金曜日は結構酔いが残った。ワイン街道からベルリンへの旅行、そして久しぶりのベルリン、宿への帰宅の彷徨など疲れてビールとワインを開けた。予定よりも遅れての食事だったので、缶詰も開けなかったのだが、翌日に残った。深い眠りともならなかった。結構否定的な感じが付きまとった。しかし、朝のパンを購入しておく仕事があったので、早めに買い物に出かけたのだが、村の一件目はスーパーに併設で見るからに不味そうだった。
そこで、次の反対側の村へと行ってみた。そこには数年前までは有名なパン職人がいたようで新聞にも辞める時に惜しむ記事が出ていたようだが、ポツダムの外れにあたるのだろう。その後に小奇麗な店が出来ているのだが評判が悪い。それでもスパーよりはマシだろうと思ったが、広場で市場がたっていた。そこで駐車に苦労すると、近所の住宅街も見れてよかった。自然の中にある瀟洒な住宅街で、東独の党関係の人が週末に住んでいたに違いない様な感じだ。そしてヤクザな感じのお兄さんからいいパンを買えた。金曜日朝に購入してそして今火曜日にも未だおいしく食せる。ここまでのは初めてだ。前に購入した若い叔母さんが酵母について質問するとワイン酵母と答えていた。普通の百姓パンなのだが、バターを付けるだけで幾らでも食えるのが不思議。塩気が丁度いいのだろう。そしてパサパサにならない。手渡された時から焼き立てではなくしっかりしていた。恐らく南ドイツとはまた別の伝統があるのだと思う。一時間ほど時間を掛けたがとても価値がある朝の買い物となった。
そこで朝食後身体を休めた。あまりお勉強する元気もなかった。旅行疲れだろうと思う。ミュージウムインゼルに行こうと思っていたが、駐車して歩かないといけないことに知って、取り止めた。街の中を歩くのは苦手である。そして外回りは歩いたこともある。目的の展示館に車でいけないならば価値がないと思った。要するにベルリンは車の街ではない。
夜のコンサートの生中継があるのでタイマー録音しようと思ったが失敗した。前夜には成功していたので注意が足りなかったようだ。あまりお勉強するだけの意欲も無くて、今度は道が分かっているので、給油するだけの時間を見て出かけた。それでも18時に駐車場入りするにはまだ時間が空いた。そこでフィルハーモニーに並ぶティーアガルテン通りのアデナウワーハウスから始まる日本大使館やらが並ぶご近所でゆっくりと停車などをしていたのだった。
今回は宿までの帰路の給油を先にしておいたので復路ではポツダム広場に出て、ブランデンブルク門の前を通過した。前回の時は工事中で走れなかったので門の前の路を走るのは初めてだった。これでロンドンのバッキンガムからビッグベンやチャーリングクロスなど、またパリでは凱旋門やシャンゼリゼなど概ねの首都の中心地は車で走ったことになる。それらに匹敵するところは欧州にはないだろう。ベルリンは比較に為らない田舎だけれども。
流石に二日目はナヴィが落ちないように凱旋道路を突っ切って、そして間違えずにA100に入った。だから宿にも11時前に戻って来て、付け合わせのインゲンマメは塩茹ですればいいように準備してあったので問題なく、あとは故コール首相の好物缶詰を開けるだけだった。完璧かと思ったが、二本目を開けて一杯継いで冷やしておこうと思ったら、突き刺したコルクが長過ぎて、冷蔵庫の棚から床に転げ落ちら。下のタイルでは瓶が割れた。そこそこのヴィラージュリースリング一杯しか飲めなかった。酔いが回っていたか?
参照:
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
そこで、次の反対側の村へと行ってみた。そこには数年前までは有名なパン職人がいたようで新聞にも辞める時に惜しむ記事が出ていたようだが、ポツダムの外れにあたるのだろう。その後に小奇麗な店が出来ているのだが評判が悪い。それでもスパーよりはマシだろうと思ったが、広場で市場がたっていた。そこで駐車に苦労すると、近所の住宅街も見れてよかった。自然の中にある瀟洒な住宅街で、東独の党関係の人が週末に住んでいたに違いない様な感じだ。そしてヤクザな感じのお兄さんからいいパンを買えた。金曜日朝に購入してそして今火曜日にも未だおいしく食せる。ここまでのは初めてだ。前に購入した若い叔母さんが酵母について質問するとワイン酵母と答えていた。普通の百姓パンなのだが、バターを付けるだけで幾らでも食えるのが不思議。塩気が丁度いいのだろう。そしてパサパサにならない。手渡された時から焼き立てではなくしっかりしていた。恐らく南ドイツとはまた別の伝統があるのだと思う。一時間ほど時間を掛けたがとても価値がある朝の買い物となった。
そこで朝食後身体を休めた。あまりお勉強する元気もなかった。旅行疲れだろうと思う。ミュージウムインゼルに行こうと思っていたが、駐車して歩かないといけないことに知って、取り止めた。街の中を歩くのは苦手である。そして外回りは歩いたこともある。目的の展示館に車でいけないならば価値がないと思った。要するにベルリンは車の街ではない。
夜のコンサートの生中継があるのでタイマー録音しようと思ったが失敗した。前夜には成功していたので注意が足りなかったようだ。あまりお勉強するだけの意欲も無くて、今度は道が分かっているので、給油するだけの時間を見て出かけた。それでも18時に駐車場入りするにはまだ時間が空いた。そこでフィルハーモニーに並ぶティーアガルテン通りのアデナウワーハウスから始まる日本大使館やらが並ぶご近所でゆっくりと停車などをしていたのだった。
今回は宿までの帰路の給油を先にしておいたので復路ではポツダム広場に出て、ブランデンブルク門の前を通過した。前回の時は工事中で走れなかったので門の前の路を走るのは初めてだった。これでロンドンのバッキンガムからビッグベンやチャーリングクロスなど、またパリでは凱旋門やシャンゼリゼなど概ねの首都の中心地は車で走ったことになる。それらに匹敵するところは欧州にはないだろう。ベルリンは比較に為らない田舎だけれども。
流石に二日目はナヴィが落ちないように凱旋道路を突っ切って、そして間違えずにA100に入った。だから宿にも11時前に戻って来て、付け合わせのインゲンマメは塩茹ですればいいように準備してあったので問題なく、あとは故コール首相の好物缶詰を開けるだけだった。完璧かと思ったが、二本目を開けて一杯継いで冷やしておこうと思ったら、突き刺したコルクが長過ぎて、冷蔵庫の棚から床に転げ落ちら。下のタイルでは瓶が割れた。そこそこのヴィラージュリースリング一杯しか飲めなかった。酔いが回っていたか?
参照:
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活