Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「ドンファン」の新録音資料

2018-07-28 | 
パリからのフィラデルフィア管弦楽団の中継録音を聞いた。BGMで流しただけだが、予想以上に価値があった。その演奏会は欧州イスラエルツアーの三日目で、ルクセムブルクで聞いたプログラムとは一曲が「ドンファン」に差し替えられている。そして放送ではグラモーが弾いたブラームスは除外されている。これはグラモー事務所の方針なのだろう。だからギーレン指揮以外の演奏はヴィデオなどもネットに存在しないようだ。仕方がないが、それでCD等を買うということも無い。その演奏は記憶にだけ留めておこう。

シューマンの演奏も私が聞いたものよりも会場のアコースティックが明晰で、恐らく本拠地のそれよりも、それどころかエルブフィルハーモニー中継とも異なった。この録音を聴けば、この管弦楽団がシカゴのそれよりも機能的な事が分るのではなかろうか、クリーヴランドよりも管との混合があり、そのパレットは遥かに広い。私自身も今までの放送からどうしてもパートの分離性という事ではこのアンセムブルの特徴から限界があるかなとも思っていた。しかしこのアンサムブルの基本精度から何でも出来ることが分る。それにしてもなんという管と弦の合わせ方だろうか。今までこれに近い印象はショルティー指揮のシカゴ交響楽団しかなかった。

最も関心があったのは、三月にバーデンバーデンでベルリンのフィルハーモニカーの演奏で聞いて、そして来月にはルツェルンで聞くリヒャルト・シュトラウス作曲「ドンファン」の演奏だった。そして聞いてしまってしまったと思った。たとえキリル・ペトレンコが指導しても短期間にこの精度のアンサムブルがフィルハーモニカーには期待出来ない。そしてそこから配合していくときの音色の微妙さとしなやかさは嘗て無かったような管弦楽となっているようだ。

たとえネゼセガンがシュトラウス的な指揮が出来ていないとしても、このような演奏をされると、現在フォンカラヤン指揮のそれを貶すのはいとも容易いが、文句の付けようがない。嘗てムラヴィンスキー指揮の演奏に文句が付けられなかったのと変わらないが、全くそのキャラクターが異なる。ユージン・オーマンディのそれを無視出来てもやはりこれは無視出来ない。

どこかに本拠地の録音があると思って探した。同じツアー準備の演奏会で、その時の前半は「不安の時代」だった。その録音を流してみてはっきりした。ホールのアコースティックが大分違うので、特徴の弦管のミクスチュア―以上に低弦の影響で倍音成分が聞き取り難い。先日のローエングリン初日のためのバイロイト初代監督の話しを思い出すが、蓋付きのピットでの混ざり合わせと楽譜に基づいたアンサムブルのやり方はまた別な問題だろう。今回の「ローエングリン」は、他の演目と違って、その指揮はとても評価されているが、エルザを歌ったアニャ・ハルテロスの話しが面白かった。つまりいつも違ったようにしか演奏しないので合さないといけないというのだ。勿論この初代監督が同じテムポで振る基礎技術が無いとは思えないが音楽を作る時にどうしてもアゴーギクに頼らざるを得ないのだろう。

勿論ここで触れている管弦楽団の世界は全く違う世界の話題で比較のしようがないのだが、会場の音響で弾きにくい弾きやすいもあり、そレがどのように聞こえるかはまた違う話しだ。少なくともこのパリのホールのフランスの放送局の収録は明晰そのもので、これを聴けば間違いない。それにしても演奏の端々が修正されているようで、まさかペトレンコのような細部を詰めてはいないと思うが、楽譜を広げて聴き直してみなければいけないと思った。回数重ねればよくなることは確かにしても、もし演奏旅行中に修正するような指揮をしているようならば本人も成長する可能性が強くて、仕事さえ絞るようになれば、その活動から耳が離させなくなる。今回の放送はオンデマンドでも聞けるようだ。



参照: 
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
MP4映像よりWAV録音 2018-04-03 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする