ブカレストでのエネスコ音楽祭生中継を聞いた。時差が中欧とは一時間あることは今回知ったが、それでも23時過ぎまで演奏していたのだろうか。音質は、少なくともイタリアのraiによるスカラ座中継よりは普通だったが、盛んにクリップさせる。収録に慣れていないのだろうか。更に会場の雰囲気が分かり難いので、舞台以外は可成りオフになっている感じがする。それでも残響は分かった。
仕事をしながら離れながらだったが、リヒャルト・シュトラウス作曲「影の無い女」全曲のコンサート形式演奏会生中継で印象は得た。まず最初の音からしてアタックも弱く引き締まりが無い。ベルリンでの演奏などは前任者ヤノスキーの傾倒を受けて高度なとかあるが、どうもベルリンには前任者への信心があるようだ。あの最初の和音だけで明らかにミュンヘンのペトレンコ指揮とは比較できないばかりか、ナガノ指揮のハムブルクの座付の方が鋭いかもしれない。
そこからすればユロスキーがペトレンコの後任としてミュンヘンで振ってもそれほど上等な音とはならないと予想する。なるほど楽団がネルソンズ程ユロスキーを欲しなかった要因は何となく見えてきた。少なくともコンサート指揮者としては頂点にまでは至らない人だと認識した。
しかしである、この問題の多い作品をコンサートでここまでドラマティックにそして心を揺さぶらせる指揮をするのには改めて魂消た。ペトレンコ指揮演奏の場合は楽譜を確認しようとさせるが、この指揮者の場合は楽譜を見るまでも無く、その核になる部分を拡大鏡で拡大して光を当てるような指揮振りが分かる。しかしそれでいて全体の中での部分が綺麗に収まるのはこの指揮者の稀有の特技で、それは管弦楽曲を振っても全く分からないように次の部分へと綺麗に受け渡される。
こういうのを聞かされると、支配人が確りしてプロジェクトコンセプトが立派ならば如何ほどの劇場的効果が得られるだろうかと胸が一杯になる。ペトレンコ時代には得られなかった本当の劇場的な感動が体験できるかと思うと今から感動してしまう。
述べたようにコンサート指揮者としては頂点に出る人とは思わないが、音楽劇場指揮者としてはその才能からすればピカイチではないだろうか。パパーノも確かに悪くはないと思うが、その音楽的な作りの輝きはとても比較にならないほど素晴らしい。バーデンバーデンやザルツブルクは次を見るならばネルソンズよりもこのユロスキーに話しを付けておくべきだろう。
これでまたミュンヘン通いが続きそうな塩梅になって来た。一方でペトレンコがベルリンだけの定期演奏プログラムでは古典やロマン派の恵まれない曲の実験をするというのであるから、余程の曲でない限り態々出かける必要はないだろう。そもそも年に14回を超えるようなプログラミングは必要ないとされているので、少なくとも前任者ラトルの時のように頻繁に指揮台に君臨するという事はなさそうである。2020/2021年シーズンにおいても2022年6月にはミュンヘンのオパーフェストを最後に振るとなれば、実質九カ月未満しかベルリンでは振らない。2020年11月は東海岸でのお披露目なのだろうか。記者会見風景を改めて観ると2020年8月のオープニングツアーは、スークとバレンボイムとの協奏曲が第二プロでまず間違いないだろう。第一プロは「千人」だろうが、「ミサソレムニス」をどこに入れてくるのだろうか?
参照:
オーケストラがやって来た 2019-03-12 | マスメディア批評
一級のオペラ指揮者の仕事 2019-01-14 | 音
仕事をしながら離れながらだったが、リヒャルト・シュトラウス作曲「影の無い女」全曲のコンサート形式演奏会生中継で印象は得た。まず最初の音からしてアタックも弱く引き締まりが無い。ベルリンでの演奏などは前任者ヤノスキーの傾倒を受けて高度なとかあるが、どうもベルリンには前任者への信心があるようだ。あの最初の和音だけで明らかにミュンヘンのペトレンコ指揮とは比較できないばかりか、ナガノ指揮のハムブルクの座付の方が鋭いかもしれない。
そこからすればユロスキーがペトレンコの後任としてミュンヘンで振ってもそれほど上等な音とはならないと予想する。なるほど楽団がネルソンズ程ユロスキーを欲しなかった要因は何となく見えてきた。少なくともコンサート指揮者としては頂点にまでは至らない人だと認識した。
しかしである、この問題の多い作品をコンサートでここまでドラマティックにそして心を揺さぶらせる指揮をするのには改めて魂消た。ペトレンコ指揮演奏の場合は楽譜を確認しようとさせるが、この指揮者の場合は楽譜を見るまでも無く、その核になる部分を拡大鏡で拡大して光を当てるような指揮振りが分かる。しかしそれでいて全体の中での部分が綺麗に収まるのはこの指揮者の稀有の特技で、それは管弦楽曲を振っても全く分からないように次の部分へと綺麗に受け渡される。
こういうのを聞かされると、支配人が確りしてプロジェクトコンセプトが立派ならば如何ほどの劇場的効果が得られるだろうかと胸が一杯になる。ペトレンコ時代には得られなかった本当の劇場的な感動が体験できるかと思うと今から感動してしまう。
述べたようにコンサート指揮者としては頂点に出る人とは思わないが、音楽劇場指揮者としてはその才能からすればピカイチではないだろうか。パパーノも確かに悪くはないと思うが、その音楽的な作りの輝きはとても比較にならないほど素晴らしい。バーデンバーデンやザルツブルクは次を見るならばネルソンズよりもこのユロスキーに話しを付けておくべきだろう。
これでまたミュンヘン通いが続きそうな塩梅になって来た。一方でペトレンコがベルリンだけの定期演奏プログラムでは古典やロマン派の恵まれない曲の実験をするというのであるから、余程の曲でない限り態々出かける必要はないだろう。そもそも年に14回を超えるようなプログラミングは必要ないとされているので、少なくとも前任者ラトルの時のように頻繁に指揮台に君臨するという事はなさそうである。2020/2021年シーズンにおいても2022年6月にはミュンヘンのオパーフェストを最後に振るとなれば、実質九カ月未満しかベルリンでは振らない。2020年11月は東海岸でのお披露目なのだろうか。記者会見風景を改めて観ると2020年8月のオープニングツアーは、スークとバレンボイムとの協奏曲が第二プロでまず間違いないだろう。第一プロは「千人」だろうが、「ミサソレムニス」をどこに入れてくるのだろうか?
参照:
オーケストラがやって来た 2019-03-12 | マスメディア批評
一級のオペラ指揮者の仕事 2019-01-14 | 音