合衆国ツアー初日金曜日のワシントン公演の評が出ている。ベルリナーフィルハーモニカーとしては21年ぶりの首都訪問らしい。ケネディーセンターでの貸し興行であったようだが、2500席のシューボックス型のホールで欧州と同じような価格で出ている。
プログラムは11月の最後の定期公演の三曲で、その評に従えば最初のラフマニノフ作曲「死の島」がハイライトだったようだ。二曲目はヴァイオリン協奏曲で本来は合衆国のヒラリー・ハーンがペトレンコ指揮で初共演する予定だったが数日前にキャンセルした。そこで急遽飛び込んだフィルハーモニカーとも初共演で偶々コルンゴールトの協奏曲をレパートリーにしている合衆国の奏者が共演した。
評によるとデルジュスの「イザーイ」の高弦の木の響きが美しかったようで、初合衆国ツアーにおいても交響曲を指揮したペトレンコの指揮を取りつかみどころのない曲をそのそのコードの読み替えしてフィナーレへと高めたとしている。ヴァイオリニストのコントロールされたヴィブラートと書かれているので相性は悪くなかったのではないか。予めそのヴィデオを観ていたが、若干表現力は弱い感じがするが、結局その後の日程で代わりに入ることになった定期演奏会でのヴェルデ・フランクと比較的方向性は似ていると思われる。恐らく楽器はシカゴ出身の彼の方が良く鳴っただろう。
「死の島」への注目はやはりそのシュトラウスに影響を受けた管弦楽法への再認識を与えたようで、5拍子のそれが波の重ね合わせとなる所でも音を落とすでもなく、ソフトに出すことで巨大な効果を上げていたとしている。こうした奏法上の卓越は本年の春からペトレンコから楽団に求められていたことで、ブルックナーの交響曲を含めて悉く成功している。昨年までとは大違いである。
そしてそのモメントの音楽と特筆されているように、リズムによる時間を非ユークリッド空間としている手法はミラノ以来ペトレンコ指揮にて顕著になって来た未だ嘗てなかった効果である。その一方その弦楽陣の一心な姿勢で弾くクライマックスへと持ち込まれ、通常ならば金切り声の高弦は低減によって滲まされてしまうのだが、とても素晴らしいバランスがとられていると、正しく現在のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの前代未聞の美しさを記述している。
最後のドヴォルジャーク七番では、左右に対抗して配置されたヴァイオリンから行ったり来たりの効果が生じて、作曲家のアクセントが、それが舞曲にも拘らず恐ろしい精度で為されたと、そこに僅かばかりの疑問が生じているのだろうか。然しその答えは、冒頭楽章におけるその部分部分の音楽の意味への意識にあるのではないか。二楽章においてはドヴォルジャークの牧歌的な香りをベルリンの木管群が醸し出したとなる。そして突然のニ長調コーダが開き、その熱量は白熱のようだったと記している。要するに筆者はその全体像を失っているのだろう。並のお勉強をしていては歴史上唯一無二にしかない可能性のある名曲の正しい演奏で創作の全てを掴みそこなうことになるのである。
抑々大管弦楽の通常レパートリーに遠くまで出かけることのない私が熱心に車を走らせて出かけるのは歴史的に一期一会の機会であることを正しく認識しているからに過ぎない。
Benjamin Beilman and the Minnesota Orchestra: Korngold Violin Concerto
参照:
After 21-year absence, the Berlin Philharmonic more than lives up to its name, Andrew Lindemann Malone, Washington Classic Review of November 16, 2024
前世紀に生きる人達 2024-11-17 | SNS・BLOG研究
お話しにならない耳 2024-11-15 | マスメディア批評
プログラムは11月の最後の定期公演の三曲で、その評に従えば最初のラフマニノフ作曲「死の島」がハイライトだったようだ。二曲目はヴァイオリン協奏曲で本来は合衆国のヒラリー・ハーンがペトレンコ指揮で初共演する予定だったが数日前にキャンセルした。そこで急遽飛び込んだフィルハーモニカーとも初共演で偶々コルンゴールトの協奏曲をレパートリーにしている合衆国の奏者が共演した。
評によるとデルジュスの「イザーイ」の高弦の木の響きが美しかったようで、初合衆国ツアーにおいても交響曲を指揮したペトレンコの指揮を取りつかみどころのない曲をそのそのコードの読み替えしてフィナーレへと高めたとしている。ヴァイオリニストのコントロールされたヴィブラートと書かれているので相性は悪くなかったのではないか。予めそのヴィデオを観ていたが、若干表現力は弱い感じがするが、結局その後の日程で代わりに入ることになった定期演奏会でのヴェルデ・フランクと比較的方向性は似ていると思われる。恐らく楽器はシカゴ出身の彼の方が良く鳴っただろう。
「死の島」への注目はやはりそのシュトラウスに影響を受けた管弦楽法への再認識を与えたようで、5拍子のそれが波の重ね合わせとなる所でも音を落とすでもなく、ソフトに出すことで巨大な効果を上げていたとしている。こうした奏法上の卓越は本年の春からペトレンコから楽団に求められていたことで、ブルックナーの交響曲を含めて悉く成功している。昨年までとは大違いである。
そしてそのモメントの音楽と特筆されているように、リズムによる時間を非ユークリッド空間としている手法はミラノ以来ペトレンコ指揮にて顕著になって来た未だ嘗てなかった効果である。その一方その弦楽陣の一心な姿勢で弾くクライマックスへと持ち込まれ、通常ならば金切り声の高弦は低減によって滲まされてしまうのだが、とても素晴らしいバランスがとられていると、正しく現在のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの前代未聞の美しさを記述している。
最後のドヴォルジャーク七番では、左右に対抗して配置されたヴァイオリンから行ったり来たりの効果が生じて、作曲家のアクセントが、それが舞曲にも拘らず恐ろしい精度で為されたと、そこに僅かばかりの疑問が生じているのだろうか。然しその答えは、冒頭楽章におけるその部分部分の音楽の意味への意識にあるのではないか。二楽章においてはドヴォルジャークの牧歌的な香りをベルリンの木管群が醸し出したとなる。そして突然のニ長調コーダが開き、その熱量は白熱のようだったと記している。要するに筆者はその全体像を失っているのだろう。並のお勉強をしていては歴史上唯一無二にしかない可能性のある名曲の正しい演奏で創作の全てを掴みそこなうことになるのである。
抑々大管弦楽の通常レパートリーに遠くまで出かけることのない私が熱心に車を走らせて出かけるのは歴史的に一期一会の機会であることを正しく認識しているからに過ぎない。
Benjamin Beilman and the Minnesota Orchestra: Korngold Violin Concerto
参照:
After 21-year absence, the Berlin Philharmonic more than lives up to its name, Andrew Lindemann Malone, Washington Classic Review of November 16, 2024
前世紀に生きる人達 2024-11-17 | SNS・BLOG研究
お話しにならない耳 2024-11-15 | マスメディア批評
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます