前夜は22時過ぎにはベットに入った。疲れていたからだが、朝五時ごろに目が覚めた。二十数時間後に帰宅しないのに不利だっと思った。明け方初めて指揮者キリル・ペトレンコの夢を見た。どこかで出会うのだが、声を掛けて自己紹介しようとすると、知っているよと言うようなことだった。なにも不思議な夢ではなかったが、覚醒してから一体ルツェルンなどには来ないのは分かっているのだが、なぜだろうと思った。
予定通り14時前に無人の国境を超えた。そこから高速に乗って、ベルン方面へと向かう。手っ取り早く現金を出して、音楽勉強とピクニックをしなければいけない。湖の近くの休憩所で車を停めようと思ったら秋まで閉鎖されていた。仕方が無いので湖の街に下りて、過ぎ近くの木陰を求めた。高台に出ると村のスポーツ施設の駐車場に木陰が出来ていた。山にもすぐに入れるところだ。
村は高台にあって湖へと絶景が開いていた。後で調べると前回ピクニックした場所の対岸に当たる。南向きなので夏は暑いかもしれないが、秋は気持ちが良いだろう。ピクニックをして早速音出ししながら楽譜を一通り捲る。眼を通すのは二回目なので、巻頭の文章を読まないでも曲の核心や構成は分かるようになる。同じプログラムのベルリン公演でのプログラムのPDFも持ってきたので、それにも目を通す。
こうした時に助かるのがノイズキャンセリングのイヤフォーンで道路脇の駐車場でも集中して音楽を聴ける。嘗ては本当に森の中でしか不可能だった作業が、状況によっては高速道路の脇でも可能となった。こうしたことの銘々の積み重ねが、人々の営みの積み重ねが二十世紀の古典の演奏の水準を上げて行くことになる。つまりレパートリーとして核となって行くことになる。その中でどのような作品が残っていくかは分からないが、少なくとも楽譜によってその創作意図が明確で、各々の演奏媒体に課題を与えるような作品は、定着していくように思われる。
水曜日は先ずバイエルンの放送局で8月29日の演奏会中継が放送される。恐らく最も難曲であるシェーンベルク作曲ヴァイオリン協奏曲作品36の歴史的な演奏が流される。初演者を除くと録音だけでも幾つかの試みが残っているが、そのどれもを凌駕して、復活祭で同じ演奏を聴いた時にもミヒャエル・ギーレン指揮のミヒャエル・バレンボイム独奏の名演を超えることは無かった。しかし漸くある水準の演奏が成し遂げられた。
ある水準とは月曜日に管弦楽練習の立ち合いを終えた作曲家のハンス・アブラームセンの言葉を借りればその定義が出来よう。つまり細かなところを修正して、創作の意図を伝えることが出来るかどうかに尽きるのである。作曲のシェーンベルクは半世紀前に亡くなっていて、その示唆を直接受けることはできないが、数多くの研究と文献もあり、その意図を正しく音化することは全く不可能ではないのである。
参照:
ラトルファンの嘆き 2019-09-10 | 音
彼方の閃光を目指して 2019-09-09 | 生活
予定通り14時前に無人の国境を超えた。そこから高速に乗って、ベルン方面へと向かう。手っ取り早く現金を出して、音楽勉強とピクニックをしなければいけない。湖の近くの休憩所で車を停めようと思ったら秋まで閉鎖されていた。仕方が無いので湖の街に下りて、過ぎ近くの木陰を求めた。高台に出ると村のスポーツ施設の駐車場に木陰が出来ていた。山にもすぐに入れるところだ。
村は高台にあって湖へと絶景が開いていた。後で調べると前回ピクニックした場所の対岸に当たる。南向きなので夏は暑いかもしれないが、秋は気持ちが良いだろう。ピクニックをして早速音出ししながら楽譜を一通り捲る。眼を通すのは二回目なので、巻頭の文章を読まないでも曲の核心や構成は分かるようになる。同じプログラムのベルリン公演でのプログラムのPDFも持ってきたので、それにも目を通す。
こうした時に助かるのがノイズキャンセリングのイヤフォーンで道路脇の駐車場でも集中して音楽を聴ける。嘗ては本当に森の中でしか不可能だった作業が、状況によっては高速道路の脇でも可能となった。こうしたことの銘々の積み重ねが、人々の営みの積み重ねが二十世紀の古典の演奏の水準を上げて行くことになる。つまりレパートリーとして核となって行くことになる。その中でどのような作品が残っていくかは分からないが、少なくとも楽譜によってその創作意図が明確で、各々の演奏媒体に課題を与えるような作品は、定着していくように思われる。
水曜日は先ずバイエルンの放送局で8月29日の演奏会中継が放送される。恐らく最も難曲であるシェーンベルク作曲ヴァイオリン協奏曲作品36の歴史的な演奏が流される。初演者を除くと録音だけでも幾つかの試みが残っているが、そのどれもを凌駕して、復活祭で同じ演奏を聴いた時にもミヒャエル・ギーレン指揮のミヒャエル・バレンボイム独奏の名演を超えることは無かった。しかし漸くある水準の演奏が成し遂げられた。
ある水準とは月曜日に管弦楽練習の立ち合いを終えた作曲家のハンス・アブラームセンの言葉を借りればその定義が出来よう。つまり細かなところを修正して、創作の意図を伝えることが出来るかどうかに尽きるのである。作曲のシェーンベルクは半世紀前に亡くなっていて、その示唆を直接受けることはできないが、数多くの研究と文献もあり、その意図を正しく音化することは全く不可能ではないのである。
参照:
ラトルファンの嘆き 2019-09-10 | 音
彼方の閃光を目指して 2019-09-09 | 生活