Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

adagio molto e cantabile

2019-09-06 | 
承前)第九についてプログラムに高名なヴァークナー研究家のフォス氏が独語解説を受け持っている。また公演前のガイダンスではシュテール女史が味のある解説をしていた。多くの人が感動したようだが、個人的にはまた独自なことに感じ入ってしまっていたかもしれない。なんといってもベルリンでの初日の演奏もあまりにもセンシビリティーに富むもので、楽聖の「心から出でて心へ入る」の「ミサソレムニス」に付けた言葉が浮かぶしかなかったからだ。

二月にミュンヘンで「ミサソレムニス」を体験していたので、その作曲背景も楽聖の考えていたことはとてもすんなりと理解可能なのだが、その時代背景やその環境に関しては勉強不足もありどうしても隔靴掻痒の感がある。古典芸術を愉しむということの意味は多少の差があれどそいうことではなかろうか。

ガイダンスの話しは、それこそ子供の頃に読んだような伝記に載っている聴障害が1818年には完全に来ていてというところから、その手紙などを紹介していたと記憶するが、「ミサソレムニス」に於ける状況つまり「フィデリオ」を含んで全ての交響曲を全て抱合してしまうような時間的なスパンを考えることで、更に第九における作曲状況をそこに繋ぐことが可能となる。まさしく楽聖の世界観であり、その聴世界へと少しづつ近づけることが出来たと思う。

ルツェルンでの公演では第三楽章を皆が絶賛するように、ベルリンやどうもザルツブルクでは無し得なかった深みへと大きく踏み出していた。その会場の音響が大きな後押しをしたことは間違いなく、たとえ本格的な録音が存在しなくとも全ての人に今後とも大きな影響を及ぼすに違いないと思われた。

最後のシーズンを迎えたコンツェルトマイスターのスタブラーヴァが二人目で弾いていて、その後ブカレストでインタヴューとしてその三楽章と後期の四重奏団との関連について、最早メロディーではない語り合いとしての音楽について、楽聖の内声について語っている。そしてEsホルンによる追想も演奏後に特別に賞賛されただけの価値があった。

ベルリンでの演奏ではペトレンコの指揮するアダージョモルトエカンターヴィレの踊りが余りにも軽みを以ってややもすると軽薄な感じさえ与えて、最も疑問とされたところであると同時に最も改善される可能性のあったと見越したところだが、ルツェルンの音響ではどこまでも優しい低弦の支えと対旋律がデイアローグすることで、比較するものは正しく後期の作品群でもその調性を超えて例えば同時代の30番のピアノソナタの飛翔を思い浮かべるしかなかった。軽やかな歩みを以って雲上の散策となる。そこの表現は恐らく嘗て今までなされたことの豊かさだったのだが、全ては基調として準備されていたことになる。兎に角、一楽章のあまりにも具体性を持った音楽は、「ミサソレムニス」のコーダの戦争シーンにも劣らず迫真に満ちているだけでなく、二楽章に於いても独伝統的配置でのフモーアに溢れる楽想があり、三楽章のパラダイス寸景へと踏み込む。

三楽章の所謂後期の作風のアンダンテ動機そしてテムポIで戻って来ての16分音符の刻みが、その舞いが主なベルリンでの批判点が、これが精度を上げて右の第二ヴァイオリンの上に第一ヴァイオリンが乗って、またはヴィオラが呼応して、クラリネットが絡んで、Es管のホルンが楽譜通りに、第一ヴァイオリンが32分音符の刻みが音価を保ってと想像して欲しい。確かにベルリンでは浮ついてしまっているのはその精度が全てを語っている。

ベルリンでの録音を聞けば拍の掘りとかいう以前にどうしても走りかけているのは致し方ないかもしれない。それが回数を重ねることで音価とリズムが揃い精度が上がるだけでその音楽の表情が悉く活きてくる。音楽演奏実践とはそういうことをいうのであって、如何にルーティンでなく新鮮な気持ちで正確に合せて演奏するということが難しいかということに過ぎない。ここはとても好例だと思う。ルツェルンではこの楽章の演奏がどれほど素晴らしかったかがこれで想像できるかと思う。なにもキリル・ペトレンコでなくても、幾らでもやることはあるのだ。それによって少しでも楽聖の心の中に入って行けるのである。合わせるということは、四重奏曲のようにというのは、そのことでしかない。(続く



参照:
歓喜へ歌への対照と構成 2019-08-24 | 音
飛ぶ鳥跡を濁さずの美 2019-01-25 | 音
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