Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

視覚を超えるバロック音響

2024-07-14 | 
6月のヴュルツブルク訪問。コロナ前からそこで開かれるモーツァルトフェストは何度も入場券を準備していた。主な理由は適当な距離でワイン祭りを逃れれるからに過ぎなかった。丁度その時期に開かれる音楽祭であることには変わりない。

クーベリックやデーヴィスが振っていたころにも出かけてみたいと思っていた。現在の音楽ホールでモーツァルトが真面に演奏されることは稀になったから、シュヴェツィンゲンをはじめこうしたところで演奏される機会は貴重である。ご近所のシュヴェツィンゲンに関しては、室内楽なら全く問題がないのだが、協奏曲から交響曲となるとそれほど適当な演奏会場ではない。

その点、ヴュルツブルクのレジデンツの広場は、モーツァルトとの直接の関係は薄くともその素晴らしい音響はザルツブルクと同じ設計者のバロックの司教区として特別な意味を持つ。時代性である。

その建物自体は見学を二度ほどしているので馴染みである。しかし、そのカイザーザールの音響を確かめるのは今回が初めてだった。勿論中継映像か録音などでも何度も聴いていて、マイクを通した音には馴染みがある。そしてそこの音響は想定を可也上回っていた。

こうしたバロックの大広間での演奏会には接することがあってもその視覚的な華麗さを超えて音響的に本当に満足できる会場は未だ嘗て経験したことがなかった。しかしそこは偶然にか聴覚が視覚を越えていた。

実は今まで購入しながらお流れになって払い戻したり再投資したりしていた席は殆どが次の間のヴァイスアーザールだった。価格のこともあるが、本会場は常連さんに売れて仕舞って中々入手が難しいということがあった。今回はガラと謳ったディナーが付き券があまり売れていなかったようで、比較的安くていい席が空いていたことが購買に繋がった。40ユーロだった。その前提としてワイン祭りの日程があるものだから必ずしもそれを目指してとはならない。

それでも初モーツァルトフェスト訪問は、先ずそれを確認しただけでも大成功だった。そして、あまり人気の無かった最終日のフィンランドのバロック管弦楽団の演奏はその殆ど無名の指揮者と共に想定を遥かに上回る質であった。コロナ期間中に購入しながら無聴衆などで生中継されたものなどよりも音楽的に遥かに充実していた。

今回の一連の旅行は先ずはミュンヘンのレジデンツの演奏会場の音響を確認する件があって、その演奏会内容が指揮者交代によって殆ど無意味になって仕舞ったことから、どうしても意気消沈することが多かったのだが、ヴュルツブルクでの音響の体験とその演奏内容はそれらを補って十分なものであった。

今後もワイン祭りが開かれる度に出かける可能性の一つとして間違いなく上がってくるモーツァルトフェストである。中々今回の様に価値のある演奏会はないに違いないのだが、その特別な音響であるからこそ、芸術音楽的に意味を放つ演奏会が今後も催される可能性が存在し得るのを確認したことになる。(続く



参照:
フランケン葡萄処漫遊記 2024-06-21 | 試飲百景
飽和するぬるま湯環境 2024-06-19 | 音
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