来年一月のチェコフィルの券を購入した。29,70ユーロは悪くないと思う。何十年ぶりか記憶にないが、コシュラー指揮で聴いて伝統の弦がそれほどの表現力を持っていないことは確認した。そして現シェフのビュシュコフ指揮でのマーラー三番はそれなりに楽しみである。しかし誰かが紹介していた一番の触り二秒を聴けば特産の弦の表現力は其の儘だった。確かにドヴォルジャーク風のそれはいいのだが、様々な曲で高度な表現をしようと思えば限度がある。それを修正しようとした亡くなった指揮者アルブレヒトの試みは外交問題にまで至った。なるほどアルブレヒトとビュシュコフでは能力は違うかもしれないがよそ者であり、そこ迄のヤル気などは到底無いに違いない。世界一流の水準にと目標を掲げていた鬘を被っていたベロラーヴェックの早世が惜しまれる。
一月はシカゴ交響楽団のムーティ指揮お別れ欧州ツアーがあって、更に翌週にはベルリンへ出かける予定なので、その間のバーデンバーデン行は結構大変なのだが、その交通費や価格には逆らえない。シカゴにはそれなりの費用を支払わなければいけないが、またベルリンでも三日間連続で可也の価格となるのだが、それはやはり超一流と地方楽団との価値差は歴として存在する。
さて木曜日から旅行準備である。木曜日にはベルリン芸術祭で演奏する初日となって、そのうち一曲は初演される。クルタークの弟子筋のイレスという作曲家の作品である。その前にはクセナキスの「ジョンシェ」が演奏される。この曲は保守的なフィル―モニカーが演奏するのは初めてのようで、1977年作曲で半世紀近くなってクラシックなモダーンとして漸くという感じだである。後半のハルトマン「歌の風景」はヴェルナーエックの指揮で初演者のディースカウに1966年に歌われていて、最後には2011年にスクロヴァチェフスキ指揮でゲルネが歌っていた。今回はペトレンコが前回ミュンヘンで振った2014年に続いてゲルハーハーが歌う。最後の曲としてクルタークの「シュテレ」が演奏されるが、これはアバド時代に委嘱した作曲のようで1994年の初演、そして最後には2010年にハイティンク指揮でまたラトル指揮で演奏されている様だ。
もう一つ興味深いのは、ハルトマンとミュンヘンの繋がりで、劇場の為には新しい音楽を担当していて、またBR放送局の為には今回ミュンヘンに廻って演奏するムジカヴィ―ヴァの新しい音楽の催し物の支配人であったということになる。そして最終公演日曜日はミュンヘンの新しい会場でベルリナーフィルハーモニカーがムジカヴィ―ヴァに客演する。これだけで色々なことが語れると思うのだが、三曲をざっと見てもまだこのプログラムの全容が見えていない。
先ずは土曜日のヘンツェをざっと見てから詳しく見ていくしかないと思う。しかしハルトマンの作品に関しては以前のヴァイオリン協奏曲などに比較すると興味深く思った。オペラ作品への習作でもあったとかあり、ヘンツェの「メデューサの筏」とも同時代の作品ともなり、こちらもオペラ化はされていない。二十世紀中盤の作品群が今こうしてクラシックな演奏会のプログラムの主役になりつつある。
その為にも大管弦楽団も必要な柔軟性と表現力を獲得しなければ始まらないということであり、ベルリナーフィルハーモニカーが当時のそれらを専門としていたようなそれほど発展もしていないBR放送交響楽団とは桁違いな表現力を獲得しているということでもある。
参照:
金券をすっかり使い込む 2021-05-10 | 生活
これからの大きな期待 2018-06-20 | マスメディア批評
一月はシカゴ交響楽団のムーティ指揮お別れ欧州ツアーがあって、更に翌週にはベルリンへ出かける予定なので、その間のバーデンバーデン行は結構大変なのだが、その交通費や価格には逆らえない。シカゴにはそれなりの費用を支払わなければいけないが、またベルリンでも三日間連続で可也の価格となるのだが、それはやはり超一流と地方楽団との価値差は歴として存在する。
さて木曜日から旅行準備である。木曜日にはベルリン芸術祭で演奏する初日となって、そのうち一曲は初演される。クルタークの弟子筋のイレスという作曲家の作品である。その前にはクセナキスの「ジョンシェ」が演奏される。この曲は保守的なフィル―モニカーが演奏するのは初めてのようで、1977年作曲で半世紀近くなってクラシックなモダーンとして漸くという感じだである。後半のハルトマン「歌の風景」はヴェルナーエックの指揮で初演者のディースカウに1966年に歌われていて、最後には2011年にスクロヴァチェフスキ指揮でゲルネが歌っていた。今回はペトレンコが前回ミュンヘンで振った2014年に続いてゲルハーハーが歌う。最後の曲としてクルタークの「シュテレ」が演奏されるが、これはアバド時代に委嘱した作曲のようで1994年の初演、そして最後には2010年にハイティンク指揮でまたラトル指揮で演奏されている様だ。
もう一つ興味深いのは、ハルトマンとミュンヘンの繋がりで、劇場の為には新しい音楽を担当していて、またBR放送局の為には今回ミュンヘンに廻って演奏するムジカヴィ―ヴァの新しい音楽の催し物の支配人であったということになる。そして最終公演日曜日はミュンヘンの新しい会場でベルリナーフィルハーモニカーがムジカヴィ―ヴァに客演する。これだけで色々なことが語れると思うのだが、三曲をざっと見てもまだこのプログラムの全容が見えていない。
先ずは土曜日のヘンツェをざっと見てから詳しく見ていくしかないと思う。しかしハルトマンの作品に関しては以前のヴァイオリン協奏曲などに比較すると興味深く思った。オペラ作品への習作でもあったとかあり、ヘンツェの「メデューサの筏」とも同時代の作品ともなり、こちらもオペラ化はされていない。二十世紀中盤の作品群が今こうしてクラシックな演奏会のプログラムの主役になりつつある。
その為にも大管弦楽団も必要な柔軟性と表現力を獲得しなければ始まらないということであり、ベルリナーフィルハーモニカーが当時のそれらを専門としていたようなそれほど発展もしていないBR放送交響楽団とは桁違いな表現力を獲得しているということでもある。
参照:
金券をすっかり使い込む 2021-05-10 | 生活
これからの大きな期待 2018-06-20 | マスメディア批評