「せめて今晩だけは、言葉を詰まられせないでいましょう。」、女流作家*インゲボルク・バッハマンが友人の詩人パウル・ツェランに送った電報である。
そのユダヤ系の詩人が、アウシュヴィッツ以後に、ドイツ語で書いた詩に盗作騒動が持ち上がり、その美学に疑問が投げかけられていた。それにも拘らずまたもや花に関する詩集「ヴォルフス・ボーネ」を十月二十一日に書いた、1959年の秋のことである。
写真のアーモンドの実は、青くなっている。何色の花が咲いていたのか?ローズなのか、白なのか。
トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」の冒頭の朗読は、落ち着かない、堰を切ったような調子で、主人公の胸騒ぎを表現している。そしていつの間にか速度を落として、背景説明へと落ち着いて行く。文学CDの朗読が、部屋に流れている。
白く枝を垂らした開花の不連続な残像は、記憶に残るばかりである。硬い殻の中に、それをひっそりとしまいながら。
*PDF-FILE
参照:
水車小屋の娘の陽気な鱒 [ 生活 ] / 2005-03-18
アーモンドの咲くところ [ 生活 ] / 2006-04-19
活字文化の東方見聞録 [ 文学・思想 ] / 2006-05-12
そのユダヤ系の詩人が、アウシュヴィッツ以後に、ドイツ語で書いた詩に盗作騒動が持ち上がり、その美学に疑問が投げかけられていた。それにも拘らずまたもや花に関する詩集「ヴォルフス・ボーネ」を十月二十一日に書いた、1959年の秋のことである。
写真のアーモンドの実は、青くなっている。何色の花が咲いていたのか?ローズなのか、白なのか。
トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」の冒頭の朗読は、落ち着かない、堰を切ったような調子で、主人公の胸騒ぎを表現している。そしていつの間にか速度を落として、背景説明へと落ち着いて行く。文学CDの朗読が、部屋に流れている。
白く枝を垂らした開花の不連続な残像は、記憶に残るばかりである。硬い殻の中に、それをひっそりとしまいながら。
*PDF-FILE
参照:
水車小屋の娘の陽気な鱒 [ 生活 ] / 2005-03-18
アーモンドの咲くところ [ 生活 ] / 2006-04-19
活字文化の東方見聞録 [ 文学・思想 ] / 2006-05-12
我家のアーモンドの苗も順調に育ちつつあり、気長に花と実を待ちます。
ヴェニスに死すは、映画を見ましたが、映画では朗読を聞くような緩急は分かりませんね。
日本ではいよいよサッカーが!と盛り上がっています。
親戚の家にもアーモンドを植えています。確か桜の花びらに似た薄い桃色だったような気がします。
でも、実の大きさに比べて、中の種は小さいですね。
「ヴェニスに死す」の映画の冒頭は、大変印象に残る波のうねりからですね。冒頭の胸騒ぎは深層心理として背後に追いやられているようです。むしろそのうねりの船酔いの感じは、上述のその後の過去への視線に近い?もし私が先にこの原文を自分の目で読んでいたら、こうした切羽詰った感を持てたかどうかは大変疑問でした。知らないことがあると、余計に驚きに満ちた体験が出来ます。
jyakuzuregawaさん、お近くにありましたか。桃色と白色、甘いと苦い、いろいろのようです。中身を取り出す体験もしたいものです。
今晩は、こちらは午後六時からの試合と日本では遅いですから、目を覚ましていなければいけません。