Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

マスク無用の咳仕放題

2021-10-04 | 雑感
11時半頃に帰宅した。途中ウルムへのところがいつものように渋滞していた。ウルム市内に逃れてと余分に時間がかかった。なければ7時前には駐車場を出て、フェルトキルヒの名物猫の塔を写して、帰路に着く。11時前には着く予定になっていた。やはり休憩無しの5時開演は早い。

フェルトキルヒの街の中を歩くのは三十年ぶりぐらいだった。当時は今のようなコンサート会場もなかった。2013年の定礎式のようで、するとペトレンコが同地でのマーラーツィクルスを始めた時にはなかったことになる。それまでの1975年築のシュタットハーレ改めモントフォールトハウスとして新たな会場を使っていたようだ。

1990年代当初は車で町に乗り入れて、歩行者天国で止めて、その先のホテルに泊ったので、今よりも区間が短ったのだろう。歩いてみてなんとなく感じたがホテルの位置等は分からなかった。但し会場の背後となっている白い石灰の岩壁は記憶に残っていて、雪のフェルトキルヒが要塞の街のように感じたものだった。

日曜日は朝から生暖かいボーデン湖からの風が吹いていて、季節の変わり目とその湿った空気がこれまたブレゲンツなどにも共通する土地の雰囲気を感じさせた。要するに湿気っぽい。

接種証明を持っての初めての旅となったのだが、結局提示したのは演奏会の入り口で二回だけで、状況は一変していた。オーストリアは恐らくドイツよりも脱コロナで先行しているようだ。

演奏会場でマスクをしないで歩き回る人は三割から四割、座ってマスクをしている人はほとんど居なくなっている。ブレゲンツの祝祭劇場は真ん中の席でバルコンだったのでマスクをしていたが、フェルトキルヒは平土間の中間の前が通路の席だったので、途中でマスクを外した。それでも後ろから咳をされて閉口したが、以前と同じぐらいかそれ以上に質の悪そうな咳が方々から聞こえる。

つまりオーストリアでは既に感染を満遍なく広げるようにとの合意が通っているようで、マスクをしているのはどう見ても一部のエリートクラスの家庭ばかりの様に見えたが、もしかすると近隣のスイスやドイツからの越境者かもしれない。

立テーブルで同席したエリート風な家族も2Gの話をしているぐらいで、そこの変化をいろいろと感じているようだった。個人的にはまだまだマスクなしで知らぬ人と会話するのは抵抗がある。

指揮者のキリル・ペトレンコも出てくるときにはマスクをしていた。恐らく同じ気持ちでだと思う。少しのことで感染の可能性を下げれるならば、後で後悔しないように、転ばぬ先の杖にしておきたいのである。なにも無理して感染するべきものではないのは既感染者ならより分かると思う。



参照:
胸がきゅんとなる 2020-11-07 | 女
折り返し点での喧騒 2020-08-18 | 文化一般
コメント
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