ミュンヘンから帰宅した。ホテルを珍しく9時半頃に出て、到着予定時刻は13時15分前であったが、安いスタンドを探してダッハウの収容所跡の辺りまで走って、結局もとにい戻りで17km程余分に走った。それでもおあファルツと同じぐらいの価格だった。だから次のボッフム行へ満タンは入れなかった。
前夜は協会の奢りとなって一杯飲ませて貰ったので、結構絶望的だったアルコールと食事探しの必要がなくなり、ゼクト三杯と水とブレッツェル二つだけで夜食とした。そもそも朝からケシのケーキ一切れとパンにバターを塗ったものを数枚食して、若干お野菜を詰め込んだだけだったので、一日の食事量としては何年振りかで少ない量だった。そのお陰で目覚めも睡眠不足に限らずよかった。
帰路の340kmはベルリン行に比較すれば短いもので、更に道路事情もよく、道路の形状も殆ど頭に入っている。今迄三ケタ回数往復しているかもしれない。だから運転しながらナイフでパンを切ったり、殆どのことが可能となる。それでも月曜日の午前中で貨物自動車が真ん中のラインまで出てくるので結構危ない。
今朝は気持ちよく6時には起きれたので、そして今晩は完全に窓を閉めて就寝できそうで、出発当日も早朝に眠気無く森を走れそうな気がする。結局帰路シュヴァルツヴァルトのプフォルツハイムで10分ほどのストップアンドゴーがあったので到着は14時前になったのだが、途中で一度だけ車を停めて目を瞑ったぐらいでそれほど問題なく帰宅可能となった。やはりミュンヘンは近い。そして街も走りやすい。
ミュンヘンのホテルは北からのアプロ―チもシュトッツガルトからのそれも市街地へも近い絶好の場所にある。しかし、オクトバーフェストの祝祭原っぱの横を掠めるとは思ってもみなかった。出かけるホール自体が中心から外れているので全く考えなかったのである。それでも日曜日の夜ということで横断する歩行者の人数も限られていて、ベルリンで前日に遭遇したイラン人女性殺害記念パレードほどではなかった。そちらは如何にもベルリンらしい。ベルリンでの苦労と比較すると容易に20分ぐらいの遅れで駐車場に着いた。
奇しくも今回はベルリンの新フィルハーモニーとミュンヘンの新ガスタイクを同じプログラムで聴き比べることになった。これは音響を比較する事でもあるのだが、それ以上に音楽的な認識を深める意味でもとても大きな経験だった。更にベルリンでは近くの人などに声をかけたり、公演前のレクチャーに出たりして、その聴衆の質も吟味した。同じようにあまり馴染みのないミュンヘンのコンサート訪問者にも声をかけて様子を窺った。こちらは音楽以上に文化的な質の違いにもなる。
更に興味深かったのだは土曜日のテムペルホーフ飛行場の旧格納庫で開催されて大反響を呼んだコーミッシェオパーの公演に出かけてきた人々の質やその感じ方等これまた社会的にも取り分け興味深いもので、例えばオペラの殿堂であるミュンヘンの劇場に集まる人との差をも実感することになった。
木曜日には西北ドイツの炭鉱の街でのトリエンナーレに集まる人々のそれをも比較することで、これまた色々と浮かび上がるものがあると思っている。まさしくドイツ連邦共和国文化圏各々である。
参照:
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
高度な音楽劇場の背景 2023-08-15 | 文化一般
前夜は協会の奢りとなって一杯飲ませて貰ったので、結構絶望的だったアルコールと食事探しの必要がなくなり、ゼクト三杯と水とブレッツェル二つだけで夜食とした。そもそも朝からケシのケーキ一切れとパンにバターを塗ったものを数枚食して、若干お野菜を詰め込んだだけだったので、一日の食事量としては何年振りかで少ない量だった。そのお陰で目覚めも睡眠不足に限らずよかった。
帰路の340kmはベルリン行に比較すれば短いもので、更に道路事情もよく、道路の形状も殆ど頭に入っている。今迄三ケタ回数往復しているかもしれない。だから運転しながらナイフでパンを切ったり、殆どのことが可能となる。それでも月曜日の午前中で貨物自動車が真ん中のラインまで出てくるので結構危ない。
今朝は気持ちよく6時には起きれたので、そして今晩は完全に窓を閉めて就寝できそうで、出発当日も早朝に眠気無く森を走れそうな気がする。結局帰路シュヴァルツヴァルトのプフォルツハイムで10分ほどのストップアンドゴーがあったので到着は14時前になったのだが、途中で一度だけ車を停めて目を瞑ったぐらいでそれほど問題なく帰宅可能となった。やはりミュンヘンは近い。そして街も走りやすい。
ミュンヘンのホテルは北からのアプロ―チもシュトッツガルトからのそれも市街地へも近い絶好の場所にある。しかし、オクトバーフェストの祝祭原っぱの横を掠めるとは思ってもみなかった。出かけるホール自体が中心から外れているので全く考えなかったのである。それでも日曜日の夜ということで横断する歩行者の人数も限られていて、ベルリンで前日に遭遇したイラン人女性殺害記念パレードほどではなかった。そちらは如何にもベルリンらしい。ベルリンでの苦労と比較すると容易に20分ぐらいの遅れで駐車場に着いた。
奇しくも今回はベルリンの新フィルハーモニーとミュンヘンの新ガスタイクを同じプログラムで聴き比べることになった。これは音響を比較する事でもあるのだが、それ以上に音楽的な認識を深める意味でもとても大きな経験だった。更にベルリンでは近くの人などに声をかけたり、公演前のレクチャーに出たりして、その聴衆の質も吟味した。同じようにあまり馴染みのないミュンヘンのコンサート訪問者にも声をかけて様子を窺った。こちらは音楽以上に文化的な質の違いにもなる。
更に興味深かったのだは土曜日のテムペルホーフ飛行場の旧格納庫で開催されて大反響を呼んだコーミッシェオパーの公演に出かけてきた人々の質やその感じ方等これまた社会的にも取り分け興味深いもので、例えばオペラの殿堂であるミュンヘンの劇場に集まる人との差をも実感することになった。
木曜日には西北ドイツの炭鉱の街でのトリエンナーレに集まる人々のそれをも比較することで、これまた色々と浮かび上がるものがあると思っている。まさしくドイツ連邦共和国文化圏各々である。
参照:
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
高度な音楽劇場の背景 2023-08-15 | 文化一般