ご招待の演奏会、バーデンバーデン祝祭劇場友の会の記念公演だった。500人ほどの会員らしいが、2000人近く入ってシュトラウスの「四つの最後の歌」の曲間全部に拍手が出ることで、一体どういう人を招待していたのかとなる。恐らくバーデンバーデン市民とかが多く入っていたのだろう。挨拶は副会長の連邦最高裁判所の長官だったようだ。玄関前にはベルリンナムバーの青いラムプの車が停まっていたので、それよりも高官がいたのだろう。
五列前にはルップ博士が二列目の人に話しかけていたが、その辺りもミリオン単位の寄付をする人ばかりで大物で、前会長は保守党でコール首相に継ぐ大重鎮のショイブレ元副首相だった。メルケル首相が叩き落とした。それでもバーデンバーデンはペトレンコをザルツブルクに譲らなければならなかった。もうそれで個人的には全く興味がなくなった。ヘンゲルブロックの代わりにエンゲルでも入るならパトロンにもなるのだが、最早無意味である。
さて、前半のお目当てはマンハイム出身でこの秋にヴィーンの国立劇場の引っ越し日本公演で伯爵夫人を歌うハンナエリザベート・ミュラーである。最初の紹介でマンハイム生まれでスパイヤーで育って、マンハイムの音大で戻ったというから、歯科衛生士さんか歯医者の娘さんの様だ。どちらかというと前者の様な感じがする。本人も歯医者になるつもりだったらしい。
彼女の歌はミュンヘンのアンサムブルで歌っていた時に聴いていて、ちょい役で大阪の中村恵美と並んで出ていた。然しペトレンコ指揮の下でも演奏会で歌うようになった。最も印象に残っているのは新制作「リア王」での歌唱だった。その後格下の劇場でモーツァルト主役級を歌うようになって秋の引っ越し公演となっている。
そのようにキャリアを積む過程は期待と共に観察してきて、今回改めて聴くと、昨年同じ様な席で聴いたディアナ・ダムラウとの直接比較になる。すると声も歌唱も全く足りない。なるほどその体格に合わせて発声法などで歌えるようなキャリアを積んできたのは分かる。同時にモーツェルトにおいても特別なコロラテユーラの技能を持つ人とは異なりそれだけでは仕事にならない。所謂超一流との落差は埋めようがない。それでも歌える劇場はあるということだ。
言葉の明晰さやそのディクテーションの確かさや、その他舞台での存在感などオペラの世界はやはりその差が明らかで、秋の日本公演ではマルシャリンを歌うニールントにして超一流大劇場で歌えるような声も実力もない。
これらはモーツァルトからリヒャルトシュトラウス、そこからヴァ―クナへの発展が誰にでもできるものではないといういい例示でもある。
一方で声だけあれば大人になってからでもプロになれる様なオペラ歌手で、多額のギャラを稼ぎ出すのだが、その反面天分ない者はやるだけ無駄な様な職業で芸事である。それでも声もいつまで持つかも分からないので、まるでばくちの世界のようでもある。(続く)
参照:
小声で呟やく言葉 2025-02-23 | 生活
奈落拡大計画の実験 2020-06-24 | 文化一般
五列前にはルップ博士が二列目の人に話しかけていたが、その辺りもミリオン単位の寄付をする人ばかりで大物で、前会長は保守党でコール首相に継ぐ大重鎮のショイブレ元副首相だった。メルケル首相が叩き落とした。それでもバーデンバーデンはペトレンコをザルツブルクに譲らなければならなかった。もうそれで個人的には全く興味がなくなった。ヘンゲルブロックの代わりにエンゲルでも入るならパトロンにもなるのだが、最早無意味である。
さて、前半のお目当てはマンハイム出身でこの秋にヴィーンの国立劇場の引っ越し日本公演で伯爵夫人を歌うハンナエリザベート・ミュラーである。最初の紹介でマンハイム生まれでスパイヤーで育って、マンハイムの音大で戻ったというから、歯科衛生士さんか歯医者の娘さんの様だ。どちらかというと前者の様な感じがする。本人も歯医者になるつもりだったらしい。
彼女の歌はミュンヘンのアンサムブルで歌っていた時に聴いていて、ちょい役で大阪の中村恵美と並んで出ていた。然しペトレンコ指揮の下でも演奏会で歌うようになった。最も印象に残っているのは新制作「リア王」での歌唱だった。その後格下の劇場でモーツァルト主役級を歌うようになって秋の引っ越し公演となっている。
そのようにキャリアを積む過程は期待と共に観察してきて、今回改めて聴くと、昨年同じ様な席で聴いたディアナ・ダムラウとの直接比較になる。すると声も歌唱も全く足りない。なるほどその体格に合わせて発声法などで歌えるようなキャリアを積んできたのは分かる。同時にモーツェルトにおいても特別なコロラテユーラの技能を持つ人とは異なりそれだけでは仕事にならない。所謂超一流との落差は埋めようがない。それでも歌える劇場はあるということだ。
言葉の明晰さやそのディクテーションの確かさや、その他舞台での存在感などオペラの世界はやはりその差が明らかで、秋の日本公演ではマルシャリンを歌うニールントにして超一流大劇場で歌えるような声も実力もない。
これらはモーツァルトからリヒャルトシュトラウス、そこからヴァ―クナへの発展が誰にでもできるものではないといういい例示でもある。
一方で声だけあれば大人になってからでもプロになれる様なオペラ歌手で、多額のギャラを稼ぎ出すのだが、その反面天分ない者はやるだけ無駄な様な職業で芸事である。それでも声もいつまで持つかも分からないので、まるでばくちの世界のようでもある。(続く)
参照:
小声で呟やく言葉 2025-02-23 | 生活
奈落拡大計画の実験 2020-06-24 | 文化一般