産でしかない。その点「ジークフリート」はその演奏実践に関してはバイロイト公演からして初めから定評のあったものであり、またとても室内楽的な難しさもあり座付き管弦楽団に要求されるものは過剰である。そして二月にもまだまだ十分な演奏は出来ていなかった。少なくとも今回も二月の陣容が揃っていないことにはより良い結果は得られないだろう。ピットを覗き込めば大体の出来は予想可能だ。まあ、じっくりと腕前を拝見するとしよう。
歌手ではやはりコッホへの言及は無かったようだが、繰り返すが、カウフマンのヴァークナーとコッホが上手に歌うことで初めてキリル・ペトレンコのヴァークナー演奏実践の基本コンセプトが実現される。個人的にも2014年になぜあんな軽いヴォータンを歌う必要があるのか理解不可能だったが、もうこれは否定しようがない基本コンセプトであり、もしこの二人のヴァークナー歌唱に不満があるならば、ペトレンコのヴァークナーなど聴かない方が幸せだろう。これは先ごろの「三部作」で「ベルカント」を確認した者ならば皆同意する筈だ。あれを評価できないとヴァークナーも評価できないかもしれない。
参照:
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活