(承前)終楽章アダージョへと再び長く一息を入れた。ブレゲンツではマスクを外した口から咳なども結構出ていたと思う。マスクを外すようになると皆が一斉に咳をやり出す。意味が分からない。ハンカチ等で押さえようともしない。どうもオーストリアでは出来る限り感染を広げて脱コロナへと加速するというコンセンサスが国民に行き亘っているとしか思えなかった。淡々と美しい音楽が流れて行った。しかし、とても細やかな表情でその音楽的な表情には全く不足はなかった。そして指揮を終えてから十秒ほどで指揮台から体を話した。長過ぎずにとてもいいタイミングだったと思う。そして、ハンカチ仕事をしてから振り返る。平土間前列では再登場でスタンディングオヴェーションとなった。それでも一昨年の第八の時とは様子が異なっていた。
ソロで演奏した者を全て立たせた。件のトラムペット奏者も祝福されて、これはいつものペトレンコとは違い、第二の故郷の仲間に対する扱いだと思った。それはそれで感動的であった。象徴的なのは最後にまるで奈落の楽員を祝福するように平土間の聴衆を祝福したことであった。これも今まで見たことのない様子で、ミュンヘンでもそれは少し異なった。それはそれで一つの見識だったと思う。それだけに今回は特別な演奏会だと理解した。少し珍しいなとも感じた。
しかし翌晩の本当のツィクルス最後の演奏会では状況は全く異なった。既に三楽章のブルレスクのコーダの盛り上がりに尋常ではない激しさがあった。既に書いたように敢えてそこは盛り上げの必要があるのだなと理解していた。その高揚感が、長い休憩の後にも続いていて、丁度「悲愴」の三楽章あとでこちらは心臓がパクパクしていたこと思い出した。その心理的な影響は大きい。バーンスタインがイスラエルフィルを振った時もその傾向もあったと記憶する。要するに「悲愴」的な効果自体は創作者に狙われていたのだろう。
そして変容していくアダージョの主題に上昇する昇天の主題が変異のきっかけを作っていく。次から次へと音色旋律へとの契機を与えるような進行でもあり、どんどんと遠い所へと進み出て行くのだ。雲を抜けて青い宇宙へと舞い上っていくようでもあるのが、その和声的妙であり、都度その浮揚が感興の渦を広げていく。バーンスタイン指揮においてはあくまでも主情的な色彩が色濃いのだが、ペトレンコにおいては音楽的な変異がより感興となる。指揮技術的な卓越が本物の芸術を成すところでもあり、交響曲の醍醐味でもある。そしてこれほどに感情的に昂った指揮ながら、件の「悲愴」よりも感動的で、より純音楽的だった。左右に分かれたヴァイオリン群もヴィオラもそしてコントラバスなど低弦も強い気持ちで弾き切っていた。
ペトレンコは本当に第二の故郷の人たちにお別れをしているのではないかと感じた。この楽曲の内容がそうした感情によって増幅されたのだろうか。しかし注意はしていたのだが周りにもお母さんらしき人の輪も見られず、演奏後のペトレンコの視線を追っていても、むしろ私の方に注がれるぐらいで ― 杉良太郎効果 ―、あまり身近な人はそんなにいなかったのではないかとも思った。もし母親が既にどこかに引っ越ししていたならば、本当にお別れではないかとも感じた。十八歳で両親とともにシベリアでの生活の全てを捨てて裸一貫でフェルトキルへへと移住した。父親の仕事が決まっていたと思っていたのだが、先月の本人の言葉からはどうも違うようで、精々ユダヤ系の知り合いがいたぐらいなのだろうか。
思い出そう。九月にはフィルハーモニーでのファミリーコンサートに際して難民への寄付金を集めようとする時に、珍しく自らを語り「難民ではなかったものの故郷を離れる気持ちや将来への不安はよくわかる」のだと語っていた。その気持ちがお別れの音楽に強い情感を与えていたとしてもおかしくはないのである。終演後にはチェロの白髪の爺さんに特別の祝福していたが、定年であるとともに苦労して亡くなった父親との縁のあった人ではなかったのだろうか。もう企画した支配人もおらず、このツィクルスの間にも時は流れたであろう。そうした気持ちの昂ぶりは指揮台から離れて汗を拭うのに長い時間をかけて、客席に向き直った時の泣きべそをかいているかのような表情に繋がっていたのだろう。舞台で初めて見せる表情だった。
この度の演奏会はそれなりに特別なものを想定していたが、考えていたものとは異なった。そしてキリル・ペトレンコの指揮においては、その楽曲の構造とか意味の把握が音化されることで、音色とリズムなどの様に飽く迄も音楽的な基礎要素が演奏会でこそ活きてくることを改めて確認した。そうした背景には社会的な具象的な活動もあって、劇場的な虚飾の中で光り輝くものであるよりも、より抽象的な表現によってこそ意味を放つものであると再確認した。
グスタフ・マーラーは、メンゲルベルクなどの友人に書いたように、この交響曲を次のように考えていた:
「彼が愛していた全てのもの、世界からの告別だと、彼の芸術、彼の人生、彼の音楽からと。」(終わり)
参照:
引力場での音楽表現 2021-08-02 | 音
文化団体としての意思表示 2021-09-19 | マスメディア批評
ソロで演奏した者を全て立たせた。件のトラムペット奏者も祝福されて、これはいつものペトレンコとは違い、第二の故郷の仲間に対する扱いだと思った。それはそれで感動的であった。象徴的なのは最後にまるで奈落の楽員を祝福するように平土間の聴衆を祝福したことであった。これも今まで見たことのない様子で、ミュンヘンでもそれは少し異なった。それはそれで一つの見識だったと思う。それだけに今回は特別な演奏会だと理解した。少し珍しいなとも感じた。
しかし翌晩の本当のツィクルス最後の演奏会では状況は全く異なった。既に三楽章のブルレスクのコーダの盛り上がりに尋常ではない激しさがあった。既に書いたように敢えてそこは盛り上げの必要があるのだなと理解していた。その高揚感が、長い休憩の後にも続いていて、丁度「悲愴」の三楽章あとでこちらは心臓がパクパクしていたこと思い出した。その心理的な影響は大きい。バーンスタインがイスラエルフィルを振った時もその傾向もあったと記憶する。要するに「悲愴」的な効果自体は創作者に狙われていたのだろう。
そして変容していくアダージョの主題に上昇する昇天の主題が変異のきっかけを作っていく。次から次へと音色旋律へとの契機を与えるような進行でもあり、どんどんと遠い所へと進み出て行くのだ。雲を抜けて青い宇宙へと舞い上っていくようでもあるのが、その和声的妙であり、都度その浮揚が感興の渦を広げていく。バーンスタイン指揮においてはあくまでも主情的な色彩が色濃いのだが、ペトレンコにおいては音楽的な変異がより感興となる。指揮技術的な卓越が本物の芸術を成すところでもあり、交響曲の醍醐味でもある。そしてこれほどに感情的に昂った指揮ながら、件の「悲愴」よりも感動的で、より純音楽的だった。左右に分かれたヴァイオリン群もヴィオラもそしてコントラバスなど低弦も強い気持ちで弾き切っていた。
ペトレンコは本当に第二の故郷の人たちにお別れをしているのではないかと感じた。この楽曲の内容がそうした感情によって増幅されたのだろうか。しかし注意はしていたのだが周りにもお母さんらしき人の輪も見られず、演奏後のペトレンコの視線を追っていても、むしろ私の方に注がれるぐらいで ― 杉良太郎効果 ―、あまり身近な人はそんなにいなかったのではないかとも思った。もし母親が既にどこかに引っ越ししていたならば、本当にお別れではないかとも感じた。十八歳で両親とともにシベリアでの生活の全てを捨てて裸一貫でフェルトキルへへと移住した。父親の仕事が決まっていたと思っていたのだが、先月の本人の言葉からはどうも違うようで、精々ユダヤ系の知り合いがいたぐらいなのだろうか。
思い出そう。九月にはフィルハーモニーでのファミリーコンサートに際して難民への寄付金を集めようとする時に、珍しく自らを語り「難民ではなかったものの故郷を離れる気持ちや将来への不安はよくわかる」のだと語っていた。その気持ちがお別れの音楽に強い情感を与えていたとしてもおかしくはないのである。終演後にはチェロの白髪の爺さんに特別の祝福していたが、定年であるとともに苦労して亡くなった父親との縁のあった人ではなかったのだろうか。もう企画した支配人もおらず、このツィクルスの間にも時は流れたであろう。そうした気持ちの昂ぶりは指揮台から離れて汗を拭うのに長い時間をかけて、客席に向き直った時の泣きべそをかいているかのような表情に繋がっていたのだろう。舞台で初めて見せる表情だった。
この度の演奏会はそれなりに特別なものを想定していたが、考えていたものとは異なった。そしてキリル・ペトレンコの指揮においては、その楽曲の構造とか意味の把握が音化されることで、音色とリズムなどの様に飽く迄も音楽的な基礎要素が演奏会でこそ活きてくることを改めて確認した。そうした背景には社会的な具象的な活動もあって、劇場的な虚飾の中で光り輝くものであるよりも、より抽象的な表現によってこそ意味を放つものであると再確認した。
グスタフ・マーラーは、メンゲルベルクなどの友人に書いたように、この交響曲を次のように考えていた:
「彼が愛していた全てのもの、世界からの告別だと、彼の芸術、彼の人生、彼の音楽からと。」(終わり)
参照:
引力場での音楽表現 2021-08-02 | 音
文化団体としての意思表示 2021-09-19 | マスメディア批評