Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

旧産業からそして今

2023-09-22 | 文化一般
ボッフムから帰宅した。これを以て八月、九月の旅行を完遂した。計9泊の旅だった。次の泊りは十月中旬のミュンヘンである。

往路はほぼ予定通り着いたのだが、やはりケルン周辺の工事に巻き込まれて街の中の河沿いを走った。それ以前に対岸にも再び戻ってしまったりで、無駄な距離や時間を費やした。当初の計画では一度飛行場へと河を渡って其の儘であった筈なのだが迂回路などに巻き込まれたのだ。だから帰りは北側からクレフェルトに出てライン河の左岸を走った。その方がこちらの領域に早めに戻れる。距離も若干長いだけで、走行時間的にはストップアンドゴーが一度だけコブレンツの前であったぐらいだった。兎に角、人口密集ではベルリン周辺の比ではなくケルンから四方八方へと密集している。だから車もちょこまかと走ってまるで日本のような運転手が多い。鬱陶しい。

宿はル―ル河の畔の低地にあって、オーナーの住んでいる1階のアパートメントで50平米あって新しくなっていて綺麗なのだが、家屋の背後が崖で、河川沿いの路が結構の幹線で昼間の交通量が多く、道路脇からの出入りにチャンスを伺う必要があるぐらいだった。更なる減点は湿気が多い場所でなんとなくかび臭い。折角リフォームしてあって綺麗なのだが、余程管理しないと直ぐに朽ちた感じになるのだろうと思った。あの周辺で何をする為に借りるかはよく分からない。歩いたり自転車に乗る場所も限られそうである。

往路の車中でも元マンネスマンの製鋼工場がフランスの会社に売られていたのが全て閉鎖になるとあった。元炭鉱、そしてオールドインダストリーのあの一帯は斜陽であるが、未だに人口が多い。家屋なども皆朽ちた感じであり、旧東ドイツとはまた異なるが、やはり裕福な感じは全くない。だから余計に商業地のデュッセルドルフなどが華やかな高級品があるところとなるようなのだが、それも知れている。

それで以て、そうした工場跡を利用して文化施設が作られてフェスティヴァルなどが行われていて、人口過密の場所柄だけの催し物となっている。故モルティエ博士も当初に関わったトリエンナーレもその代表的な催し物である。

場所も土地柄もやりがいのあるもので、ご当地の社会を反映したような施設の使われ方が為されているものだと思う。それを確認するのも旅行の目的の一つでもあった。演奏会自体は、参加しているNDRのビッグバンドなどの関係もあって、可也大規模な陣容であって、この点でも先日のベルリン・ミュンヘンでの演奏会以上であった。

また指揮者のティテュス・エンゲルは、演出家マールターラのアイヴスの未完の作品を指揮してそれが商品化されていることで、モルティエ博士の系譜でもあり、この音楽祭では一定の支持者がいたようであった。先週のベルリンの新制作「メデューサの筏」やその前の新制作「アシジの聖フランシスコ」のような大感動を呼び起こしたこととは別に演奏会のおいても一定のという印象なのである。勿論一度でも経験していたならばその後の授賞や瞠目すべき活躍の情報が耳に入って来やすいということはあると思う。

音楽的に、八月末から九月へのそれらの催し物の意味が関連して大きな経験となったことは確かであり、世紀を超えた大天才指揮者と今世紀前半を代表する指揮者の競演ということで、なるべくしてなって、現在の大音楽芸術が一望されることになった。



参照:
再び北上する旅支度 2023-09-21 | 生活
音の摂理とその奔流 2023-09-22 | 音
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音の摂理とその奔流

2023-09-22 | 
ボッフムに出かける前に触りを書いておこう。ベルリン・ミュンヘンにて音楽的に得たことの詳細については多岐に亘るので時間が必要である。だから詳細には至らないがイムプレッションとして書き留めておく。

先ずは、ベルリンで二回聴いて、三回目にミュンヘンで聴いたクセナキス作曲「ジョンシェ」1977年の演奏は、大管弦楽団の今後を左右する出来だった。ベルリンでの演奏もそれなりの成果を挙げていたのだが、初日は明らかに違った。二回目から多くに別けられた分奏の弦楽陣もそのイントネーションをしっかり合わせて来ていた。

一部には、その奏法から非西洋な音程関係が作られて、東洋的な音楽システムで奏されると考える向きもあり、実際には初日にはその様な演奏となっていた。ある意味偶然性の音響でもあったのだが、それを制御することで何が生じたか。それ以前にベルリンでの演奏会前レクチャーにおいて、特に二部の「スピーカーを通すよりも生の方が喧しい」と紹介されていた。まさしくクセナキスの音楽に付き纏う無機的であまりにもシャープな響きとして捉えられていた。多くの人がそうした物理的な響きとして捉えていた音楽である。

そして、場所をワインヤード型のベルリンのフィルハーモニーからシューボックス型のミュンヘンの会場に移して、全ては全く変わった。なによりも舞台一杯の管弦楽団 ― こうした大人数をツアーとして宿泊代だけで今までで最大規模の費用の演奏会と叫ばれているが、それがその会場ではとても重層的に響いた。当然のことながら低音が左右背後の壁から跳ね返ってくるので、そこに中高音が綺麗に乗ることになる。どのような音程関係でもそうした低音の倍音成分が全体の音に干渉するのはよく知られている事である。そこから何故作曲家がこうした不安定な音程の「クラウドの群」を発声させたかの答えがそこにある。要するにワインヤード型の壁の無い発散する音では実現しない音響であり、これが西洋音楽の長短調システム支配を越えた音の摂理とその伝統である。

それによって出来上がった音の壁は、まさしくベルリナーフィルハーモニカーの特徴であるその音の波であり、ペトレンコが指揮台で圧倒される奔流としたものだ。今まで誰もこの後期ロマン派時代に創設された楽団の個性がこのように圧倒的なクセナキスの音の津波の総譜を完全音化するとは想像だにしなかったに違いない。

その音響的なそして伝統的な音楽的な効果は、ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが演奏した作品においての頂点であった。なるほど昨年のマーラーの交響曲七番においてはペトレンコ指揮によって博物館に追いやられたと評されるほど、最早今後何らかの可能性をそこに見出せなくなっていたのに対して、このクセナキスの演奏は今後大管弦楽団が存続するにおいてのメインプログラムはこうした音響であってこそと思わせる名演であった。

先にもシェーンベルク作曲「管弦楽の為の変奏曲」の演奏において、そうしたマーラ―の交響曲以降の作品がメインレパートリーになったと言及したのだが、そこからこうしてその次世代の響きが漸く創作から半世紀に近づくことで現実化してきた衝撃は大きい。聴衆も高揚したが、管弦楽団もそして指揮者もそれを皆感じ取ったに違いなかった。(続く



参照:
小夜曲と火祭りの喧噪 2022-11-24 | 文化一般
フィナーレの在り方について 2023-09-09 | 音
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