Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

漆黒の闇があったから

2023-09-15 | 歴史・時事
旅絵日記首都再訪編。出発は7時45分には果たせた。6時前にスッキリと起きれたのが大きい。最も身近なアウトバーンで工事渋滞があり、カッセルでストップアンドゴーがあった。アイゼナッハへも渋滞した。三回ぐらいの遅れで、ライプチッヒ通過は無事であった。最初の休憩がアイゼナッハのバッハの家広告の前ぐらいだった。そこまで2時間45分ぐらいだったろうか。20分ほど遅れた。

宿に着いたのが、14時45分ほどで、アウトバーンを降りてから10分もかからなかっただろうが、家番号を探して、門前から電話したりして話したのが15時の10分ほど前だった。そこからオーナーとお話して、荷物を整理してSNSで第一報を送ったのが15時35分だった。

フィルハーモニーに18時に入る予定だったので、17時過ぎに出るようにして、実際に着いたのは18時前であったが、駐車場を探した。嘗ての場所は色々と建てられていて狭くなっていて、20台ほどしか停められなかった。それを探すのにティーアガルテンシュトラーセの道路脇に停めて、あの敷地を徒歩でぐるっと一周したら入り口が見つかった。それほどになってしまっていた。価格も公演料金で10ユーロであった。

先ずはともあれ19時の開場には余裕があったので良かった。公園前レクチャーにはそれなりの人数が集まっていたが、ジジババ主体で、プログラムも書いているクラスティング氏も座っていたのだが、中若年層が少ないのは仕事帰りで時間がないのか、それともそうした聴衆の関心事が全く異なっているのか判断できなかった。この件は改めて述べることにしたい。

往路もそうであったが、帰路は何故かナヴィが落ちてしまって苦労した。どうもベルリン周辺はGPSが弱いようである。理由は分からないのだが、なにか妨害でも入っているのかもしれない。まるで東ドイツのような雰囲気は、宿は当然のことベルリン全域に広がってきている。

20年前に二度ほど出かけたときは、まだ西ベルリンの趣がなんとなく残っていた。しかし今は首相府が長く東ドイツの女性の手のもとにあったためか、感覚的に明らかに東ベルリンの感じである。西ベルリンは西側のショーウィンドーと称されたように、西ドイツにはない華が徒花が咲いていた。それが無くなって道路がガタガタで、まるで昔聞いたポーランドのような感じがする。

兎に角、大都市らしくが雑踏がだけでなく、雰囲気が冴えなくなっている感じがする。おそらく全東ドイツから可也の人が集まってきているのか、西ベルリンの雰囲気を保っている人がぐんと減って来ている感じがした。要するに田舎臭い。

少なくともフィルハーモニーのテラスに出て、嘗て東西の壁への漆黒の闇を見つめたときのことを思い出したが、そのときには壁の向こうの暗く、冷たい感じの世界を感じていたのだが、まさに今はそのテラスの雰囲気がその両方を混ぜて東ベルリン風になった気持ちがしたということだ。それほど「ショーウィンドー」の時は、カラヤン指揮フィルハーモニカーも華やかな光を放っていたのだった。そういう文化的な価値観を担っていたのだった。

勿論それらは比較対象で初めて浮かび上がるものだろう。漆黒の闇があったからこそ、こちら側の明るさが眩しかった。西ドイツからはトランジットの列車で皆が西ベルリンを訪れたのだった。そして帰宅時には荷物を調べられていた。なぜならば特別税制が敷かれていて、西ベルリンから西ドイツへと密輸人がいたからだろう。



参照:
劇場に人を詰め込む方法 2020-05-13 | 文化一般
へったくれも何もなく 2020-12-03 | 雑感
コメント
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