Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

実存のそのピクニック

2021-10-05 | アウトドーア・環境
日曜日は、10時のチェックアウトに間に合うように7時にパン屋に出かけた。予想以上に近道が出来てホテルの建物を出るまでに三分ぐらいで、そこからは路地を通って一分もかからない距離だった。これだけ近ければただの工場製造パンでも他所に車で出かけるほどの理由はない。そもそも日曜日に九月のシュヴァルツヴァルトでのパン屋の様にこだわりの店は開いてなかったようだ。

それでもヴィクトリノックスの十得ナイフで苦労して開けた缶詰にはそのパンがなければ意味がなかっただろう。残念ながらアパートメントのボッシュのキッチンには電子レンジではなくて通常のオーヴンしかなく鍋で温めた。旅先ではやはり電子レンジの方が有用だ。鶏飯も半分は油紙の上で少し温めて消化を良くした。

予定通り音楽祭シューベルティアーデが現在開かれている山の上の村やそこのホールの方へと向かった。所謂ブレゲンツァーヴァルトと称される地域に入っていく、湖から石灰の崖が連なっているようなところなので、谷から急激にワインディングロードを上っていくそして制限速度が80キロ区間も結構あって、二輪の何とか族が沢山走っていた。こちらも新車なら頑張って走っていたと思う。

峠の上は絶景だった。道標にはチャールズ皇太子も常連のレッヒへの道は閉鎖されているとあった。雪はなくても荒れているのかもしれない。その峠から降りて谷に近い村がシュヴァルツベルクで高名な演奏家が集まるのだが、村自体は通常の意味での上等な宿泊施設のないような山村である。今年も行くとしても今回泊ったようなアプローチをしようと思っていたのだ、思ったよりも少し遠い。涼しさも、さて谷のテラスであるからどうだろう。ヴェルビエールにも似ているが規模が十分の一程だ。

谷間を結構走った。まだまだ知らない谷があるものだと思うが、ノルディックやハイキング好きには人気スポットであるが、結局夕方にコンサートが開かれるフェルトキルヒまでは峠を越えて長い谷を下らなければいけなかった。幸いなことにこれまた絶景の場所で車を停めて、二時間ほどピクニックをして更に楽譜を点検することが出来て幸せだった。

大した食事でなくてもまるでアルプスの山小屋の食事のような気分を味わえる。運動さえすればそれ程美味いものはないという味であり、今回缶詰を購入してああいうところでは業務用のあの手のものも役に立つのだろうと思ったのだった。

しかし、そのようなお味の話よりも前夜の演奏会における第一楽章のそのニ長調とニ短調のその日向と日陰、まるで白い石灰岩の表と裏や赤苔が生えたり雨露でぬれたりしている表層を見ているような実存を味わえた。まさに昨晩思い描いた作曲されたプスタータールのトムバッハのあの日差しを思い出した。

なるほどドロミテに続く南テロルとフォアールベルクでは日差しも山も違うのだが、少なくともこの辺りの人はベルリンなどに住んでいる人と比べてそういう高原の表情が自らの体験になっている人は間違いなく多い。

その実存感とは、黒いバラの存在の意味についてのシレシウスのバロック詩を想起したのだった。同じことを「大地の歌」のトブラッハでの室内楽編曲演奏会プログラムに見つけたことを既に書いていた。そのことの結びつきはすっかり忘れていたのだが、土曜日に想起したのだった。(続く



参照:
影の無い憂き世の酒歌 2006-09-08 | 音
パン屋への道のり 2021-09-10 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする