Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「死ななきゃ治らない」

2018-07-08 | 歴史・時事
森の中でライヴァルの白髪の婆さんとすれ違った。「今日はジョギングじゃないの」と聞かれたから、「寝不足した」と話した。坂の上まで歩いて下りてきた森の中は摂氏17度以下で気持ち良かった。ベットに入ったのが4時過ぎで8時過ぎにはパン屋に向かったから、前夜の23時から25時までと合わせて全部で五時間も断続的に寝ていない。一番深く眠りそうな時間に起きたので厳しい。今後は合衆国からの録音はタイマー操作にしたい。

それでもタングルウッドからの中継は想定よりもいい音がしていた。先ずは地元の放送局のストリーミングの程度が高い。そして半野外のようなタングルウッドの響きも全然悪くは無かった。ボストンのホールとも比較してみたいが、これはこれで楽しみだ。

交響楽団のサウンドは流石にボストンサウンドでシックなのは明らかだったが、前回の日本公演でも批判されていたように技術的には粗があって、これならばゲヴァントハウスと比較してどうという事は無いと思った。同じような管弦楽団を両方掛け持ちする意味は分からない。ネルソンズならば他のビックファイヴも狙えたと思うが、待てなかったのだろうか。経済的な面などいろいろ考慮するとボストンの方が魅力があるのだろうが、ゲヴァントハウスの方が上手く行けば芸術的な可能性が高い。二年ほどで判断するというような意味のことを漏らしているが、ボストンではあまり期待が出来ない。

肝心のランランカムバック前に魔笛序曲が演奏された。確かに才能のある指揮者で、その技術は超一流には違いなく、奏者に遣らせるその指揮がとても楽員に喜ばれているのは分かる。そしてネゼセガンのようなおかしなスイングもしない。

ランランが登場するとそれなりの喝采が起こって、会場は湧いていたが、管弦楽団の演奏からして今一つだった。ランランのソロを真剣に聞くのは初めてだった。今までは車中でミュンヘンで演奏したものが同地の放送局から流れていたものなどを耳にした。だから復帰後の演奏がそれまでの演奏とどう違うのかはあまり分からない。但し印象として持っていた単純で非音楽的なリズム感やその指運動のようなタッチはそのままだった。先ずここで失望したのだ。もしかしたらルービンシュタインのように目張りした部屋で隠れ特訓をしているかと想像を逞しくしていたからだ。

だからレガートの弾き方も以前通りなのだと思ったが、反対にスタカートの粒立ちも悪く、その対照が曖昧で要するにアーティキュレーションがしっかりしていないようにしか聞こえない。そもそも稚拙なそれがこの満州人の特徴なのだが、もしかすると負傷で余計に悪くなったかもしれない。そして何よりも左手が充分に弾けていなかった。確か痛めたのは左手だと思ったが、彼の隠し芸の後ろ向きで弾けばよいのではなかろうか。冗談はさておき、以前とは違うとなればカムバックはしてみたけれどで今後のキャリアーは分からなくなるかもしれない。アンコールで弾いた「戦場のピアニスト」の嬰ハ短調のノクターンでも状況は変わらなかった ― これは先日スイス訪問の際に事前の予定になくサプライズで弾いていたようだ。モーツァルトでも極端なピアニッシモを入れて変化を付けようとしていたが、全て大阪弁で「阿保ちゃう」をこちらで叫ぶしかない。
Lang Lang Strong #2

Lang Lang Strong #1


ネルソンズもカデンツァへのテムポ配置などでランランと合わせるようにアッチェランドを入れたりして極力配慮しているが、音楽自体が上手く行っていない ― これはペトレンコにとっては朝飯前だが。オペラなどの経験の豊富な指揮者として全く問題が無い筈なのだが、同じようにランランとの協演をするメスト指揮のクリーヴランドでの演奏会が楽しみになる。もう一つ気になったのは低音を吹かしてサウンドつくりをしているようなのだが、あまり上手く行っていない。仕事量が多過ぎる指揮者で、ゲヴァントハウスもコヴェントガーデンもボストンも一緒くたに入り混じってしまっているのではなかろうか。あまり感心しない。

ランランのピアノを聞くとどうしても来年のバーデンバーデンが気になってくるのだ。なぜこの晩も後半に演奏されたようにチャイコフスキー第五の前に態々モーツァルトでなくてベートーヴェンを持ってきたのか、本当に無事に演奏会が終わるのかなど心配になってくる。私自身はランランの日には39ユーロしか支払っていないのでどうでもよいのだが、ブーイングしなければいけないようなピアノではやはり困るのだ。

それにしてもこうした話題性もあり集客力の化け物に群がるようなメディアの構造の中の俗物に文化勲章を出すような日本の痴呆性だけでなくて、世界中が同じような構造になっているかと思うと不愉快極まりない。文化とか芸術とか音楽とかを言葉に出すのも嫌になるほどだ。

今晩は口直しにコヴェントガーデンからのローエングリン全曲放送を聞きたいと思う。しかしこれもネルソンズの指揮なので少し不安になって来ている。真面目に楽譜を見乍ら聞くとどうしても粗が目立つ。オペラの場合は歌手とのリハーサルも長いので意思の疎通はゲストのピアニストよりも取られるのだろうが、パパーノがあれほど鳴らしている管弦楽をどの程度まで指揮しているのだろう。ネゼセガンとどっこいどっこいの指揮者だと思うが、その腕前を篤と見せて貰おうか。



参照:
今夜は半徹夜仕事か 2018-07-07 | 生活
残席から探るランラン状況 2018-06-16 | 雑感
ランランは引退するか? 2017-10-19 | 雑感
コメント (25)
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