(承前)「管弦楽の為の変奏曲」、ルツェルンの演奏でもすっきりしなかったところがあった。十分に聴きとれていなかったところもあるが、それだけではなかったと認識している。特にフィナーレでの四分の三拍子のアダージョそしてプレストの終わり方がよく分からなかった。その前にラッシュするフォルテシシモに続くコーダとして収まりが悪い感じがしたからだ。つまりそのように作曲されている合理性も効果も少なくとも聴く限りでは分からなかった。
幾つか修正があったのだと思うが、ペトレンコの指揮が変わっていたように感じた。先ずはルツェルンでは感じなかったのは対位法的な底であった。しかしルクセムブルクの音響のお陰もあってか、そして全ての声部がより明白に前に音が出ることで、BACHの主題の意味合いがよりはっきりした。
同じ個所を一月の中継録画を振り返ると、やはり全くぎこちなかった。それでも数多くの制作録音等と比較しても立派な出来だったのだが、ここでは第五変奏の半音階下降動機以上に対位法の主題としてBACHの大きな意味合いに気が付いた。
その前にはペーザンテでありながらアッチェラントが掛っているところがあって、恐らくそこの見事な動きがあったからこそ、今度は最後のラッシュの不動さが際立ったかのようだった。ここは指揮者ペトレンコにとっても腕の見せどころだった筈なのだが、「ハイドンの変奏曲」でのメリハリの利いたフィナーレにも対応していて、ルクセムブルクで決まった。
そしてシェーンベルクがフィナーレの在り方について先の講演でまさしくそのことを語っていた。つまり、ホビー画家として有名なこの作曲家はそれに喩て、そのキャムヴァスの中に完結するものを自ら質す必要があるというのである。自らの眼が見ているその儘の世界は無限に広がるということだ。そこで交響曲ならば、その切り取りのみならず、そこにパノラマ映像が開けるとなる。しかし変奏曲となると、例えばゴールドベルク変奏曲を考えると、初めに有りきで終わると考える。
その終わり方ということで、「フィガロの結婚」におけるお小姓の「無くした針の歌」を挙げて最後には落ちがあるとして、その終わり方の例としている。するとどうしてもレーガ―の最後の「モーツァルトの主題による」第八変奏のトリスタン変容を思い起こし、その最後のフーガへと通常の終わり方へと意識がめぐる。
またしてもここで膝を打つのであるが、プログラムの後半におかれたベートーヴェンの交響曲こそは終止形で始まりと、それを扱っている。そしてシェーンベルクはここでは二つの変奏曲をお手本として挙げている。一つはベートーヴェンの「英雄の主題による変奏曲」そしてブラームスの変奏曲となっている。
しかしである、シェ―ンベルクが先に意味深に語っている曲の本質とはそうした曲の構成やその語り方のスタイルにあるのではない。シーェンベルクは12音を公平に使ってバロックからの長い伝統の長短調システムを超越した作曲法を確立したとされるが、それがドイツ音楽の歴史を継承するのみならず優位性を担保すると語ったのか、それはその表現にあるからだ。(続く)
参照:
12音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
そして歴史の証人になる 2023-08-11 | 音
幾つか修正があったのだと思うが、ペトレンコの指揮が変わっていたように感じた。先ずはルツェルンでは感じなかったのは対位法的な底であった。しかしルクセムブルクの音響のお陰もあってか、そして全ての声部がより明白に前に音が出ることで、BACHの主題の意味合いがよりはっきりした。
同じ個所を一月の中継録画を振り返ると、やはり全くぎこちなかった。それでも数多くの制作録音等と比較しても立派な出来だったのだが、ここでは第五変奏の半音階下降動機以上に対位法の主題としてBACHの大きな意味合いに気が付いた。
その前にはペーザンテでありながらアッチェラントが掛っているところがあって、恐らくそこの見事な動きがあったからこそ、今度は最後のラッシュの不動さが際立ったかのようだった。ここは指揮者ペトレンコにとっても腕の見せどころだった筈なのだが、「ハイドンの変奏曲」でのメリハリの利いたフィナーレにも対応していて、ルクセムブルクで決まった。
そしてシェーンベルクがフィナーレの在り方について先の講演でまさしくそのことを語っていた。つまり、ホビー画家として有名なこの作曲家はそれに喩て、そのキャムヴァスの中に完結するものを自ら質す必要があるというのである。自らの眼が見ているその儘の世界は無限に広がるということだ。そこで交響曲ならば、その切り取りのみならず、そこにパノラマ映像が開けるとなる。しかし変奏曲となると、例えばゴールドベルク変奏曲を考えると、初めに有りきで終わると考える。
その終わり方ということで、「フィガロの結婚」におけるお小姓の「無くした針の歌」を挙げて最後には落ちがあるとして、その終わり方の例としている。するとどうしてもレーガ―の最後の「モーツァルトの主題による」第八変奏のトリスタン変容を思い起こし、その最後のフーガへと通常の終わり方へと意識がめぐる。
またしてもここで膝を打つのであるが、プログラムの後半におかれたベートーヴェンの交響曲こそは終止形で始まりと、それを扱っている。そしてシェーンベルクはここでは二つの変奏曲をお手本として挙げている。一つはベートーヴェンの「英雄の主題による変奏曲」そしてブラームスの変奏曲となっている。
しかしである、シェ―ンベルクが先に意味深に語っている曲の本質とはそうした曲の構成やその語り方のスタイルにあるのではない。シーェンベルクは12音を公平に使ってバロックからの長い伝統の長短調システムを超越した作曲法を確立したとされるが、それがドイツ音楽の歴史を継承するのみならず優位性を担保すると語ったのか、それはその表現にあるからだ。(続く)
参照:
12音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
そして歴史の証人になる 2023-08-11 | 音