Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

旅絵日記週末編

2023-09-04 | 文化一般
宿では国境周辺が工事封鎖されていると聞いていた。しかしアウトバーンで行くならばと話していたのだが、その乗り口が閉鎖されていたのだ。結局ルクセムブルクの市郊外のアウトバーンまで地道を走った。いつも降りたら面倒そうだなと思っていたところで、適当に公国の領土が広い。

宿の周りも多くがルクセムブルクの車が走っているような国境の町なのだが ー それどころか公共バスまで乗り入れ運航していた、それも市街まで行くとなると迷いながら30分のところを一時間走った。流石に焦った。ドイツ語のレクチャーが18時45分からあったのでそれに間に合うようにとの予定だった。

三十年ぶりぐらいで市街地を走ったが日曜日で助かった。平日ならば渋滞で本番にも間に合わなかったであろう。耳元で何度も鳴っているシェーンベルクもあまり耳に入らなかった。睡眠学習にも劣る。それでも20分前ほどに入庫できた。

早速レクチャーに行くと結構な人数が集まっていたが、ライプチッヒからの女性のお話し内容はその喋り口とも合わせて、安物大学の安物美学講師程度のものでしかなかった。本当に酷かった。先ずは変奏の美学をチョコレートの種類あれこれに喩えて話しを聞かせようと媚びを売ったところで、もうこれは駄目だとため息が出た。それでもまだ変奏の美学のそれも哲学的な認知に絞っていれば賢そうに見えたのだが作曲の演奏の美学にまで哲学的な意味付けをしようとするので、これならば僕が同じように書いてきてお話した方がマシだと思った。こんな頭の悪い女に喋らすなである。書いている論文もあんな程度では誰も読まないに違いない。誰だこんなのを呼んだのは。東独の学術程度が低すぎる。

いつも熱心にレクチャーに行くのは、それによってその会場の聴衆の質が定まっているからである。程度の高いところはやはりそれだけの反応がある。それを知っているからだ。その意味からすると全く期待できないなと改めて感じたのだが、勿論第一の公用語はフランス語なので、その多くの聴衆はそれほど悪くはないというのが今までの経験であった。そして今回のベルリナーフィルハーモニカ公演はドイツ銀行のご招待のレセプションもあって、カナペーまでを摘むことにもなった。全く無関係ではないまあいいお客さんなのでそれはそれでいいだろう。

公演内容に関しては改めてとなるのだが、予想通り、そして楽団のツアーブログにあったようにバッチリと会場に合わせてきた。指揮者のペトレンコも座付き楽団とそしてユース楽団と演奏会を開いている様にそこの音響を知っている。ベルリナーフィルハーモニカーは十年前に客演したぶりのようで、コロナ期間中にキャンセルになっていたので、漸く叶ったという気持ちである。想定通りルツェルンの会場よりもその晩のプログラムにおいては圧倒的に素晴らしい音響を奏でて、更に深い音楽となした。

隣は八歳ぐらいの次男も連れた家族四人連れで、演奏中もズボンの裾を何度も蹴られたが、隣の母親が叱ることなく直ぐに抑えるので事無きを得た。こちらもできるだけ相手にしないようにした。お陰で横にも後ろにも誰もいないような想定以上の状況で乗り出して響きを楽しんだ。

予想通りブラームスよりもシェーンベルクの方が子供が飽きないことを確認できてちょっと嬉しかった。最初から寝そべっているぐらいだけどその子も同じ音を聞いている。いつも聴衆を観察しに行く私にとっては願ってもない隣人だったかもしれない。長男の方はとても静かで、お父さんもマンドリンの音量がどうのこうのと話していたので楽器でもやる人なのかもしれない。態々四人の席を購入する家庭なので、もしかするとこの次男が将来有名が奏者になっているということもあり得るか。

帰りは工事のお陰で若干迷って遅れたが、宿のおばさんが話したとおり、誰も通らない道を「帰りはヨイヨイ」の一方通行の国境の橋渡りとなった。記念撮影さえなかったならお陰で土地勘が出来たのでよかった。



参照:
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感
コメント
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