Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

クリックトラックの接点

2023-09-25 | 
承前)ボッフムのヤールフンデルトハレでの演奏会が未来に開かれていればとしたのは指揮者エンゲルである。その真意は自身がフリージャズから音楽を始めたのでこうしたジャズバンドと交響楽団と合唱というようなフォーメーションが将来的に一般化する為の布石になるかもしれないという意味合いだった。

兎に角、大規模のフル大管弦楽団と20人を超えるジャズメン、25人規模の合唱団が同じ舞台で演奏するのである。その音のパレットは更にエレクトロニクスで増強されたり制御されたりするので遙かに多彩となる。

通常の大管弦楽団の継続に疑問が投げかけられる時に「フージョン」によってより広い市場が拓かれて経済的にも機能するフォーメーションが築かれるというような気の振れたことを言う人物ではないので、その真意は音楽的な将来性ということである。

今回のプログラムの三曲とも各々の大管弦楽とビッグバンドとの関係を創作の背景にしていて、各々の曲において新たな視座が示唆されることになる。上の未来像を語る時に最もその過去からの大管弦楽の伝統を儀式として見せるのがドナウエッシンゲンの初演に続いての再演だったステンアンデルセンの「トリオ」だった。

この曲はデンマークの放送局の全面的な援助で可能な限りの作品を創作するとしたらというプロジェクトで、過去の映像や録音などのリゾースを使って新たな作品とすることにして、その最大のアーカイヴのSWRのもの全てから選び出したものだった。ビッグバンドのも含めてそれらの音源に何一つ楽譜を書き加えることなく、短いセクエンスを生の演奏で繰り返しそれをコラージュの様に繰り返し重ね合わせていく手法が取られている。

作曲家の言葉によると、同じ管弦楽団でもその音ややり方が時代でも異なっていて、同じような楽団が同じカルロス・クライバー指揮の「魔弾の射手」やチェリビダッケ指揮のまたシェルヘン指揮の練習や本番の風景を繰り返してもまた差異が生じる。それを素早く三人の指揮者がクリックトラックをヘッドフォーンで聴くことでバトンを渡していき、またそのアーカイヴの録音の雑音などを通しても聞こえる違いというのが認知される。ビッグバンドにおいても同様で、長くても二秒も続かないような短かなセクエンスで感じられる世界が背景にある。そして切り替えが素早く繰り返されるとどちらがどちらが生か過去かが分からなくなり認知が歪む。
TRIO excerpt #1


この40分以上の大曲は、メタムジークと称される様な音楽の為の音楽であると同時に、明らかに従来の歴史的な認識を新たな認識へと為すとして、NDRのインタヴューでエンゲルが答えるのが上で言及したような第三の道であり得るかもしれないとする見解であった。

要するに従来のような指揮者が出て来て、拍手を受けて、観客に挨拶して、そして最後には終止の音を奏でて拍手というような世界が客観化されることで芸術の世界からは最早消滅するということでしかない。

しかしまさしくそれが丁度月初めに演奏されたベートーヴェンの交響曲八番の冒頭で茶化されていたことであり、この全く活動を別途にする二人の指揮者で奇しくも数週間のうちに大々的に示されたことが全くの偶然であろうか。私たちはまさにそこにいる。(続く



参照:
ブラームスの先進性から 2023-09-06 | 音
バイロイトのアンデルセン 2020-08-11 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする