現在もミュンヘン歌劇場で掲示中の2016年欧州ツアー写真展のヴィデオの答え合わせをしておこう。正直何が何だか確認不可だったが、推測してみた。2016年のツアーのみならずキリル・ペトレンコ指揮の楽曲の多くはその楽譜に目を通しているので、覚えてはいないながらもどこかに記憶がある筈だと思った。特徴的な音形は最初のページの運命の動機風のものと次のページのヴァイオリンの逆山なり音形である。ツアーのプログラムを考えるとチャイコフスキー五番しか浮かばなかったが、そんなスケルツォだけでなくそんなページは見つからない。そこで楽譜を逆さにして詳しく見るとシステムの数が多いところと少ないところがあって、編成の大きな作品だと分かった。そして楽譜の分厚さからオペラと推測可能だった。すると作品数は限られている。シュトラウスとヴァクナー以外にありえないが、シュトラウスの書法ではない。そこまで来ると早かった、運命の動機の「神々の黄昏」の三幕だ。そこで漸く気が付いた。似たような角度で映したヴィデオが存在していたことを。しかし一体どこにあったかは皆目思い出せなかった。楽譜を捲っていると見つかった。愈々大詰めのブリュンヒルデの自己犠牲に入るところだった。なるほどあのツアーの前に制作された前年2015年暮れの私が出掛けていた時のクリップを宣伝に使っていた。あの時はブリュンヒルデを歌ったぺトラ・ラングのあまりにもの非力さで台無しだったが、管弦楽自体は素晴らしい演奏をしていた。しかし今はもっと先に行った演奏をする。それに来週はニーナ・シュテムメがそれを歌って、ペトレンコ指揮のミュンヘンでの「指輪」の最終公演となる。
Teaser Bayerisches Staatsorchester and Kirill Petrenko on tour, September 2016 #BSOtournee
ここでの赤いマーキングはホルンの5,6、7,8に点いていて、弱い奏者が落ちると大変不味いのでキュウ出しを忘れないようにという事だろうか。その直前のグルトルーネとブリュンヒルデが絡むところで、テムポに続いて「私は妻よ」と激情的にクレッシェンドで三連符へと繋がるところは赤マーキング、その小節後半に黄色マーキングとなっていて、ディムニエンドの小節へと繋がる。更にグルトルーネがAchJammerと叫ぶと、今度は動機が戻リディムニエンドする前に黄色マーキングである。どうも黄色マーキングは振り注意の意味の感じだ。
更にその前のジークフリートの最後の言葉「グリュース」から葬送行進曲に入るところがある。ホルンの合奏に黄色の紙が貼ってある。色が違うのは、これは自身への覚書で、電車の運転手と一緒でテムポのコントロール点と思う。赤い付箋は開く前から分かるので、先からテムポを準備して運んで行く箇所ではなかろうか。要するに早過ぎたり遅過ぎたりしないためのデッドポイントとなるか。
もう二ページほどあるかもしれない。もしどなたか興味があれば、ヴィデオ内でペトレンコが指揮しながら頁も捲っているので、他のページも写してみてはどうだろうか?指揮の動きだけでなくマーキングの使い方ももう少し研究できるかもしれない。
今回初めてペトレンコの表情を観ながら前から指揮を観察していて分かったことは幾つかある。先ずは、兎に角、懇切丁寧にキュウ出しをすることだ。他の指揮者はそこまで準備していなくて余裕が無いのに暗譜していると威張っているとしか思えない。同じように今回も弦が上手く響いたところで、「いいね」を出すように、この天才指揮者がそこまで楽譜から予期していた顔をするよりも我々凡人と同じく構えずに「いいね」を出せる権威主義に頼らない実力を見せつけた。上の赤のマーキングのように二三流の指揮者が稽古場で音出ししてから云々を語っていたのではお話しにならないが、そもそも議論の余地の無い和声的な芯を読み込んでいれば、音出しを止めて口で説明するよりも適格なキュウーを出すぐらいで造っていかないと無駄な時間が流れる。それが懇切丁寧な指揮であり技術的な勝利なのだろう。そして何よりもテムピが思いのままなので、指揮棒で多くのこと指導出来る。同じぐらいのことが出来てもギリシャ人のカラヤン二世ならば、上のような趣味の良い鳴りを引き出して、それを音楽にすることが出来ないのだ。要するに音楽性が無いという事でしかない。これはいくら努力しても教育を受けても身につかない。
もう一つはカウフマンが語るように、それほどの要求を課しても実演ではとても楽しそうな表情をして指揮をする。それは音楽的な内容を奏者に伝える技術であると意識するようになったと語っているように、昔は違ったようだ。その反面きっちりと楽譜に正確に問題点を記憶している。記録していないだけで、まさに視覚的に楽譜へのチェックポイントを暗譜していくという事だろう。場合によっては角を折っているかもしれない。マエスローリへの指示を見ていたが、ああいう風に乗せられると自然に歌手も意気が上がり、そのような表情をする指揮者もとても肯定的にチェックポイントを確認しながら修正を積み上げていくことが可能なのだろう。
参照:
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
腰が張る今日この頃 2018-02-07 | 文化一般
Teaser Bayerisches Staatsorchester and Kirill Petrenko on tour, September 2016 #BSOtournee
ここでの赤いマーキングはホルンの5,6、7,8に点いていて、弱い奏者が落ちると大変不味いのでキュウ出しを忘れないようにという事だろうか。その直前のグルトルーネとブリュンヒルデが絡むところで、テムポに続いて「私は妻よ」と激情的にクレッシェンドで三連符へと繋がるところは赤マーキング、その小節後半に黄色マーキングとなっていて、ディムニエンドの小節へと繋がる。更にグルトルーネがAchJammerと叫ぶと、今度は動機が戻リディムニエンドする前に黄色マーキングである。どうも黄色マーキングは振り注意の意味の感じだ。
更にその前のジークフリートの最後の言葉「グリュース」から葬送行進曲に入るところがある。ホルンの合奏に黄色の紙が貼ってある。色が違うのは、これは自身への覚書で、電車の運転手と一緒でテムポのコントロール点と思う。赤い付箋は開く前から分かるので、先からテムポを準備して運んで行く箇所ではなかろうか。要するに早過ぎたり遅過ぎたりしないためのデッドポイントとなるか。
もう二ページほどあるかもしれない。もしどなたか興味があれば、ヴィデオ内でペトレンコが指揮しながら頁も捲っているので、他のページも写してみてはどうだろうか?指揮の動きだけでなくマーキングの使い方ももう少し研究できるかもしれない。
今回初めてペトレンコの表情を観ながら前から指揮を観察していて分かったことは幾つかある。先ずは、兎に角、懇切丁寧にキュウ出しをすることだ。他の指揮者はそこまで準備していなくて余裕が無いのに暗譜していると威張っているとしか思えない。同じように今回も弦が上手く響いたところで、「いいね」を出すように、この天才指揮者がそこまで楽譜から予期していた顔をするよりも我々凡人と同じく構えずに「いいね」を出せる権威主義に頼らない実力を見せつけた。上の赤のマーキングのように二三流の指揮者が稽古場で音出ししてから云々を語っていたのではお話しにならないが、そもそも議論の余地の無い和声的な芯を読み込んでいれば、音出しを止めて口で説明するよりも適格なキュウーを出すぐらいで造っていかないと無駄な時間が流れる。それが懇切丁寧な指揮であり技術的な勝利なのだろう。そして何よりもテムピが思いのままなので、指揮棒で多くのこと指導出来る。同じぐらいのことが出来てもギリシャ人のカラヤン二世ならば、上のような趣味の良い鳴りを引き出して、それを音楽にすることが出来ないのだ。要するに音楽性が無いという事でしかない。これはいくら努力しても教育を受けても身につかない。
もう一つはカウフマンが語るように、それほどの要求を課しても実演ではとても楽しそうな表情をして指揮をする。それは音楽的な内容を奏者に伝える技術であると意識するようになったと語っているように、昔は違ったようだ。その反面きっちりと楽譜に正確に問題点を記憶している。記録していないだけで、まさに視覚的に楽譜へのチェックポイントを暗譜していくという事だろう。場合によっては角を折っているかもしれない。マエスローリへの指示を見ていたが、ああいう風に乗せられると自然に歌手も意気が上がり、そのような表情をする指揮者もとても肯定的にチェックポイントを確認しながら修正を積み上げていくことが可能なのだろう。
参照:
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
腰が張る今日この頃 2018-02-07 | 文化一般